言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

遅寝、早起き、昼寝

遅めに寝て、それでも早く起きる。ここまでは完璧だ。だが、睡眠時間が身近影響は昼間、というか昼食後にちゃんと表れて、そこでふっと昼寝をしてしまうわけである。このところずっと毎日である。冬の休暇に入って3日間は旅行だったし、大晦日は普通に起きたから何もなかったけれど、そのあと、正月からずっとそんな感じで昼寝をしてしまう生活を過ごしている。
昼寝はいろいろなものを失う。失った感じがすごい。
午前中、ぐっすり寝こけて昼近くになってしまった時はいろいろと絶望感がすごいし、頭痛がしたりして1日棒に振ってしまうんだな、という感じがひしひしと感じられる。ところが昼寝をしてしまった日はどうだろう。寝すぎの頭痛に悩まされることもないし、午前中早く起きたということは何かしら用事があってそれをこなしたということでもあり、いい感じに1日を過ごせそうな、そんな予感がしているのである。午後はあれを片付けておこう、あれを済ませよう、見れなかったものを見ておこう、だなんていろいろ考えている。
それなのに、それなのに、である。昼食後、適当にスマホでもいじったりして、動画なんかを見始めてしまったら最後である。ちょっと休憩をしようかな、と自然と目を閉じて、気が付けば日が暮れている。比喩表現ではなく本当に暮れている。14時とか15時くらいから寝始めて、30分で起きたためしなどない。たいていぐっすりと、2時間近く寝てしまう。そうしたら17時だ。今の季節の17時は日が暮れている。やってしまった絶望感がすごいし、本当にその午後の2時間を失うというのは「何もできなかった感」を増長させるものだ。長い昼寝はそのあと数十分のぼんやりタイムを生むし、じゃあもう今日は何ができるんだ、となるわけだ。
BDを2時間かけて見ておこうとか、そういったことは特に変な、中途半端な時間ではできないことであり、そういうものこそ時間のある暇なときにこなしてしまいたいものである。それができなかった、また来週、翌週なのか、そのあとは予定があるからもっと後?そんなことを考えるとまあ微妙な気持ちになる。

それを正月から今日まで見事にやってしまっているのである。午前中は結構出かけているのに、家で何もできていない感じがするのはこのせいである。そうこうしているうちに時間が来て、じゃあもう明日は仕事が始まるんですよ、と現実を突きつけられているわけである。家にいるとこれだからよくないのだ。旅行に出かけてしまえばこんなことはない。電車の中で寝たりすることはあるけれど、時間のロスでも何でもないし、問題はない。家で、適当に過ごしているとはいえ失う時間というのは……という話である。

もっとも、中途半端な時間にする昼寝ほど気持ちのいいものもない。どうせ眠いのだし、目を使いすぎて疲れたなと思った時、午前中に出歩いて、それから帰ってきてちょっと休憩したいとき、そんなときに寝るのは本当にあらがえない心地よさがある。

明日から仕事はじめなんて信じられないけれど、それなら今日は本当は早く寝ないといけないはずである。けれども昼寝をしたから早く寝ることはできなくて、なんだかんだグダグダと過ごして、遅い時間になっていくわけである。体内時計ってこうして狂っていくんだな、なんて思う時にはもうとっくに狂っているのだ。
今週はずっと眠い日が続きそうだ。ああ、早く家に帰って寝られる週でありますように。