言葉のリハビリ場

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「第2回 旅程を他人に押し付けろ! ~行程シャッフルフェスティバル~」

「旅程を他人に押し付けろ! ~行程シャッフルフェスティバル~」とは、一人旅の日帰り旅行予定を作って、それを他の人に押し付ける、という旅企画である。自分が作った旅程を渡して、自分は受け取った誰かが作った計画に沿って旅行する。そういう何とも不思議な遊びだ。

しかしそれが妙に面白いとあって、今回なんと第2回開催と相成った。

 

本日から1か月前の2023年9月23日(土)のことである。

 

旅のレギュレーションについては下記に詳しい。

 

fwbc0416.hatenablog.com

 

※なお、前回開催については下記の通り。

 

fwbc0416.hatenablog.com

 

開催地については、
起点:府中・東京競馬場東京都府中市
終点:取手駅茨城県取手市
というやや変則的なルールとなったが、これにより各メンバーが必ず東京→茨城以上の移動をすることが確定となった。

今回も参加者は4名。
それぞれが1日分の旅程を作ってきた。電車の切符など行程上必要なものは作成者が用意するわけだが、前日までに用意できないもの(例えば施設の利用料など)は現金で用意。あとは具体的な行動予定の一覧表と、人によってはそこに資料をつけていたりもする。それらすべてを封筒に入れて持参しているわけだ。
封筒自体も統一しているわけではないので、下記のようにして行程の抽選会を実施した。

 

①1~4までの数字の書かれた札を取り、各自が自分の引いた番号を覚える
②別室に行き、自分の引いた番号を行程の入った封筒に記入し、ベッドの下に見えないように隠す
③全員隠し終わったら、再度数字の書かれた札を引き直す
④引いた番号の書いてある封筒を受け取って、ネタバレを避けるために、最初の行動開始時間と終了時間以外を伏せた状態で各自が行程を確認する。
⑤内容に従って翌朝から行動に移る

 

③で自分の行程番号を引いた場合は再抽選となる予定だったが、今回も1度の抽選で被りなく分配された。

もう正直④の時点で内容を見ていろいろしゃべりたくて喋りたくて仕方がないのだけれど、ネタバレは避けたいのでみんな話し方がめちゃくちゃに曖昧になる。「え、なにこれ」とか「これ本当にできるの?」だとかそういう微妙な独り言みたいな会話にならない感じの状態が続いた後は、「結構過酷かもしれない」だとか「ちょっとこれなかなか最初見たらびっくりすると思うよ」みたいなこれまた具体的にはなり切らない"匂わせ"みたいな会話になっていく。
旅程を渡された時の受け取り方も結構人ぞれぞれで、全部の行程を「本当に実現可能なのか」と乗り換え検索などで調べるタイプの人がいれば、だいたいざっと眺めて「これ面白いな」「行きたいと思ってたけどこれここで行けるのか」みたいな話をしている人もいる。個性というかスタイルというか、受け取った旅程の感じにも寄るのだろうけれど、この時点でも結構面白いものだ。
この時点で誰が自分の作った行程を引いたのかというのもわかっているので、それを悟られないふりをしながら「へー、明日結構夜遅いっぽいの?」みたいな感じでそ知らぬふりをするものめちゃくちゃに面白い。

そもそもこの行程シャッフルをするまでにいろいろあってだいぶ遅い時間になってしまっていたのに、結局この日就寝したのは深夜の2時半とかそういう時間になってしまった。
夕飯を食べた時点で結構な遅い時刻だったので、その時は「これで明日始発だったらやばいな」なんて笑っていた。

笑っていた。

 

満を持して、翌日。

「第2回 旅程を他人に押し付けろ! ~行程シャッフルフェスティバル~」が開催された。

 

 

<出発 4:32>

 

え?

 

とりあえず下の写真を見て欲しい。

これは、府中本町駅から東京競馬場へ直結する歩道橋を下から撮った写真である。右奥が東京競馬場の西門の方面だ。この時点での時刻は4:45。夜が明け始めてもいない、真っ暗な状態だ。

 

吸い込まれそうな「闇」

「明日始発だったらやばいな」と笑っていたが、まさにそれで、私の引いた行程では「府中本町駅5:01の始発に乗る」のが最初の行程だったわけである。
駅までの道のりと、上記のような寄り道を含めて考えると、私の起床時間は4:25ということになった。4:25に起きて4:30に出発した。全部用意を済ませて本当に出発するだけの状態にしていたが、3:00くらいまで普通に起きていて4:25に起床するというのは本当にただの仮眠だ。
寝ているのか起きているのか良くわからない状態で歩きながら、前日降っていた雨がすっかり止んでいたので良かったな、と思ったのを覚えている。前日と言ったって、5時間くらい前は土砂降りだったのだからまあなんか、一晩寝たら天気が良くなったというわけでもない。

とりあえず、傘を差しながらこの真っ暗な中歩いていたら消耗したんじゃないかな、ということは考えた。雨がやんでいて本当によかった。暑くもないし、あたりが真っ暗であまりにも夜であるということを除けば、旅立ちの時間としては全然、悪くない。

 

歩いているうちに夜が明ける気配もなく、最初の電車の乗車駅に到着する。

 

<府中本町駅 5:01発 武蔵野線・東京行き ⇒ 西国分寺駅 5:06着>

武蔵野線の始発列車

南武線の始発列車が上下とも少し早く出発するので、府中本町駅で最も早い時間の列車ということにはならないが、それにしたって5時はなかなか早い。ただ、これに関しては後行程を見ると「意味のある始発での移動」だったので、猛烈に眠いことを除けば有意義な出発時刻だったと言える。

乗客は1車両当たり5,6人といったところ。近隣に何か夜通しやっていそうな居酒屋の類は見当たらず、接続する列車もないためこんなものなんだろう。都心駅の土曜日の始発列車とはまた違った趣がある。

 

動き出したら5分でもう乗り換えのため降車……ということで、寝ないようにしようと思う間もなく西国分寺に到着した。

 

<西国分寺駅 5:10発 中央線(快速)・東京行き ⇒ 東京駅 5:52着>

 

写真からだと夜なのか朝なのか判別できない


2本連続東京行きの列車だが、武蔵野線と中央線とではその経路は大きく異なっている。

路線図を見れば一発で理解してもらえると思うが、中央線なら40分強で到着するところを武蔵野線だと1時間40分もかかる。たまたま行先は同じだが、東京都の西側地域から武蔵野線だけで東京駅に向かおうという人はまずいないだろう。
西国分寺5:10の中央線は青梅4:35始発の比較的長距離な列車ということもありそこそこ人が乗っていたが、運良く乗り込んだ先の1席が空いていたので座ることができた。

何だかんだで40分は乗っていかないといけないわけで、座れてよかったと思う。朝のこの眠い中での40分間の着席はだいぶ大きいアドバンテージだ。

私はとりあえず終点の東京駅に着くまでは目を閉じて寝ることにした。


ところがまあ、眠いはずだがぐっすりと寝ることもなく、たまにうとうとするくらいで東京駅に到着した。眠いのは眠いけれど、気持ちが昂っているような感じがあって寝入るというまでは至らなかったのだ。まあでも、目を閉じているだけでも違うと言うしいいんじゃないかなと自分に言い聞かせつつ、東京駅のホームに降り立った。

新宿~お茶の水でだいぶ降車客があったが、大きな荷物を持っている旅行客と思しき人たちは大抵東京まで乗りとおしだった。まあそうだろう。ちょうどいい行楽シーズンである。新幹線の始発である6時の少し前に東京駅に到着する列車の需要というのは旅行的にはだいぶ大きなものだと思う。そして私もその中の一人というわけである。

 

東京駅での乗り換えは16分の余裕がある。駅のコンコースはそれなりに混雑していた。とはいえ朝のラッシュ時間帯などとはさすがに比べ物にはならない。普通に移動はできるし、まあ想像の範囲内だ。

混雑が顕著だったのは、駅弁屋である。私は新幹線の中での朝食として駅弁を買おうと思っていたのでまっすぐ駅弁屋「祭」に向かったが、店の混雑は昼間のそれとあまり変わりがなく驚いた。
まあでも、「祭」は混雑していてもレジの台数が異様にあるのでそこまで過剰に時間を取られることはない。乗車に間に合わなくなることなどはないだろうと踏んで私はその人ごみの中分け入っていった。

乗り換え時間は16分という時間だったが、6:00の時点で新幹線改札を通過できるくらいにはあっさりと駅弁を購入することができた。

そう、この後は新幹線。お手洗いなどの設備は車内に整っているし、単純に車内で必要なものだけ買いこんで向かえばいいという、比較的イージーモードだったというわけだ。

 

 

<東京駅 6:08発 上越新幹線 とき301号・新潟行き ⇒ 長岡駅 7:48着>

というわけで、東京駅から乗車したのは上越新幹線の始発列車だ。

 

ようやく空が明るくなってきて、朝だな、という雰囲気になる。とはいっても、まだ日は登っていない。この日(9/23)は夏至から3ヶ月が経過した「秋分の日」であり、昼と夜の長さが同じになる日というわけで、そりゃあまあ夏と比べたらなかなか日が昇らないよな、というわけだ。

 

いつもダイヤがきついせいで割とギリギリまで入線してこない印象のある東京駅の新幹線ホームだが、始発だともう乗車可能な状態で待ち構えている。

私は先頭車両の写真を撮ってから、車両内へと足を運んだ。

 

「指定席・グリーン席共に多くのお客様にご利用いただいておりますので、荷物は空いた座席に置かないでください」という趣旨のアナウンスが入ったので、かなり混雑していたものと思う。
……思う、というのは、私の座席がそのどちらでもなかったからである。

 

そう、私の座席はグランクラスだったのだ。

はじめてのグランクラスにテンション爆上がり

行程表には「12号車」としか書いてなかったので全然気が付かなかったが、切符を見たときに「グランクラス」と書いてあって本当にびっくりした。

いやはや、人から受け取った旅程でグランクラスに乗ることになるとは。

 

降車時に何も考えず自動改札に入れてしまったので手元にはない

「新幹線特急券・グリーン券」という文字の方が目立っているが、値段の下部にちゃんとグランクラスと記載がある。こういう表記になるんだな、という事さえこの日まで全く知らなかった。

だって人生で一度もグランクラスには乗ったことがないし、グリーン車だってめったに乗るものではない。先週、JREポイントを使って普通車をグリーン車に格上げするという手段を使った時に「グランクラスってのも一度は乗ってみたいよな~」などとぼんやりと思ったりはしたが、まさか翌週にグランクラスに乗車することになるとは思わなかった。

上越新幹線グランクラスには食事のサービスなどがないわけだが、そんなことは大した問題ではない。「新幹線のファーストクラス」という謳い文句があるが、その空間に足を踏み入れるという事実からもう既に興奮しっぱなしだった。

誰もいないのをいいことに写真を撮りまくる

本当に初めてだったものだから、机の出し方は分からないし荷物棚は飛行機みたいだしで慣れないことだらけである。椅子全体が前に出たり引っ込んだりと何かしら動かせるし、後ろの席にも支障がないように覆われているしで何もかも他の座席と異なっている。

誰か来たらやや恥ずかしいので最初は遠慮しつつ写真を撮っていたが、どうも誰も乗ってこないぞとわかったあたりからはもう特に何の配慮もせず撮影をしまくった。

 

さて、今回の「行程シャッフルフェスティバル」でもチェックポイントで写真を撮ってX(Twitter)につぶやく指令がある。

第1のチェックポイントがグランクラスの座席の写真と共に「グランクラスを開催…」とつぶやくということなので、実施した。

 

 

グランクラス、開催。

いや、グランクラスて。

 

さすがにトイレはグリーン車と共通なのか、などと出発から15分くらい車両をうろうろした後、座席に戻って早めの朝ごはんを食べることにした。
まだ6時半だというのに、牛たん弁当を食べてしまった。別に仙台に行く列車ではないのでなんの意味があるわけでもなく、ただただ好きだから、という理由でこの弁当にした。海鮮系(いくらとか)も好きだが、朝意外と涼しかったのもあって、温かいものを食べたいという意識が働いたのもある。

 

紐を引っ張って温めるタイプの弁当

安定の味、定期的に食べたくなる味。仙台に行きたくなった。

でもあれなんだよな、この弁当に一緒についてくる漬物は、この弁当にしか入っていないから、牛たん屋とかに行っても別に食べられるわけじゃないんだよな。青唐辛子のみそ漬けが牛たんの付け合わせとしては定番で私も大好きでそれだけ買ったりするくらいだが、本当はこのこばやしの牛たん弁当に付いてくる漬物も個別で買いたいくらい好きなのだ。どこかで買えないか誰か知っていたら教えて欲しい。製造会社までは突き止めたことがあるのだけれど、確か、業務用というか、漬物単体では扱っている場所を見つけることができなかった。

 

誰もいないグランクラスの車内で牛たん弁当を開催したあとは、せっかく机があるので今後の行程について確認をする。コンセントがある列車は貴重なので、スマホの充電もしておく。

乗り換えなどはだいたい指定されているが、一部自由選択の箇所があるのと、食事場所などの指定はなかったため軽く調べたりしつつして過ごした。

 

途中、群馬から新潟に至る大清水トンネルに差し掛かった際には軽く寝たりもした。座席が快適すぎてあと3時間くらい乗っていたかった。だが、東京を出て1時間40分で降車駅の長岡に到着してしまった。残念だ、なんて残念なんだ。いつか絶対に東京→新函館北斗、いや東京→札幌が開通したらその区間全部グランクラスで乗って行こうと、そう思いながらグランクラスを後にした。


結局、長岡まで一切他の利用客が来なかったため、グランクラスはずっと私一人の貸し切りだった。乗務員以外では一度だけ東京出発前に駆け込んできた人がいたが、グランクラス利用者ではなかったようですぐに後ろの扉から出て行った。それ以外には全く一般客の姿を見なかった。

 

長岡駅には7:48着で、発時刻は8:36である。ということで長岡ではそこそこ時間があったが、駅を離れずに軽く散策するにとどめた。行こうと思えばどこか行けたような感じもあったが、ここで無理をしなくてもいいかなという判断で、駅の回東西を軽く見るなどして過ごした。

そば屋でもやってれば入ろうかと思ったが、長岡駅の朝はパン屋が開いているくらいだったので、それならまあいいかと思い適当にうろうろする。

花火大会の会場は駅から見て西側にあるが、モニュメントは東側にあった
西側

長岡という駅は実のところ初めて降りたのだけれど、前々から気になっている場所ではあった。長岡のご当地ラーメン「生姜醤油ラーメン」を食べたかったりして何度か計画はあったが、どうも上手くかみ合わずに見送りになったりしていた。というか確か去年宿を取るところまでは一度やったのに別件で行けなくなったのは長岡絡みの旅程だったな。
いつかちゃんと見て回りたいと思っている、そういう場所だ。


余った時間は適当にトイレに行ったりコンビニに行ったりして時間をつぶし、頃合いを見て在来線の改札に入った。

 

<長岡駅 8:36発 信越本線 特急しらゆき 1号・新潟行き ⇒ 新津駅 9:13着>

 

入線後1分だけ停車するようなので写真を撮りつつ特急しらゆきに乗車した。

「しらゆき」は初乗車

座席にチケットホルダーが付いていた

チケットホルダー付きの列車ということなので、切符を一応差しておく。
北海道の鉄道に乗ると結構チケットホルダーって当たり前のようについているのだけれど、本州だと珍しい気がする。他であんまり見たことがないけれど、実際どうなんだろう。調べたことがないのでよくわからない。

今どき指定席は車内改札がないので(違う座席に座っていない限りは特に聞かれないと思う)見える位置に置いておかなくても良いとは思うが、なんとなく目の前にホルダーがあると入れたくなる。今のところ取り忘れたことはないけれど、必ず注意喚起の放送が流れるあたり、結構忘れる人が出るんだろうな、と思う。

 

降車駅の新津までは40分弱。
朝食を6時半からグランクラス内で開催してしまったが、この後普通に昼まで長いので追加で朝食を摂った。

新潟県ということでタレかつ

途中うとうとしていたというのはあるが、停車駅も多く「三条あたりは駅名がよくわからないな」などと気になるたびに地図を眺めながらの40分は結構あっという間だった。

 

9:13に新津駅へ到着。

 

このあと「SL ばんえつ物語号」が入線するということで、カメラを持った人でホーム上がそれなりに混雑していた。

新津駅は乗ってきた信越本線の途中駅であり、羽越本線(秋田方面に伸びる路線)と磐越西線会津若松方面へ伸びる路線)との乗換駅である。私もこの後の行程としては、磐越西線へ向かう予定になっていた。

新津駅の磐越西線の時刻表を見ると、

--

09:33 普通 会津若松行き

10:03 SLばんえつ物語号

--

ということで30分先に普通列車が出発するように記載されている。
私が乗るのはその普通列車の方なのだが、SLとは発車番線が分けられており、跨線橋を渡った反対側のホームまで移動することになった。
何でだろうと思っているうちに、汽笛の音がして、SLが普通列車に先んじてホームに入ってきた。
なんてことはない。観光列車であるSLは30分早く発車する普通列車よりも先に入線し、写真撮影などをしやすいようになっているわけだ。普通列車は別にそういう配慮は要らないわけで、ぼんやりと列に並んで折り返しの入線を待つばかりである。

普通列車の列に並びながらSLの人だかりを眺めるの図

やっぱりSLは人気なんだなと眺めているうちに、乗車予定の列車がやってきたので乗り込んだ。

 

<新津駅 9:33発 磐越西線会津若松行き ⇒ 津川駅 10:36着>

 

一人用のボックス席(でいいのか?)を確保

後続がSLということもあり、特にこちらの普通列車は混雑していなかったので快適に過ごすことができた。向かい側に誰も座ってこない場合のボックス席というのはいいものだ。

のどかな田園風景

列車は新津を出てしばらくは平地を走っていたが、ほどなくして阿賀野川と合流し、山の中へ入っていく。
進行方向の左側がずっと阿賀野川だったので、それを眺めながら時間が過ぎていった。

道中ではカメラを構えて次のSLを待っていると思しき人の姿が多くあったのが印象的だった。週末だけとはいえ結構定期的に走っているSLだけれど、かなり人気があることがうかがえる。線路のすぐ近くなどだけではなく、橋梁走行中などは遠くの畑のあぜ道あたりから大きな望遠レンズで撮影している人もいたのが面白かった。

 

10:36に津川駅に到着して、私はホームに降り立った。
本当はワンマン列車なので先頭車両から降りなくてはいけなかったのだけれど、うっかりしていて後ろからホームに降り立ってしまうというミスを犯したが、ちょうど津川から車掌が乗車するというタイミングだったので特にとがめられることもなかった。ホーム経由で先頭車両に切符を店に行くというややイレギュラーな格好になったが、それ以上のことはなかった。

津川駅

<津川 散策>

 

行程表に立ち寄り地として「琴平清水」というスポットが指定されていたので、歩いて探しに行くことにした。

気温もさほど高くなく(25℃くらいだったと思う)ちょうどいい。天気もやや曇りがちではあるが雨が降っていないので良かった。前日の夜に大雨に遭遇し、道中関東を抜けるまでは雨が降っているところもあったりしていたので心配しているところもあったが、ここから先特に天気にやられるといったことはなかった。

 

これから向かう「琴平清水」というのは。綺麗な湧水を利用できるように整備したスポットだが、GoogleMapで検索しても引っかからないなかなかマニアックなスポットらしい。

※新潟観光ナビというサイトで紹介されている。

niigata-kankou.or.jp

そのため、行程表には行き方のガイド資料が付けられていた。

丁寧なガイド

列車の中でなんとなく読み込んでおいたので、とりあえず駅を出て阿賀野川を渡る橋の方に向かう。車道側の道幅のわりに歩行者用の通路が広めにとられているという作りの橋だった。

 

麒麟橋と橋から眺める阿賀野川
「Kirin Bridge」なのに「Aganogawa Riv」なんだなと


街の中心は橋を渡った対岸の方にあるという構造になっているため、駅の回りにはちょっとした商店などがあるのみだ。津川が所属する阿賀町の町役場含めた中心部は対岸側に配置されている。
山間部では結構ありがちな街の作りだと思うが、駅までの距離が集落から離れることになるので、鉄道利用としてはやや不便な気もする。それでも自動車などが発達するまでは鉄道駅ができるというのはかなり画期的だった様子だ。


この津川という地域は、江戸時代~明治時代までは水運で栄えていた。会津藩の西の玄関口として、内陸の会津からは陸路で荷物を運び、津川からは阿賀野川を使って船で荷物を運ぶという中継地点として栄えていたのだ。立ち寄り地である「琴平清水」も水上安全と湊町の繁栄を願って作られたものであるという。


10分ほど歩くと、行程表に乗っている琴平清水への分岐点にたどり着いた。
道の右側に案内があるというがイマイチ見つからない……と思っていたら、民家の入り口のような草に埋もれるような形で案内板があった。

高難易度な案内表示

裏から見るとこんな具合

これはさすがに説明がなければ見逃していたと思う。入り口があまりに民家の軒先風だったので、案内がなければまあ入ることはなかっただろう。


たぶん私道なんじゃないかと思われる道を入っていくと、あった、「琴平清水」だ。

 

HPの記載と違って前面にふたが閉められていたので、移動させた

蓋が閉まっているとかなり分かりにくいが、手前の管理用の棚と奥の小さな社でまあたぶんこれだろう、とあたりをつけることはできる。清水の説明書きは少し離れた場所にあるため、ここには特に何も書かれていないので本当に大丈夫なんだろうかと思いつつも、木製の蓋をそっと外すとちゃんと清水が現れたので安心した。

 

行程表には第2チェックポイントとして「琴平清水の水を写真に撮りツイート」とあったので、それに従ってつぶやいた。

 

木製の蓋で覆われているおかげか、昨日まで雨だったと思われるのにちゃんときれいな水が溜まっていた。明示的に記載があるわけではないが、コップなどが周りに置かれているのを見るに、飲用しても問題ないようだ。行程表の添付資料にもその旨の記載がある。
かなり年季は入っているようだが、清潔に使われている様子だったので、私はこの水をすくって一口飲んだ。ちょうど喉が渇いていたので美味しかった。こういう地域で利用されているんだろうな、という水については結構好きだ。飲用水にしてもそうだし、あとは普通に用水路とかでもそう。自然用水を引いてきて生活に使う光景というのはどことなく風情があるように思える。夏には用水で野菜を冷やして食べたりなんかして、そういうものが私の生活には足りていない。圧倒的に。

こじんまりとしてはいるが、結構いいスポットだった。

水槽の隣の小さな社に軽く手を合わせてから、私はこの場を離れた。


行程としてはそのまま駅に戻っても良かったのだけれど、時間に余裕があったのでもう一か所寄り道をする。

津川河港の跡地である。

 

津川という街は会津藩の西の玄関口であり、水運で栄えた宿場町だ。会津若松からここまで陸路(越後街道(会津街道))で荷物を運び、ここからは荷物を船に乗せ換えて阿賀野川を下っていく。行先は新潟である。江戸時代、新潟の港は敦賀や秋田、松前との交易(いわゆる「北前船」によるもの)の中継地点となっており、日本海側の重要な港だったのだ。江戸時代から明治時代に至るまでの間、この阿賀野川を使った水運は主要な拠点として津川の河港が使われていた。
この写真の場所は、明治時代になって水量の増減にも耐えられるような新しい港が必要だとして設けられた「新河戸」である。既に道路の整備は始まりつつある時代だが、一度に大量の物資をやり取りするには船の方が都合が良かったということのようだ。
大正初期までは港として活用されていたが、大正6年磐越西線の全線開業をきっかけに衰退し、最終的には下流にダムができたことによって完全にその役目を終えることになった。


水運の安全祈願にも使われた清水を見学し、水運拠点の跡地を経由しつつ、その水運衰退にとどめを刺すことになった鉄道に乗りに行く。若干複雑な気持ちではあったが、この後は行程としてかなり楽しみなものが控えたのでそそくさと駅の方に戻っていった。

降りた時よりも車が増えている

再び戻ってきた津川駅には人が集まっていた。
それもそのはず、この後入線するのは「SLばんえつ物語号」だからである。
今回なんと、行程にもしっかりと組み込まれており、私も乗車することができるのだ。小さいころ、たぶん6歳くらいの時に喜多方から会津若松という短い区間(逆方向だったかもしれない)に乗ったことがあるのでそれ以来のこととなる。それ以来SLにも乗っていないわけで、こんな機会が思いがけず舞い込んできて嬉しくないわけがないというものだ。
SLが津川駅を出発するのは11:28なのだけれど、11:13に入線するというのは事前の情報でわかっていた。津川駅には給水設備があるので、長めに停車をすることになっているのだ。
ホームに降りてから2,3分すると、遠くから汽笛の音がした。


SLばんえつ物語号の入線だ。

もうもうと煙を吐き出し汽笛を鳴らしながらホームに入ってくる様子は圧巻である。全国でもSLに乗車できる箇所はかなり限られているが、今回こうやって乗車する機会を設けてくれた行程作成者には感謝しかない。

最後尾側で入線の様子を撮影した後はやはり先頭が見たいということで、SLのSLたる部分を見学しに先頭車両側へ向かう。

ホームで待ち構えていた人と客車から降りてきた人でごったがえす

先頭ではSLとの記念撮影ができるように列形成を行っており、SLと一緒に写真を撮ってもらい人はそこに並び、SLだけ撮りたい人は適当に後ろに回って撮影をするというような形式になっていた。とても良いことだと思う。
というのも、昔、私が会津若松の駅でSLと一緒に写真を撮っていた際に、撮り鉄から罵声を浴びるという事件があったからである。当時たぶん6歳くらいだった私が父に促されてSLの隣に立った瞬間に怒号。ちゃんと覚えていないが、20年以上経過した今でも父が思い出すと怒るので、よっぽどだったらしい。私は正直その一瞬のことをうっすらとしか覚えてはいないが、そういうこともあるだろうし列形成して写真を公式に取りやすくしてくれるのはありがたいことである、と思う。

 

 

まあそんな昔の話はさておき、この駅での見どころである給水作業を見学する。

 

給水作業はポンプをつないでボタンを押すという比較的近代的な方式

SLの給水というと、給水塔のような高いところからポンプをつないで……というのを想像していたのだが、津川駅にはそういった施設が本線ホームの方には見当たらない。ではどうするのかと言えば、ホーム上にある貯水槽のようなところにポンプをつないで、あとはボタンを操作して給水というやり方を取っていた。それなりに近代的な手法である。それはそれで面白い。

ひとしきり外からの写真を撮り終えたので、いよいよ乗り込むことにした。

 

<津川駅 11:28発 磐越西線・SLばんえつ物語 会津若松行き ⇒ 会津若松駅 13:36着>


指定席なので、まず自分の座席を探しに行く。

普通の車両はこんな感じのボックス席

私の座席は3号車の1番ということで、ボックス席の一角だった。昔乗った時も確かこんな感じの座席だった気がする。もしかしたら、座席は特に20年以上前の当時と変わっていないかもしれない。

荷物を置いた後、車内の売店があるので一度そちらに向かい、買い物をしてから席に落ち着いた。

売店でコーヒーとポストカードを購入


コーヒーは普通に飲みたかったからというだけの理由だが、ポストカードを購入したのには別の理由がある。それは、次のチェックポイントの指示が「乗車中に4号車のポストで手紙を出す&様子をツイート」という内容であるためだ。

 

ここに投函すればちゃんと配達してくれる

このポストに投函すると、当日の日付での消印が押され、新津からちゃんと通常の郵便と同じように発送されるようになっている。行程作成者はここから他のメンバー3人に手紙を出すように、と手紙とペン、それに切手まで用意してあった。

なかなかユニークな指令である。

売店にポストカードが売られていたのでそちらを使ったが、切手は封入のものをありがたく使わせてもらった。

乗車記念スタンプを押した状態

ちなみにこの作業があるため、行程表の一番最後の資料に「あらかじめ前日の夜に他の3人の住所を聞いておくのを忘れないように」という記載があったが、たまたま私の場合全員の住所がだいたい分かったので特に改めて聞くこともなく済んだ。郵便番号を住所から逆引きしたり、部屋の番号がわからなくて写真を探ったりとやや危ない場面もあったが、まあわからなければ最悪LINEでもしようと思っていたくらいなので特に焦ったりはしなかった。

他の人がこの行程を引いていたらたぶん私の住所を聞かれていたんだろうな。今どき仲間内で住所まで知っているということは少ないと思う。年賀状を出すような間柄でも、手元になければすぐにわからないだろうし。私が3人の住所を知っていたのは本当に偶然である。


はがきには乗車記念スタンプを押して送ろう、とも書いてあったので素直に従ってスタンプを押しに一度4号車に向かう。スタンプを押す機械は穴あきパンチのような構造をしているものだったので、どのあたりにスタンプが押されるかを見るために一度その辺に用意のあった折り紙に試し押しをしてからそれぞれのはがきにスタンプを押した。

 

綺麗にスタンプが押せるのでそういう意味では高性能だと思う


スタンプまではそれなりに順調だったが、さあはがきに文字を書こう、となると実はこれに一番こずった。そもそも手書きで文字を書く機会が少ないうえで、揺れる走行中の車内だと綺麗に文字が書けない(元々綺麗ではないが)。

また、SLはトンネルに入ると窓を開けていなくても車内が煤だらけになるので、トンネルの間ははがきを伏せるなどして対策をする必要がある。なので、書き上げるのにはそれなりの時間を要することになった。

はっきり見えるほど煙たくなる


まあもっとも、時間は十分にあったので、適当に外を眺めたり、コーヒーを飲んだりしながらゆったりと書き上げた。そういう時間を列車内で過ごすというのもまたいいものである。

SL全盛期に乗っていた人も、こうやって車内で手紙を書いたりしたんだろうか。机じゃなくて、膝とか荷物とかの上で書いたんだろうか。

 

書き上げたら、あとは投函だ。前述のとおり車内にポストがあるので、そこまで出向いてポストに投函しに行く。

4号車にてポストに投函する写真を撮った。

 

 

ポストカードの写真は3枚とも違うデザインになっているので、それぞれ別のものが届いたとの報告を、帰ってきてから数日後に貰った。

ちゃんと届くんだな。まあ、そっか、ちゃんとあれ、ポストだもんな。

 

その後はだいたい自席で車窓を眺めつつ過ごしていたが、途中の山都駅で10分ほど停車するというタイミングでまた写真など撮りに下車をした。

石炭を運転台の方に移す作業をしているのが見られる

山都はそばで有名な街だそうで、車内でもその旨を知らせる紹介アナウンスが流れた。標高が高く稲作には適さないことから昔からそばが作られており、それが名物となったそうだ。
おいしそうな宣伝がアナウンスされるが、ホームで食べられるわけではないので途中下車する人だけがありつくことができる。ちょうど昼時だったのでお腹が空いてきたが、降車駅ではないので我慢する他なかった。
山都に限らず、道中下車しないといけないようなスポットの宣伝などがしきりになされるので、その度気になりはするものの行くことができないというなんともじれったい気持ちにさせられた。今度機会を設けて行ってみたい場所が増えてしまったじゃないか。そういう戦略なんだろう。

山都を出ると会津若松に向けて最後の山越えだ。トンネルに入ると車内は相変わらず煤っぽくはなるものの、私がすっかりその環境に慣れたからか、あまり気にならなくなっていた。

13:08に列車は喜多方駅に入る。私は自席から荷物を持って立ち上がった。
実は今まで座っていた座席は喜多方駅までの指定であり、この後は別の車両の座席が用意されているので、移動の必要があるのだ。喜多方駅では2分しか停車しないのでホームには降りず、車内を移動する。

最後尾車両が目的の座席……グリーン車だった。

ボックス席ではない、上級グレードな座席

1人用の座席と2人用の座席があり、私の座席は1人用の方だった。ボックスの指定席も悪いわけではなかったが、こういった座席はやっぱり快適である。一応リクライニングの機能が付いており、なんというかこう、同じ車内なのに少し時代が進んだかのような感じがしてしまう。
最後部は、展望用のスペースが設けられており、動画を取っている人もいる。

行程表に「展望席からの眺めをツイート」するように指令があったので、実施した。第4チェックポイントということになる。

 


喜多方から会津若松までは25分ほどの道のりだったが、最後、グリーン車に乗ることができて良かった。ボックス席と両方味わえてかなり乗り得だったと思う。グランクラスの時点でそうだが、今回の行程は乗車時間のエンターテインメント性がかなり充実している行程だ。

 

かくして、列車は終点・会津若松へと到着した。

津川から乗車して2時間ちょっとという時間だったが、見どころが盛りだくさんで楽しかった。

降車時、誰もいなくなったグリーン車

展望室を外から見るとこんな感じ

丁度ばんえつ物語号と入れ替わりのような形で、会津鉄道の「お座トロ展望列車」というお座敷(要するに掘りごたつ)とトロッコ(窓のない開放的な作りなやつ)を併設した観光列車が出発していくところだったのでそれを眺めたりもした。13:34発の列車なので、13:36初のSLからは乗り継げない列車だが、微妙に出発が遅れていたのかちょうど見られたようである。
会津若松はSLやお座トロのほかにも、DL(ディーゼル機関車)で走る「大樹」という列車や只見線の観光列車である「風っこ只見線満喫号」という列車も乗り入れる駅なので、観光列車目的で足を運ぶ人も多いのではないかと思われる。
ダイヤ的に全部乗ろうと思うと1日では厳しいので、そういう使い方をする人はなかなかいないだろうな。

お座トロを見送ったあとは、改札口に向かった。
ばんえつ物語号は頭端式ホーム(行き止まりのホーム)に到着しており、先頭に向かっていくとそこが出口改札の通路という作りになっている。SLに乗っていた人は、最後、先頭でSLの写真を撮って駅を後にする……ということになるわけだ。
私も他の乗客と同じように、一番前まで行って写真を撮った。


写真を取ろうとして気が付いたのだけれど、この場所、20年以上前に写真を撮ったところと全く同じ場所なのだ。乗る前だったか乗ってきた後だったかは記憶が定かではないのだけれど、この場所でSLを背に写真を撮ってもらうためにポーズを取ったら撮り鉄から怒号が飛んできたという、まあそのちょっとした因縁の地がここである。
当時どう思ったかはあんまり覚えていないけれど、私にとってはかなりなつかしさのある場所ということで思わず同じような角度で写真を撮ってしまった。終着駅だからか写真撮影用の列整理もしていないし、撮影係の人もいなかったので、今でも過激な撮り鉄が居たりしないかと少しきょろきょろしてしまったが、幸いそういうことはなく、みんな普通に写真撮影をしていた。

 

会津若松:散策>



会津若松駅と言えば、赤べこである。赤べこあかべぇはボタンを押すと喋って歌って動くので、さっそくやっておく。


これこれ。
私自身、会津若松を訪れるのは6,7年ぶりくらい。ただその時駅には寄っていない気がするので、あかべぇと対面するのはかなり久しぶりだ。ただこの「あかべぇ」は年に1回くらい友人の誰かしらが訪れており、そのたびに喋って歌う様子を撮影するのが半ばお決まりになっているせいで全然珍しいとか久しぶりとか言う感覚はなかった。対面は久しぶりなはずなんだけどな。
まあでも、これを見ると凄く「会津若松に来たな」という気分になるのでいい。

 

まあそれはそれとして、昼食の時間である。


行程表を見た時点でお昼ご飯はソースかつ丼にしたいと思っていたので、まっすぐ駅前の「マルモ食堂」に向かう。創業120年と入り口に大きく書かれた老舗の食堂で、雰囲気としてはめちゃくちゃに「昭和」という感じ。赤い簡易テーブルに赤いパイプ椅子、メニュー表は壁掛けのものと手書きの紙が入り混じったもの。

注文はもちろん、ソースかつ丼にした。
丁度みんなお客さんが入ったばっかりだったので、提供に少し時間がかかる旨を先に伝えられる。全然問題ない。1時間出てこないとかなら考えるけれど、たぶんそこまではならいないだろうと踏んで、気長に待つことにした。


どうでもいい話だが、水を飲むためにマスクを外したら、SLの煤の影響でうっすら黒になっていて笑ってしまった。

紐のあたりの色が正しい色

煤だらけなのでなんか吸い込んでそうだなとは思っていたが、よく考えてみればそりゃあマスクにはしっかり色もつくだろう。使い捨てなのでまあ別に新しいものにすればいいだけで特に影響はなかったが、昔の人は煤をこの勢いで吸って健康を害したりしなかったのだろうか。特に機関車に乗り込んでいる人とか。

 

20分くらいで、ソースかつ丼が提供された。思ったよりは待たなかった。

ソースかつ丼

途中別のお客さんが「ラーメンネギ抜きって言ったのに入ってるんですけど」みたいなやり取りをしていたり、これまた別の席の子供が料理を待ちきれなくてぐずぐず文句を言いだしたりとやや(大丈夫か……?)となる場面はあったが、普通にソースかつ丼は提供されて、そして普通に美味しかった。揚げたてだし、やっぱり美味しい。

食べながら私はこの後の行程について考えるなどした。


この後の行程については、行程表としては2パターンの選択制になっていた。

14:55の会津鉄道で「塔のへつり」まで移動して観光をするパターンと、16:24の列車まで会津若松を離れないという2パターンを選択するようになっていた。この日の会津若松は「会津まつり 2023」という祭りが開催されており、大名行列も出るということでかなりの人出が予想されていたので、それを見に行くかあるいは喧騒を避けて別の場所へ行くか、という選択である。
私はそういうお祭りは好きだし、「出会った日こそがChance Day」ということでチャンスを逃さず、会津若松で16:24まで祭りの雰囲気を味わいながら散策して回ることにした。祭りだ、祭りだ。

 

時間的にはかなり余裕があるので、徒歩で祭りに伴って出ている大名行列を追いかけてみることにする。

 

公式サイトに載っているルートと通過時間から考えると、会津若松の駅前からはもういなくなって久しいという状態だった。けれども行列は少し本道を逸れて七日町の方を経由しつつ鶴ヶ城に向かうルートを取るということで、私が適当に鶴ヶ城に向かって歩いていけばいずれ大名行列とかち当たるだろうという予測が立っていたので、食後は鶴ヶ城に向けて大通りを歩いて進むことにした。

会津若松の駅前は行列の通り過ぎた後ということであまり人は多くなかったが、鶴ヶ城に向かって歩いていくとだんだん人出が増えてくる。

アーケードに差し掛かると、屋台が立ち並んでいていかにも祭り、という雰囲気になっていた。

思いのほか中高生くらいの人出が多かった

まあただこの辺りはもう大名行列などの催し物が通り過ぎた後なので、車道の規制は解除されていっていた。直前まで規制されていたものが順々に解除されていくのを、私があとから追いかけていくような形で進んでいく。それはそれで面白い
道を封鎖していた看板などをどけて、パトカーが先導して道路を開通させていく様子というのは案外非日常感があるものだ。信号機などは警察が操作して制御できわけだが、実際にそれをしているところに遭遇することはめったにない。だいたい祭りか、それか要人を通したりするときくらいだろう。
祭りそのものではないが、これはこれで面白かった。

 

大名行列を見に行く途中ではあったが、「蒲生氏郷墓所」の看板があったので、道を逸れて見学しに行く。

瑞雲山興徳寺の敷地内にある石碑と、墓所(両方の写真奥)



蒲生氏郷織田信長豊臣秀吉に仕えた武将で、現在の会津若松の基礎を築いた人物として知られる。これから向かおうとしている鶴ヶ城を築いたのも、元々「黒川」という地名だったのを「若松」に改めたのも蒲生氏郷だ。

信長の野望」をプレイしていると蒲生氏郷はなんとなく西の方の武将であるイメージがある。1590年に会津に入封してくるまでは近江や伊勢あたりを領有しているせいで大抵そのあたりで名前をよく見かけるからだ。94年に上洛し翌年亡くなっているので会津にはだいたい4年くらいしかいなかったわけなので決してイメージ先行というわけではないのだが、それだけの期間に築城・城下町整備・街の改称など行ったおかげで、会津藩ひいては現在の会津若松の基礎を築いた人物として知られることになる。

 


寄り道をしつつアーケードを抜けさらに鶴ヶ城の方へ向かうと、城の手前の交差点で人だかりにぶつかった。
七日町方面を経由してきた大名行列に追いついたのだ。

大名行列


この大名行列は正式には「会津藩公行列」というもので、歴代の領主を中心に構成された行列ということである。誰にでもわかるように隊の名前や人物名などの「のぼり」が掲げられて行進していくが、領主など著名な人物には直接名札が付けられていたりしてさらにわかりやすかった。

肩に札が付いている



私が行った時には既に幕末近辺であったようで、最後の会津藩主である松平容保公の名札を付けた人が馬上で手を振って沿道の観客の歓声に応えるなどしていた。また、幕末の会津藩と言えば有名な「白虎隊」なども、史実に寄せるような形で衣装や道具をそろえ、かつ中高生くらいの若者中心で構成されており、かなり力の入った様相を呈していて見ごたえがあった。白虎隊だけでなく、ちゃんと青龍隊になれば年齢層が成人男性中心に変わり、最後の方にやってきた玄武隊はこれまたちゃんと史実通り50歳代(のように見られる)人たちで構成されていて、全般的になかなかこだわって編成されているのがよくわかった。

 

クオリティもなかなかのものだったが、面白かったのは沿道からの歓声である。拍手で迎えたり「頑張って!」とかそういう声が飛んだりしていたので、地域の運動会に通じるところがあるな、と思ったりした。まあ実際城から会津若松の駅や七日町を経由して戻ってくるコースだと歩くだけでかなりの距離であるから普通に大変ではあったと思う。猛暑日はもう終わっていたとはいえ甲冑などもあり消耗するだろうから、時々休憩したりしていたのだろうか。
私が見たのは城に戻ってくる最後のクライマックスみたいなところだったので、みんなもうあと少しだぞ、という感じで拍手でお出迎えしていたのかもしれない。
青竜隊が途中気合を入れる掛け声などをしている場面があったりはしたが、それ以外は比較的和やかに穏やかに進んでいく行列だった。

 


私は行列の一番後ろあたりと同じくらいの場所で適当に歩いて鶴ヶ城の入り口まで来たのだけれど、特に規制なども何もないのでそのまま玄武隊の後ろを付いていくような形で入城した。

 

 

これが会津藩の中心、鶴ヶ城である。

 

正式には若松城という名称になるようだが、地元などの呼称は鶴ヶ城ということで概ね固定されている。
明治初期に一度天守などの建物は壊されてしまったが、戦後復元されたのが今の鶴ヶ城の姿だ。濠を使ってボートレース場を作る計画があったとか、お金がなかったので本丸跡地に競輪場があったとかいう謎のエピソードがちらほら混ざっているが、そういう時代を経て再建された天守閣は今では博物館となっている。
たぶんだけれども、昔一度中には入ったことがあると思う。ちゃんと覚えてはいないが、城には来たような、来ていないような。
時間的には余裕があったが、祭りのタイミングでさすがに混雑していたのもあって、今回は中には入らなかった。城本体に入るよりも、祭りの雰囲気を楽しむのを優先した格好である。歩いて会津若松の駅まで戻ろうと思っていたので、ここで変に時間を気にして動くよりは、ゆっくり時間を掛けながら街を歩くほうがいいかなという判断だ。
まあでもあれだ、こういうのは「次に来る理由になる」ので、それはそれでいいだろう。ちょっとマイナーなスポットだとそれだけのために来るの可能性は低いが、鶴ヶ城レベルの大きなスポットであれば、これを目当てにまた来ることができるだろうと、そう思っている。また時間をかけて見る機会を作ろうと思いながら、私は鶴ヶ城を後にした。

 

城の敷地を出た時点で、15:30になっていた。会津若松駅16:24発の列車に乗ればいいのでだいぶ余裕がある。駅としては西若松あるいは七日町という駅が近くにあるのでそこから乗車しても良かったのだけれど、「お土産を買いたい」「普通列車なので座れなくなったら困る」という理由もあって、会津若松駅まで戻ることにした。
バスやタクシーを使う選択肢があったが、時間があるので歩いて駅まで戻った。


駅に戻ってお土産の方に行こうと思っていたら、奥の方から何やら見知った顔が歩いてくるのを見つけてしまう。
そう、この「行程シャッフルフェスティバル」の別の参加者が同じ時間に会津若松の駅にいたのだ。第一回開催ではまるきり遠くに飛ばされていたのでそれぞれのメンバーが途中で出会うことはなかったが、今回なんと別ルートから来てそれぞれ会津若松駅で鉢合わせるという行程になっていたのだ。
お互いの行程は公開していないので、本当に偶然のことだった。「#行程シャッフルフェスティバル」のタグで他メンバーの行動はある程度追えるのでニアミスしそうだなとは思っていたが、ニアミスどころかしっかりと鉢合わせた。
改札前くらいの場所でいきなり鞄を叩いたので、相手はものすごくびっくりしていた。

駅前の赤べこあかべぇで遭遇記念撮影をした後、それぞれどうも別の列車に乗り込むということで別れた。10分少々の邂逅だった。朝4:20に出発するときに会話をして以来10時間弱ぶりに会い、そして再び別れるという何とも不思議な光景である。一緒に集まってるのに一緒に旅行はしていない、まあそういう企画ならではだろう。
この後最終目的地で会うことになるわけだが、それはまた7時間も後のことになる。

 

お土産を買うなどして少し時間を使った後、改札に入る。

 

跨線橋から見る景色が思いのほか綺麗だったので写真を撮ったが、今見返しても結構いい景色だな、と思う。ここまで結構曇りがちだったのだけれど、会津若松を離れる最後の段階が一番晴れていた。

 

10分ほど時間的にはまだ余裕があったが、乗車予定の列車はすでにホームに到着していた。

「リレー152号」と時刻表には記載があったが、特段普通の列車だった

<会津若松駅 16:24発 会津鉄道会津線会津田島行き ⇒ 会津田島駅 17:35着>

 

車両は一両編成のローカルな気動車だった。行楽シーズンということもあって、出発間際には座席がすべて埋まる程度には混雑していたので、早めに乗り込んでおいて正解だった。
私の座ったボックス席にはテーブルのようなものが付いていたが、4人掛けの席に3人座っているような状態であり、特にこれを広げて何かをしたりはしなかった。座席の間隔としては通常のボックス席とさほど変わらないので、私は鞄を抱えながら窓際の席で小さくなって過ごした。

友人同士などであれば広げて使っても問題なかっただろう


列車は定刻通り、会津若松を出発した。

また来よう、会津若松。楽しかった。

途中の「芦ノ牧温泉駅」の駅長がねこ駅長ということで、車両内の広告スペースが全部ねこ

 

さて、ここから先は私鉄列車の旅である。

会津若松から2駅ほど行くと西若松という駅があるが、先ほどまでいた鶴ヶ城から西に1kmの地点にある駅で、ここがJR只見線会津鉄道会津線の分岐駅だ。すべての列車は会津若松から直通しているので乗り換えの必要はないが、乗車券的にはここが一つの区切りということになる。

府中本町→西若松の乗車券

西若松から先は会津鉄道会津線福島県のど真ん中を南北に貫いている路線で、私はひたすらこの路線で南下することになる。

 

私は会津若松でたくさん歩いたのもあって、乗車してすぐに寝落ちした。会津田島までの間、ほとんど起きていた記憶がない。それなりに見どころのある路線なので起きていた方が良いのはわかっていたが、眠気には抗えなかった。
これは私なりのルールというか心がけなのだけれど、初めて乗る路線であればそこそこ頑張って起きている努力をする場合が多い。何が何でも景色を眺めていなければいけないとかそういう厳しい縛りではないが、一応、初めて通るところは見ておきたいなと思うわけだ。
会津鉄道会津線に関しては過去乗車の経験があるので、まあいいか、ということであっさりと抵抗もせず寝落ちした。

ただまあ、途中の塔のへつり駅あたりは見ておきたかったな、と思う。塔のへつり駅からは国指定天然記念物である「塔のへつり」本体は見ることができないが、駅のたたずまいが結構独特で好きなのだ。
列車の中から見ても、塔のへつり側から歩いてきても、「森の中を進んでいくといきなり現れる」という感じがあって結構面白い。通ったらちょっと見ておきたかった。


首元に寝汗をかくくらい爆睡して、気が付いたら会津田島駅に到着した。

すっかり夕方の雰囲気


乗り換えに10分強時間があったので、駅の外に出る。
猛暑は過ぎていたとはいえ昼間は27,8℃くらいあったが、日が暮れてきたのと、会津田島が結構高地にあるということもありだいぶ肌寒くなっていた。調べると22℃くらいしかなかったので、半袖だと涼しいよりも寒いというのが近くなっていた。前日に雨が降ったりして、急に秋めいてきたタイミングというのもあるだろう。

まあ、暑いよりはずっと快適だと思う。

 

駅の脇に蒸気機関車が展示されていたので、見に行く。

C11 254 という形式らしい

先ほどばんえつ物語号で見たものよりはかなり小型のタイプだ。
ばんえつ物語号で使われているようなサイズのものは優等列車として、会津田島で保存・展示されているような小型タイプはローカル線の普通列車として活用されていたらしい。
また、蒸気機関車は全然詳しくないので知らなかったが、あとから調べたら、新橋駅前のSL広場に展示されているのと同型ということになるようだ。小さくて取り回しが良くてそれなりにスピードも出たので重宝していたらしい。


駅に戻ると乗車予定の列車の改札が始まっていた。列に並んで私もホームへと向かう。

 

<会津田島駅 17:48発 会津鉄道会津線 リバティ会津152号・浅草行き ⇒ 鬼怒川温泉駅 18:53着>

3両編成の特急列車

先ほど会津若松から乗ってきた列車が「リレー号」と付いていたのは、この列車への接続のためだ。リバティ会津に乗り継ぎができるようにダイヤが設定されている。以前は会津田島をまたいで走行する列車もたくさんあったのだけれど、今はほとんどない(AIZUマウントエクスプレスしかない)のでこのように普通列車との乗り継ぎをする形式が主流になった。

普通列車も悪くないけれど、やっぱり旅の後半はこういったリクライニングのある座席というのがありがたい。

座席はコンセント付き(場所は変だけども)

コンセントが座席の内側についているというやや謎な構造(差し込むと普通に邪魔ではある)が、付いているだけありがたいというものだ。新幹線で充電して以降はモバイルバッテリー頼りだったので、ここで充電できるというのはかなり助かった。私のスマホがバッテリー交換したのにバッテリー性能がイマイチということと、電波の悪い区間などでスマホを使うと結構充電を消費するということもあってややピンチだったので、ちょうどいいタイミングでコンセント付き車両に乗れて良かった。

降車予定の鬼怒川温泉駅まではトンネルが多いので、スマホを充電しつつぼんやり寝たり起きたりしながら過ごした。

 


18:53、鬼怒川温泉駅着。あたりはすっかり暗くなっていた。

列車は浅草行きだがここで降車

どうでもいいけど、「東武ワールドスクウェア」ってひらがなで書くとこんな感じなんだな。ものすごい違和感。

 

土曜日ということで昼間は観光客でにぎわったと思しき鬼怒川温泉駅だが、19時近くにもなるとさすがにほとんど人影は見られない。浅草方面の特急列車は次の1本で最後なので日帰りの人はもうほとんどいないだろうし、滞在する人もだいたいこの時間には旅館やホテルに行って夕飯を食べていたり温泉に入っているんだろうな。

次の列車を待っていると思しき人が待合室に2組くらい居たが、それ以外に目立った人影はなく、駅前はかなり静かだった。
たぶん昼間は結構人がいたんだろうな、と思うと、この誰もいない駅前というのもそれはそれで味があっていい。夜の閑散とした観光地からしか得られない良さというものがある。

 

列車到着時以外はこんな雰囲気

夕食の時間はこの後特に設けられていなかったので、駅か駅前で何か軽く食べられるものを探そうと思ったのだけれど、駅中の店は既に営業を終了しており、コンビニもやや離れた場所にあるため特に何も買うことはしなかった。乗車予定の列車は19:29発ということで30分くらいは時間があったが、500mくらい先のコンビニに往復するのも……と思ってやめた。そこまでお腹が空いているわけではなかったのもあって、無理はしなかった。

さすがに日も暮れて半袖では寒いなと思いつつも、気になるものがあると寄ってしまうのが性である。
駅に戻る前に、ライトアップされた転車台を見に行った。

駅前広場に引き込まれた線路と転車台

以前、確か8,9年くらい前に鬼怒川温泉駅に来た時にはこの転車台はここになかった気がするのだけれど、調べてみたら案の定、東武鉄道のSL復活プロジェクトにあわせて設置されたものであることが分かった。SL大樹は2017年からの運行開始であるから、ちょうど以前きたときの翌年とかに設置されたのだろう。
この転車台はJR西日本の三次駅にあったものだということだが、2016年に三次に行った時に転車台が撤去された跡を見たので、なるほどそれがここに来ていたのか、と点と点がつながったようなちょっと不思議な気持ちになるなどした。

2016年7月の三次駅横転車台跡

地図には転車台の記載があった
今でもGoogleMapとかに記載が残っている

 

東武に譲渡されたとかいう話はその当時調べたような気もするが、案外すぐに忘れるものである。こうやって目の前にしてようやくピンと来るだけいいほうだ。でもまあ、すっかり忘れていたとしても、こうやって「あの時のあれか!」となる感覚は残っているわけだからいいんだと思う。

駅前を軽く歩き、まったくお湯の残っていない足湯などを見た後、トイレなどを済ませて改札内へと入ることにした。
乗車予定の列車は鬼怒川温泉駅が始発なので、多少早くても乗れるんじゃないかと思ったからだ。地方の駅などでは有人改札だったりしするので「改札中」以外はホームに入れなかったりするが、鬼怒川温泉駅までくればもう東武鉄道の自動改札設置駅なわけで、車両に入れなくともホームには入れる。

 

特に見るものはないので、改札を通ってホームへと向かった。

 

<鬼怒川温泉駅 19:29発 東武鬼怒川線 きぬ154号・浅草行き ⇒ 浅草駅 21:35着>

 

デラックスロマンスカー時代(30年前くらい)のカラーリングらしい

一部の座席はまだ清掃中だったが、私の乗る車両についてはもう清掃が終わっているようで、乗車してしまっても問題ないようだった。行程表と切符を見ながら、私は座席へと向かう。
乗る直前に気が付いたのだけれど、行程表には乗車する座席について「6号車1番」までしか書いていなかった。東武の特急列車って番号だけで指定されてるんだったかな、などと(リバティ会津は違ったのに)ボケたことを思ったりしていたが、件の6号車にたどり着いた後で目が覚める。

何やら仕切りの向こうに座席がある、つまり

これ、個室だ。

番号までしか指定してないんじゃない、番号が割り振られた個室だ。

まさかのここにきて個室席を宛がわれるの巻

個 室 - 1


いやいやいや。待て待て待て。

最大4人同時に乗ることのできる個室じゃないか、これ。


グランクラスの時は切符を貰った時点で気が付いていたが、このスペーシアの個室は本当に目の前で見るまで全く気が付いておらず、6号車に到達して初めて事の重大さに気が付いたような次第だった。
今回の行程は、乗車時間に対するエンタメ性というか、乗車時間を楽しんでほしいというような意図が端々に感じられる行程だと思っていたが、まさかこの終盤で個室が登場すると思わなかった。

 

中央には大理石のテーブル

良く見れば切符に「個室」表記がある

いやもうほんと、「特別」が過ぎる。

個室座席というのは言うまでもなくレア座席である。レアだし、ロマンというか。観光列車などに個室座席というのは用意されていたりするのだけれど、そういう時でも上手い事工夫しないと座れないような場合の多いような座席であることが多い。さすがにこのきぬ154号は土曜のこの時間ということもあって空いていたが、通常の旅行でこれを狙うような行程を組むのがそもそも難しいわけで、いやはやこの行程作成者のホスピタリティには脱帽である。

しかもこれ、終点の浅草まで確保されているというのがまた憎い演出である。本来、終着地点が取手であることを考えると、北千住で常磐線に乗り換えるルートが定石となるだろう。しかし、この個室を最初から最後まで味わってほしいという行程作成者の意図として、浅草までの座席が確保されているわけだ。

グランクラスにSLばんえつ物語号にスペーシアの個室。1年分の鉄道旅行を濃縮して渡されたような、そんな感じ。強い、強すぎる。

猛烈な贅沢をしているようで、実は私が作成して他の人に渡した行程とかかっている費用がさほど変わらないということもあり、そういう意味でも本当に良く練られた旅程だと言える。

まあ贅沢は贅沢なんだけどさ、それなりに。

 

 

そんな贅沢な環境を、旅の終盤ということもありゆったりと利用させてもらった。
最初の30分くらいは座ったままの状態で寝ていたと思うが、会津若松から結構そんな感じで寝たり起きたりで過ごしてきたので、いい加減寝るのもだんだん疲れてきてしまったのが結構キツかったりもした。夜行バスで0泊3日の旅をした時の帰りのバスに似てるな、なんてことを思ったりしながら適当にやり過ごしていた。

ただあれだ、夜の北千住から浅草に至るまでの景色、これは結構良かった。北千住から先は街を縫うような形で線路が敷かれているのでカーブが多く、建物の間からちらりちらりとスカイツリーがたまに顔を出すような形になるのだけれど、気が付いたらめちゃくちゃ近づいていて、そしてスカイツリーの真下に到達する。そうだよな、だって「東武スカイツリーライン」って愛称だもんな、ここ。
とうきょうスカイツリー駅を発車すると、あとはもう本当に最後の最後、浅草駅へとゆっくり進んでいく。浅草駅手前の隅田川にかかる橋をゆっくり通っていくところがこの旅行のウイニングランというか、ゴールというようなものに感じられた。
橋を渡って大きなカーブを進みながら浅草駅に入っていく。旅ももう終わりだ。

東武の浅草駅

いや実に長い旅だった、などと思っていたが、全然終わりではなかった。
浅草駅21:35着ではあるが、まだまだ旅は終わらない。

 

何せ行程表には、
「せっかくなので浅草寺でも寄ろう」
と書かれているのだ。

 

何故寄らなきゃならないか?
それはまあ、次の列車の乗車駅までどうせ徒歩で移動しなければならないからだ。まあそうなんだよね、そうなんだ。だってゴールは浅草ではなくて取手だもんね、取手。取手というのは茨城県だ。うっかり浅草まで南下してきてしまったが、取手は埼玉とか千葉とかを抜けて行かないとたどり着けないわけだ。
そうだよ、分かっていた。

 

私は浅草駅を後にして、浅草寺方面へと向かった。

 

 

<浅草:徒歩移動>

 

こういう機会でもないと、夜のこんな時間に浅草をうろつくこともないだろう。だいたい昼間に来る街なんだよな、浅草って。

 

浅草は東京の中では何故だかわからないが夜が早い町である。

21時半ともなると多くの店は締まっている。飲み屋であっても遅くまで営業している店は結構少ないのだ。どうも老舗ほど早く閉まるらしく、昼間観光客でごった返しているようなあたりはだいたい20時くらいですっかりみんな店じまいしてしまう。

電気ブラン」で有名な神谷バーも21時には閉まる


店が開いていないので観光客の姿はまばらだ。そりゃあまあ「東京の夜にしては人が少ない」というくらいのものなので歩いている人はそれなりにいるけれど、土日の昼間の盛況ぶりに比べたら全然だ。
せっかく人が少ないので、雷門をくぐって浅草寺に向かうことにする。
人が多いと下をくぐるのもままならなかったりして大変だが、夜の浅草はそういう懸念がなくていい。

やっぱり浅草と言えばこれかなと

仲見世通りもこの通り

店が何も開いていないというデメリットはあるが、浅草の雰囲気を味わうにはこの夜遅い時間というのも結構いいかもしれない。サクサク歩けるのでなんだか浅草じゃないみたいだ。まあなんか、芋ようかんとか、あげまんじゅうとかそういうものを買いながらの浅草とはまた全然別物という感じ。両方知っているといいってことかもしれない。

まあなんか、本殿手前の宝蔵門のところで「This is KAMINARIMON!」っていう間違った観光案内をしている人がいてそれが一番面白かったんだけどね。雷門にはちゃんと雷門って書いてある提灯が飾ってあるので……。

 

 

五重塔と宝蔵門

進路的には五重塔方面に折れていくのが正しいが、せっかくここまで来たので本殿でお参りをしていく。

 

さすがにこの時間だと線香も炊かれていない。

煙を頭とか顔とかにかけるといいんだっけかな、確か。昼間なら人だかりができているんだけれど、この時間は全員スルー。まあそうだよな。

一応ちゃんとお参りもして、それから浅草寺を後にした。
門を抜けて少し先のホッピー通りだけはこの時間でも普通に飲み屋が営業していて、そこだけ人がたくさんいて賑わっていた。

浅草の特異点、ホッピー通り


ホッピー通りからドン・キホーテまでのあたりはちょっと治安的に怪しい雰囲気もあるが、まあなんか気にせず通り抜ける。
そうしてたどり着いたのは、つくばエクスプレスの浅草駅だ。

かなり地下深くにあるため、降りても降りてもホームにたどり着かない

 


東武や地下鉄の浅草と駅名は一緒なのに、徒歩10分くらいは離れている。完全に別の駅だ。というか一番近い駅は銀座線の田原町なので、なんで「新浅草」とかじゃないんだろうと思うが、地元が強く浅草駅にして欲しいと推したことによる結果らしいので仕方がない。
昼間は人が多いので10分で乗り換えるのはちょっと厳しい気もするが、夜だとスムーズに歩けるので快適だった。

行程表的には22:20発の列車に乗るように記載があったが、早く到着したので22:05の列車に乗ることができた。


<(TX)浅草駅 22:05発 つくばエクスプレス快速・つくば行き ⇒ 守屋駅 22:32着>

 

始発が秋葉原なので席は空いていないかもしれないと思ったが、運よく座席に座ることができた。たまたまだけれど、この日乗った列車すべてで座席に座れている。自由席が少ないというのもあるけれど、そのあたり上手い事やれて本当に良かった。
特につくばエクスプレスはここから30分弱乗るわけで、最終盤に立っているのはちょっと辛いだろうなと思っていたので本当に助かった。


北千住でたくさん人が乗ってきたので、もし特急を北千住で降りてつくばエクスプレスに乗り換えということになっていたらまず座れなかっただろうな、と思う。南流山で結構人は降りたけれど、正直守谷まで座れないとか普通にあったと思う。


もう最後なのでスマホの充電などもあまり気にせず時間をつぶして、守谷到着を待った。

守谷には定刻通の22:32着。乗り換え先が22:36発ということでやや速足で歩いて駅を移動する。次が23:57発と20分待たされることになるのでそれは避けたかった。

4分で間に合うよな? と思いつつ、微妙にコンコースが広い駅なので気持ち的には少し焦りつつ改札を通り抜けた。

 

最後の乗り換え

<守谷駅 22:36発 関東鉄道常総線・取手行き ⇒ 取手駅 22:54着>

乗り換えできるかちょっと焦ったりもしたが、発車1分前にホームに到着したので列車を写真に収める余裕はあった。

2両編成の気動車

常総線に乗るのは初めてだったが、そういったものを感じる余裕はなく、最後の列車に間に合って良かったという気持ちの方が大きかった。
守谷から取手まで18分。取手の駅ではもう2人のメンバーが待っているという。
着時間を連携して、私は取手駅到着を待った。

そして、ついに。

 

<取手駅 22:54 到着>

 

とうとう取手駅に到着した。

長かった。本当に長かった。

 

関東鉄道取手駅改札

 

4:32に府中を出発して、22:54に取手着。

行動時間は実に18時間という、とにかく長い旅だった。長いのにずっしりと実が詰まっていて本当に濃厚な時間だった。
めちゃくちゃだ。あまりにめちゃくちゃだ。かなり疲れて、取手駅到着時にはもうヘロヘロもいいところだった。
でもものすごく楽しかった。1日をこんなに有意義に使う事なんてそうそうないよ、普通。仕事が忙しくて最近毎日12時間働いているのは本当に最悪だけれど、こういう18時間は本当に良いね、本当に。時間がどんなにあっても足りないというのは仕事なんかでは味わいたくない、旅でこそ味わいたい。


この後残りのもう1人とも合流して、夜中まで営業しているスーパー銭湯へと向かった。
一日の疲れを癒して、じゃあ寝ようか……となるわけもなく、我々は4人で部屋に入った後はひとしきり確認の行程についての感想戦を繰り広げるのであった。

 

<行程終了・まとめとか感想とか>


前回、8時前くらいからスタートして20時半くらいに帰って来るという行程だったが、今回は4時半から23時という行程でなかなか毛色の違う行程だった。
ハードはハードだったけれど、中身がものすごく濃くて良かった。

行程表を受け取った時は正直驚いた(その時点で午前2時とかだったので余計に)のだけれど、「自分では計画しないであろう行程」を引いたのはこの企画上では非常に良かったと思う。自分の旅行の幅が広がったというか、なんというか。
前回もバスや船をフル活用するという自分にあまりなかった発想の行程で、今回は1日をフル活用してなおかつ乗車時のエンタメ性も確保するという欲張りセットプランな行程ということで、これもまた新しい扉だったと思う。自分ではあんまりそういうプランを組まないかなと思うからこそ余計に、「旅程を押し付けられて」良かったと思う。

知らない発想で旅をする、というのは新しい発見がたくさんあって本当に面白い。
この企画のキモみたいなものだ。

もう一つ、大きな要素としては、「旅程を押し付ける」側の視点である。これも本当に面白かった。行程を実施しながら繰り広げられるつぶやきを見たり、帰ってきて感想戦をしたり。
また私の旅程については、今回実行者がブログをわざわざ立ち上げて書いてくれたのだけれど、こういうのが本当に面白いんだよな、と改めて思った。

hakutakayamamo.hatenablog.com

 

私の旅程を押し付けられた人がどう感じながら旅をしてきたのか。
これはもう本当に面白くて面白くて仕方がない。いろいろ考えて練り上げた計画を前日に渡されてはいどうぞと放り出されて、後はもう行程表通りに動いていくことになるわけだが、それを「見ている側」になるのもなかなか他には代えがたい良さがある。
これはいいだろうと思って差し込んだ行程があんまり刺さっていなかったり、逆に適当にダイヤなどの都合で差し込んだ行程がいい感じに刺さっていたりもするので、なかなかどうして悪くない。


感想戦をするときはまず実際に行ってきた人が行程と感想を話した後、作成者がそれを受けて旅程の意図などを話すという流れで行われるが、まあこれが盛り上がらないわけがないよね、というわけだ。
SLばんえつ物語号の中ではがきを出すなどの指令はユーモアがあって面白かったとか、グランクラスを確保したりSLのグリーン車スペーシアの個室を確保したのは凄いとか、そういう話も交えつつ、朝が始発なのは大変だったとか鬼怒川で食糧確保はできなかったとかそういう話もあったりして。いやでもそれは、とか、それは実はこういう意図が、とかそういう話をしていたら結局やっぱり午前3時くらいまでみんなでいろいろ話し込んでしまうことになったりして。

いやでもほんと、皆、一人旅についてはいろいろ核というか色というかそういうものを持っているんだな、というのを改めて感じた。

全然まだまだ分からないけれど、とにかく今回も面白かった。面白すぎた。こうやって振り返って記事を書いているだけでもいろいろ思いだして楽しかったので、他の人の感想が改めて書かれたりするのも楽しみだ。
まあ全然書くのを強制するものではないので、あったらいいな、というくらいだけれど。
計画した・された以外にもシャッフルされた行程があるわけで、その話もなかなか面白いものだ。4人で開催したら、8通りの面白さがあるとまあそういうわけだ。
今後もまた機会があればやってみたいと思っているが、次やるときにはちょっとまた趣向を変えてみてもいいんじゃないか、という話も出た。

例えば、ペア開催とか。
2人組でお互いに旅程を交換するというパターンでもまた違った行程ができていいんじゃないかという話だ。旅程を渡す相手がわかってればその人を想定した旅程が組めるし、計画時の切符確保などの難易度が下がる。今回「直前に切符を用意する(そうすると誰が計画したのかわかりにくくなる)」というところが難しかったのもあって、いっそ渡す相手は特定した状態でもいいんじゃないかなという話になった。
あとは、旅行中に話し相手ができるので2人組というのも悪くないと思う。移動などで暇な時間が生まれるので、話し相手が居たほうがいい瞬間というのは結構ありそうだというのも、今回感じる場面があったりはした。まあ寝ていたりしたらあんまり意味はないけれど、2人組には2人組なりの旅程の作り方があるわけで、これはこれで考えたら面白いだろうなというのはある。

他には、持ち回り開催案も挙がった。
例えばGWなどを使って3泊4日で開催し、1日ずつ行程作成を分担して旅を進めるというものである。泊まる場所だけあらかじめ決めておいて、今日は誰の担当、今日は誰の担当、という感じで毎日持ち回りで旅をしていく。これも結構面白そうだと思うけれど、長めの休みを使わないといけなくなるので、2回にわけるとか、日帰り開催×人数にするとか柔軟に工夫する必要がありそうだ。

あと、一番面白そうだったのは、「本当に他人に押し付けてしまう」という案である。
これはもう単純で、我々4人作った予定を、全然関係ない別の友人に押し付けてしまうというものである。参加費として1万円くらい出してもらって、代わりに予定と切符や移動の交通費などを渡して行ってきてもらうというわけである。
仕事をやめるとかして1ヶ月くらい有休消化する、なんて人がいたらぜひ連絡してきてほしい。それこそ3泊4日でどっかに遊びに行ってきて貰えるように計画をするから。
参加費を取るだろうけれど、どう考えても参加費以上の金額の切符とかを用意して渡すだろうし、お得なことは間違いない。まあなんかその代わり、わけわからないところに飛ばされたりするかもしれないけれど。ある種のミステリーツアーに近い。ただし添乗や同行などはしない一人旅だけれど。


とまあこんな感じで、きっとまたどこかで似たようなことをするんじゃないかと思う。
どんな形になるかはわからないが、あれかな、とりあえず今回の「感想の感想」は書いたりするかもしれないな。せっかく自分の行程の感想がブログ化されているわけだし。

 

今回は30000文字も書いてしまったのでこれくらいにしておこう。

それではまた、どこかで。

 

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別の人の行程:

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前回:

 

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