言葉のリハビリ場

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見ていない初夢


初夢というのはいつの夢のことを指すのだろう。そう思っておもむろにWikipediaを開いてみたらば、そこに現れたのはほんのちょっとの記述と、おびただしい数の[要出典]タグであった。これはひどいWikipediaには時々こういうことがあって、まあそんなソースを参照するなと言われればそれまでなのだけれど、ちょっとした文言を調べたいときに検索して最初に引っかかる普遍的なソースとして参照しているWikipediaが[要出典]だらけだとちょっと萎える。
まあそれでとにかく、初夢と調べて何が知りたかったかといえば、初夢とは夜に見たものに限るのかということである。どうもざっと見た感じ、元日の夜なのか、2日なのかとか、大みそかから元日にかけて何か、とかまあいろいろ説があるらしいことは書かれているが、どれもすべて夜に見t種目であることが前提なのである。さらには、元旦から最初に見た夢を初夢とする場合もあるという。これも夜である。
実は、私は元旦から今日にいたるまで夜に夢を見ていない。見たかもしれないが、全く覚えていないし覚えがないわけだ。ところが毎日のように昼寝をしていることもあって、昼寝中はよくわからない夢をいくつも見ている。元日の昼間ですら夢を見ている。もし、昼寝で見た夢も初夢とカウントされるのであれば、元日の昼間に見たしょうもない夢が初夢となるわけである。
まあ残念ながらちょっと調べた限りでは昼寝の夢が初夢になりそうもないということはわかったので、今年の初夢は見ていない、ということにしたい。どうせまたしょうもない夢を見るに決まっている。
夢ではないけれど、あのうとうとしているときに頭の中で考えているわけのわからないこと、あれって何なんだろうな。支離滅裂なのに妙に説得力があったりして、ふっと我に返った瞬間に驚いたり可笑しくなったりするわけである。

ところで、「一富士二鷹三茄子」などと初夢に関しては江戸時代の縁起物について夢を見るのが良いとされることがある。あくまで江戸時代の話なので、そもそも夢にこれらのものが出てくることはないだろう。富士については人生で1度くらいあるかもしれない。鷹は? ソフトバンク「ホークス」でよければ出てきたと言えなくもないか。茄子は……食べているかもしれない、しれないけれどまったく覚えはない。
現代版の縁起が良いものは何だろう。一富士二鷹三茄子は江戸時代のものであるが、現代に置き換えたときにはちょっと思いつかないわけで、じゃあどんな夢を見るのが良いのだろう、とまあこれもさまざま説があって夢占いとか、そういうものに発展してしまっているので調べる手を止めることにした。
調べたってしょうがないこともある。
ただ、「じゃがいもの夢を見ると宝探しの機運があって非常に縁起が良い」というのはちょっと面白いと思った。ものは言いようである。