言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

暇な日の過ごし方

仕事が立て込んでいるときほどさぼりたくなるものである。

昨日まではまともに目が開かず、ずいぶんと苦労して仕事に臨んだのだけれど、今日は幸いにも目が開かなくなるような時間帯が少なく(たまにあったが)、何とか普通に仕事をこなすことができた。そうなってくると、常に100%で仕事を……とはいかず、少しさぼりたくもなるものである。

さぼると言ったって、ただのちょっとした現実逃避みたいなものである。関係ないニュースを見てみたり、関係ない調べ物をしてみたり。大っぴらに睡眠をとるとかさぼりに出かけるとかではなくて、本当にちょっとした、ちょっとした現実逃避である。

学生時代もそうだったが、例えばテスト勉強中なんかはアイデアが浮かんできたり、なにかひらめいたりだとか、そういったことが多かった。思いついて、それでもその場で実行するわけにもいかず、結果よくわからないルーズリーフのメモ書きが残るだけになることが多いのだけれど、切羽詰まっているときほど目の前のことではない事柄を考えてしまいがちである。そうしてきれいにひらめいてしまったり。

テスト勉強であれば困るのは自分だけれど、仕事だとあまり大っぴらにさぼっているのが見つかりでもしたら面倒くさいことになるので、ちょっとばかし息抜きをするだけになる。調べ物をしている風にいながら脱線してみたりするわけだ。そういう時に見るものってなんであんなに面白いのだろう。普段何でもない時には見ても大して面白くないようなニュースでも、仕事の合間に見ると急に面白いもののように思えるから面白い。

さんざん休みがあるときほど何もしないものである。インフルエンザで会社を3日間休んだのだが、3連休の後半と合わせてもほとんどの時間は熱があったり気分が悪かったりして、横になっている時間が多かった。それは致し方ない。そのあとの土日、つまりこの間の週末は、歯医者に行った以外はずっと家にいたわけだ(用事はあったが出かけられる状況になくて断ってしまった)けれど、案外とダラダラと、時間をつぶすようにしてものだった使ってしまった。忙しい時ほど合間を縫っていろいろやりたくなるものなのに、いざ暇な時間ができると何もしないものである。

そうこうしているうちにまた週末だ。今週末は用事があるのでダラダラはしないけれど、そういう時ほど「今度時間があったらこれやりたいな」とか思うものである。次に時間が空いたらこれをやる! と決めてしまった方が案外いのかもしれないけれど、仕事でもなしに無理に優先順位というか、TODOとしておいて置かなくてもいいよな、と思ってしまう。

行きたい場所の棚卸しの他に、やりたいことの棚卸し、それとなくしておこうか。いつか。

 

会社との導線にスーパーがあるという話

インフルエンザからの病み上がりで全然食事が取れていなかったのだけれど、ようやく平常の7割くらいの量を食べられるようになってきた。身体は元気になったと思っていたけれど、内臓は案外にダメージを受けていたらしい。未だに油物や刺激物は避けているくらいだ。

いつも昼は外食しに行くのだけれど、このところはそれをやめて(全部食べきれるのかわからないとか、刺激物や油物を避けるだとかそういう意図があって)、物を買ってきて机で食べるようにしている。

我が家から最寄り駅の間にはコンビニがあるのだけれど、最寄り駅から会社までの導線にはコンビニがない。だから、朝、コンビニに寄り道して何か買っておいてそれを昼に食べる、という事が出来ない。家の近くで買ったものを持っていくには、ラッシュの電車が怖すぎる(昼ごはんが物理破壊されてしまうのではないかという懸念)のだ。

本当は朝買っておいたらばわざわざ出かけなくても自席から動かずに昼休みを過ごせるのだけれど、それが出来ないので昼に買いに行くわけである。

会社と駅との導線にはコンビニはないが、実はスーパーがある。朝通勤してくるときには閉まっているので寄れないけれど、昼時に買いに行くのにはちょうどいいと最近ようやく気がついて、このところはこのスーパーに行っている。コンビニでお昼ご飯を選ぶのとはまたラインナップが違って良いのと、おかずの類をたくさん選ぶ事が出来てちょっと楽しい。今のようにあまり食欲のない時にはとても便利だ。

お湯がないのと電子レンジがないのは若干残念だけれど贅沢は言わない。お弁当は実のところ物によるけれど冷めきっていても気にならないものだ。家から持参したら暖かくはないのだし、考えてみれば当然である。

 


会社との導線にはコンビニがないが、近隣にコンビニがないわけではない。昼ごはんを外に食べに行った帰りに寄ったりするにはちょうど良い場所にある。

もう季節が冬なのでやらないけれど、コンビニは広めのベンチのある公園に面しているので、コンビニで買い物をしてそれを公園で食べる、というのは何度かやった。無性にカップ麺が食べたくなったときとか、あまりに天気が良くてなんだか外で食べたい気分だったときとか。

寒くなけりゃもっとやるんだけれども、流石にもう寒すぎて無理だ。花粉の季節がすぐやってくるのでなかなか外でどうこうとは行かなくなるし、案外貴重な時間だったのかもしれない。花見の季節はまだまだ花粉の季節だし、そうこうしているうちに梅雨になってしまうし、ああ、秋ってのはいい季節だったんだなあ。

 

歯医者と麻酔


歯医者に行った。このところ医者に行ってばかりである。とはいえ歯医者に行ったのは偶然そこに予約が入っていたからであり、このインフルエンザだの結膜炎だのとはあまり関係のない理由である。
局所麻酔をしたうえでの治療となったのだけれど、歯医者の麻酔というものをしたのは実に子供のころ以来であった。当時は乳歯から永久歯に生え変わる頃だったのだけれど、1本だけ乳歯が抜けるよりも前に永久歯が生えてきてしまい、乳歯のほうを抜歯しなければならないということになったのだった。あれはなかなかの難手術であった。
それからもう十数年以上経っているわけで、久々の麻酔となった。別に今回手術をするわけではないのだけれど、場所を考えてあまりに痛いだろうとのことで麻酔を使うことになったのだった。
久々の、あのしびれる感覚がやってきた。感覚がなくなるってこういうことか、と麻酔をすると思い出す。実際針で刺されたりするとそれは麻酔が効いていても痛いと感じるのだけれど、それ以外の感覚(例えば水が冷たいとか)がぼんやりとするのが面白い。今回口の半分だけを麻酔したのだけれど、口をゆすぐときに半分だけ間隔があるので途中から水がどこかに行ってしまったかのような感覚に襲われて笑ってしまった。笑いごとで済むだけでよかった。
そんなわけで治療は普通に終わって、あと何回か同じことをしなくてはならないのだけれど、どうも今日気が付いたのは麻酔が長く効きすぎるということである。
通常は終わってから1時間、ないしは2時間弱で麻酔が切れるとのことだったのだけれど、私はきっちり3時間以上しびれる感覚が残り続けた。それも口の上側に打ったからか、口の中だけでなく花のあたりまできっちり麻酔にかかってしまった。唇がしびれるなとは思ったけれど、鼻まで半分麻酔がかかっているとは思わなかった。おかげでしばらく鼻をかむことができなくて、不便な思いをした。何なら口の中よりもずっと長く麻酔が残ったような感覚さえある。
麻酔ってすごいんだな。久しぶりに打ったけれど、こんなに感覚がなくなるものなんだ。今回面倒くさくてしびれた感覚が残っている最中にものを食べたりしたけれど、例えば口の中全部麻酔掛けたら絶対そんなことは無理だろう。麻酔が切れて変なところにたくさん痛みが出たりするんだろうな。

 

病み上がりの出社

インフルエンザの熱が下がってから丸2日と半分くらい。週も終わりの金曜日であるが、今日から会社に行った。
お昼ご飯にスーパーで納豆巻きを買ってきて食べようとしてから醤油が入っていないことに気が付いて、まあコンビニのもののように納豆にしっかり味が付いているわけではないけれどギリギリ納豆巻きなら醤油なしでも食べられないことはないか……という諦めをもってして昼ご飯を簡素な感じに済ませてしまった今日この頃である。


インフルエンザは出社停止になるけれど、でもインフルエンザ用の休暇制度はないので、じゃあどうするかってーと有休を使うわけである。4月までの残有給3日だったものを全部使い果たしてしまった私は、まあ今日休んだらばそれは「欠勤」ということになってしまうので、体は動くし渋々出社したのであった。
風邪をひいて1日くらい休むこともあろうとは思っていたがまさかインフルエンザになるなんて。1月からツイていないものである。
そんなわけで有休を使い果たしてしまったわけなのだけれど、実は3月にすでに1日有休を使う計画があったのだった。それ故どうにかして1日短縮したかったのだけれど、インフルだけでなく結膜炎にボロボロにされてしまったがために、もう1日早く出社しようなんて気には到底なれなかった。敗北である。
そういうわけで3月はどうやって休むか思案していたのだけれど、今日、会社に行ったら2月に休日出勤が入るかもしれないというような話が上がっていた。休日出勤すれば代休が取れる。代休は翌月まで申請が可能だから、2月に休日出勤があれば3月に代休と称して休むことができる。欠勤扱いではない。
これだ、と思った。休日出勤なんて最悪でできればしたくないものだけれど、休みが欲しい嬢はむしろ大歓迎だ。1日の休みのために1日働くわけなんだから、損もしないし。なので2月の休日出勤の件は任せておいてほしいと一応言ってきた。ちなみに今月にも休日出勤日があるらしいがそちらは断った。

結膜炎のせいでいまいち見にくい画面とにらめっこして何とか今日の職務を終え、週末である。月曜から復帰だとしばらく休みがないので、金曜日から復帰する形になったのは意図していなかったけれど結構いい選択だったと思う。

インフルエンザは良くなったのに結膜炎はよくなるどころが悪くなっている気がする。眼科にも行って目薬をもらってきたんだけれどなあ。せめてPCにちゃんと向き合えるくらいに直したいところである。

 

インフルエンザと目の充血の話

インフルエンザの熱が収まって自宅待機しているわけかのだけれど、熱が上がるのと同じくらいの時期から生じた目の充血がどうもよくならないどころか悪化している。こいつは、インフルエンザの検査をしてもらう時からずっと放置されていた。

インフルエンザ検査時、目がめちゃくちゃ赤いのでまあ目立つからかまずそこを突っ込まれたのだけれど、
「ああこれもしかしてアデノウイルスでは?そうすると治療方法はありません。いい?」
なに一つよくはないのだが、何せこちらは38℃超の熱があってフラフラである。言われたままに頷くしかない。へえ、とか、はあ、とか言っていた気がするけれどよく覚えていない。
「でもまあ念のためインフルエンザの検査しときますか」
とかいう本当についでのようにインフルエンザの検査をされていたのだった。10分くらいしないと結果は出ませんからね、と言われて待合室に放り出されて、「アデノウイルス」ってそんなやばいのかよと調べてみるかとスマホを取り出したあたりでまた診察室に呼び戻された。
「インフルエンザでした。B型ですね」
10分かかるんじゃなかったのかよ。待合室には30秒くらいしか居なかったと思う。
「いやーきれいにでましたね」
なぜそんなに嬉しそうなのかは本当によくわからないが、まあインフルエンザならインフルエンザでいろいろ諦めがつくし仕方ねえな、と思い直して、それから処方される薬の使い方の説明なんかに入っていった。
この時点で目のことは完全にスルーされていた。両目真っ赤なのにスルーするもんだね。まあ一応インフルエンザにも目が充血するというようなことはないわけではないらしいし、そういうことなんだろうと思われたんだろう。後、案内されたのが耳鼻科だったから目薬の処方とかできなかったのかもしれない。これは誰が判断しているのか知らないが、インフルエンザの検査自体は内科と耳鼻科どちらでもできるので、順番が早いほうで呼びますね、なんて気を利かせてもらったのだ。内科でも目はスルーされて終わっていた気がするけれど。

そういうわけでもう熱のあるうちはそれどころではないにしろ、今やっと熱が下がって2日経ったこともあって改めて眼科に行くことにした。目は目の専門家に。一発で目薬を処方してくれるし。
ただ、目が痛いと眼圧を図るあの機械から噴出される空気、あれに耐えられないんだな、というのを今日初めて知った。眼鏡作る時にしかやったことなかったけれど、目薬の処方にも必要なんだそうな。

 

 

インフルエンザになってしまったので

全く予想もしていなかったのだけれど、インフルエンザになってしまった。多少の体調不良ならばどうってことない子も知れないが、インフルエンザではそうはいかない。

熱が下がってから丸二日休まなくてはならないし、そもそも急に高熱が出るので心身ともにヘロヘロになる。もうしんどいどころの話ではない。何がつらいって、昼めめちぇくちゃ寝た後の夜の長さ。眠れないし、何なら寝すぎで頭が痛くなったりもするわけで。座っているのがつらいくらい熱があるともうお手上げである。寝ているしかないのに寝ていることが苦痛とかどんな地獄だ。

そういうわけで昨日熱が出て、インフルエンザ用の吸入の薬をもらってきたので熱が下がるかな、と思ったのだけれど、相変わらずまだ熱がある。昨日より体は楽な気がするけれど、熱が下がっていないのだから困ったものである。

明日からは平日であるが、当然のことながら自宅待機である。出勤はできないので、もう火曜水曜分の休みを申請してしまったのだけれど、これが今日熱が下がらなければもう1日休む羽目になるわけで、いやはやそうするともう有休休暇がきっちり枯れてしまうといったわけなので最悪だ。4月まで残り3日分の有給休暇。ついでに言えば、3月に1日有休をとって旅行しようと飛行機を予約したのだけれど、それって欠勤扱いにしてでも出かけなくてはいけなくなるな、とそんなことばかり考えている。

まだふらふらするし熱もありそうなのでがっかりだけれど、頼むから今日あたりで下がってくれないかな。ブログ書けるくらいには元気なんだけれどね。

 

健康診断のお知らせが来た

健康診断のお知らせが会社から来ている。10月頃に連絡が来ていて、確か3月までに受ければいいんだったな、と思ってしばらく放置して忘れていたら年が明けてしまった。受診する日の15日前までに予約しておかないと、予約変更なりキャンセルなりができなくなるし、あとは事前問診の書類とかもさっさと送らないといけないなど事務負担が高まるので、もういい加減予約をしなくてはならないわけだ。
正直受ける日取りのはいつでもいいと思っているので(平日なら公休扱いになるので)、じゃあ時間が合うところを探せばいいか、と予約フォームをのぞいてみて愕然とした。基本的に午後しか空いていないのである。
13時から、15時くらいまでの間のことが多いのだけれど、それってつまり午前中は何も飲み食いできないということでもある。健康診断前の飲食は大体12時間くらい前までに済ませるように、なんて言われるけれど、それなら早朝か、それか昼を抜くつもりでもっと遅い時間にするとか、そういう振り切った時間じゃないときつい。13時とか15時とか、半端な時間は地獄だ。
病院によって10時間前までに飲食を済ませるように、とか、8時間前までに、であるとか、翌日の時間に関わらず前日の21時までに、だとか様々あるわけだけれど、どうであれ13時開始であれば当日は何も食べられないだろう。
朝ご飯を食べられるような時間に設定するか、それとも当日の検診後に食事をする、その時間を早められる時間に設定するか。究極の選択である。
どっちにしても午後からの検診であれば、午前中は仕事をすることになるんだろうけれど、空腹に耐えることができるだろうか……。絶食どころか絶飲(飲み物すら口にしてはいけない)場合もあるらしく、今から戦々恐々としている。
早く予約していればもっと普通の時間で受けることができたのだろうか? それを確かめることができるのはきっと来年になるのだろうけれど、もしそうならば来年はもう最速で予約だけでもしてしまおうと思う。

健康診断の直前というのは絶食等を伴うものだけれど、そういえばそれより前は何かしておく必要があるのだろうか。体調を整えておく、というか風邪なんかをひかない方がいいのはなんとなくわかるのと、あとはわざわざ暴飲暴食をして向かわなくてもいいよな、ということくらいはわかる。
例えばなんというか、健康診断の前の週から急に食事に気を使ってみたりとか、痩せようと努力してみたりとか、そういうことは必要なんだろうか。今まで全く考えたことはなかったけれど、この間職場の同僚に「もうすぐ健康診断だから生活に気を使っている」というような話を聞いて、思った次第だ。
もっともその人自身は、「もうすぐ健康診断だから」と言いながら昼ご飯を抜いておきながら、夕方にポテチを買ってきて一袋食べきっているような人物なのでどうかと思うところはあるけれど、なるほど確かに健康診断だからと節制するという姿はどこにでもある姿であるように思える。学生時代はきっとそれが健康診断ではなく身体測定だったようなものだろうか。
まあなんというか、学生時代は数字が伸びれば伸びるほど嬉しいものばかりだったけれど、今となっては、数値はできれば上がらないでほしいのに毎年だんだんと上がって(悪くなって)いくばかりなので、嬉しいものではないのが残念なところだ。健康診断の数値で嬉しくなりたいものだけれど、それには健康診断に向けて節制を……ではなく、習慣の方から変えないとなんだろうな。

無理そうだ。

 

見ていない初夢


初夢というのはいつの夢のことを指すのだろう。そう思っておもむろにWikipediaを開いてみたらば、そこに現れたのはほんのちょっとの記述と、おびただしい数の[要出典]タグであった。これはひどいWikipediaには時々こういうことがあって、まあそんなソースを参照するなと言われればそれまでなのだけれど、ちょっとした文言を調べたいときに検索して最初に引っかかる普遍的なソースとして参照しているWikipediaが[要出典]だらけだとちょっと萎える。
まあそれでとにかく、初夢と調べて何が知りたかったかといえば、初夢とは夜に見たものに限るのかということである。どうもざっと見た感じ、元日の夜なのか、2日なのかとか、大みそかから元日にかけて何か、とかまあいろいろ説があるらしいことは書かれているが、どれもすべて夜に見t種目であることが前提なのである。さらには、元旦から最初に見た夢を初夢とする場合もあるという。これも夜である。
実は、私は元旦から今日にいたるまで夜に夢を見ていない。見たかもしれないが、全く覚えていないし覚えがないわけだ。ところが毎日のように昼寝をしていることもあって、昼寝中はよくわからない夢をいくつも見ている。元日の昼間ですら夢を見ている。もし、昼寝で見た夢も初夢とカウントされるのであれば、元日の昼間に見たしょうもない夢が初夢となるわけである。
まあ残念ながらちょっと調べた限りでは昼寝の夢が初夢になりそうもないということはわかったので、今年の初夢は見ていない、ということにしたい。どうせまたしょうもない夢を見るに決まっている。
夢ではないけれど、あのうとうとしているときに頭の中で考えているわけのわからないこと、あれって何なんだろうな。支離滅裂なのに妙に説得力があったりして、ふっと我に返った瞬間に驚いたり可笑しくなったりするわけである。

ところで、「一富士二鷹三茄子」などと初夢に関しては江戸時代の縁起物について夢を見るのが良いとされることがある。あくまで江戸時代の話なので、そもそも夢にこれらのものが出てくることはないだろう。富士については人生で1度くらいあるかもしれない。鷹は? ソフトバンク「ホークス」でよければ出てきたと言えなくもないか。茄子は……食べているかもしれない、しれないけれどまったく覚えはない。
現代版の縁起が良いものは何だろう。一富士二鷹三茄子は江戸時代のものであるが、現代に置き換えたときにはちょっと思いつかないわけで、じゃあどんな夢を見るのが良いのだろう、とまあこれもさまざま説があって夢占いとか、そういうものに発展してしまっているので調べる手を止めることにした。
調べたってしょうがないこともある。
ただ、「じゃがいもの夢を見ると宝探しの機運があって非常に縁起が良い」というのはちょっと面白いと思った。ものは言いようである。

 

七草を食べなかった今日

1月7日は春の七草、つまり七草粥を食べる日とされている。せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、と名前が上がる中で、後半2つはかぶと大根なので極めてポピュラーな存在だけれど、ごぎょうハハコグサ)とか、はこべ(はこべら)、ほとけのざコオニタビラコ)はたぶん川の土手とかで見たことはあるけれど食べられるものとして認識したことのないものである。せりは春に少し食べることもあるかな、という程度で、そこまでなじみはないけれどぎりぎり野菜のようなイメージ。なずなは……存在も認識しているし、見たことも触ったことも摘んだこともあるのに、まさかあれを食べようとは、という認識の草である。調べたらなかなかおいしいものであるらしいので、七草粥としてじゃなく単品で食べてみたいものである。ああいうのって摘んできて調理していいのか? よくわからないけれど、つくしとかはちゃんとあく抜きしてあげれば普通に食べられるので、きっとなずなも大丈夫なんだと思う。もちろん場所というか環境による良し悪しはあるだろうけれど。

七草粥は年末年始の暴飲暴食によって疲弊した胃腸をいたわるため、というのが主な目的と言われている。おせちでは野菜が足りていないし体に優しいものを食べないとダメだよ、ということなので、きっと今日は体に優しいものを食べるべき日なのだろう。

ところで私の今日のお昼はラーメンであった。七草はまるで関係ない。普通に忘れていた、というか七草粥そのものは食べられないにしても、こんなよりによってラーメンのような激しいものを食べるつもりはなかった……わけでもなく、いや、本当はカレーにしようと思っていたのだけれど、ラーメン屋に期間限定のものがあるという情報を目にして、ついうっかり導かれるようにして入ってしまった。ああだめだ、カレーであろうとラーメンであろうと体には優しくない。完全に体をいたわらない路線である。1月7日であるかどうかとか特に関係のない、そんな日になってしまった。あと、ラーメンはそんなに美味しくなかった。
いやまあわかってはいるのだ。年末年始の食生活のせいで口内炎ができていることを。年末年始にそこまで暴飲暴食を重ねてはいないよな、と思ってても、普段の食生活と違うことと、年末の旅行の影響もありダメージは蓄積しているのだろう。口内炎の出来た位置が良かったのか、食事に支障がないのが救いであるけれど、気づいたときに一度ブレーキをかけなきゃダメなんだろうな、とラーメンを食べている途中で見つけてしまった口内炎を舌でなぞりながらにして思ったわけである。
食事中に必ず当たるような位置に口内炎ができることはしばしばある。何か食べるたびに痛いのだから文字どおり閉口するわけだ。それを逆手にとってダイエットでもすればよいのだろうけれど、むしろストレスからか食欲はいつも以上にあったりするわけで。刺激の少なそうなものを選んで食べる様になっても、例えばそれを咀嚼する回数が減ったりするわけで、それでは元も子もないのである。

1月の前半はねじが緩んだように色々食べて、中盤に差し掛かる頃から体のことを思い出したように気にし出す。これもこの時期の風物詩、なんだろうか。

 

遅寝、早起き、昼寝

遅めに寝て、それでも早く起きる。ここまでは完璧だ。だが、睡眠時間が身近影響は昼間、というか昼食後にちゃんと表れて、そこでふっと昼寝をしてしまうわけである。このところずっと毎日である。冬の休暇に入って3日間は旅行だったし、大晦日は普通に起きたから何もなかったけれど、そのあと、正月からずっとそんな感じで昼寝をしてしまう生活を過ごしている。
昼寝はいろいろなものを失う。失った感じがすごい。
午前中、ぐっすり寝こけて昼近くになってしまった時はいろいろと絶望感がすごいし、頭痛がしたりして1日棒に振ってしまうんだな、という感じがひしひしと感じられる。ところが昼寝をしてしまった日はどうだろう。寝すぎの頭痛に悩まされることもないし、午前中早く起きたということは何かしら用事があってそれをこなしたということでもあり、いい感じに1日を過ごせそうな、そんな予感がしているのである。午後はあれを片付けておこう、あれを済ませよう、見れなかったものを見ておこう、だなんていろいろ考えている。
それなのに、それなのに、である。昼食後、適当にスマホでもいじったりして、動画なんかを見始めてしまったら最後である。ちょっと休憩をしようかな、と自然と目を閉じて、気が付けば日が暮れている。比喩表現ではなく本当に暮れている。14時とか15時くらいから寝始めて、30分で起きたためしなどない。たいていぐっすりと、2時間近く寝てしまう。そうしたら17時だ。今の季節の17時は日が暮れている。やってしまった絶望感がすごいし、本当にその午後の2時間を失うというのは「何もできなかった感」を増長させるものだ。長い昼寝はそのあと数十分のぼんやりタイムを生むし、じゃあもう今日は何ができるんだ、となるわけだ。
BDを2時間かけて見ておこうとか、そういったことは特に変な、中途半端な時間ではできないことであり、そういうものこそ時間のある暇なときにこなしてしまいたいものである。それができなかった、また来週、翌週なのか、そのあとは予定があるからもっと後?そんなことを考えるとまあ微妙な気持ちになる。

それを正月から今日まで見事にやってしまっているのである。午前中は結構出かけているのに、家で何もできていない感じがするのはこのせいである。そうこうしているうちに時間が来て、じゃあもう明日は仕事が始まるんですよ、と現実を突きつけられているわけである。家にいるとこれだからよくないのだ。旅行に出かけてしまえばこんなことはない。電車の中で寝たりすることはあるけれど、時間のロスでも何でもないし、問題はない。家で、適当に過ごしているとはいえ失う時間というのは……という話である。

もっとも、中途半端な時間にする昼寝ほど気持ちのいいものもない。どうせ眠いのだし、目を使いすぎて疲れたなと思った時、午前中に出歩いて、それから帰ってきてちょっと休憩したいとき、そんなときに寝るのは本当にあらがえない心地よさがある。

明日から仕事はじめなんて信じられないけれど、それなら今日は本当は早く寝ないといけないはずである。けれども昼寝をしたから早く寝ることはできなくて、なんだかんだグダグダと過ごして、遅い時間になっていくわけである。体内時計ってこうして狂っていくんだな、なんて思う時にはもうとっくに狂っているのだ。
今週はずっと眠い日が続きそうだ。ああ、早く家に帰って寝られる週でありますように。