言葉のリハビリ場

好きなことや思い出したこと、忘れていたこと、つらつらと文字にしています。

北九州で食べすぎた話

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北九州空港

この間、用事(推し事)があって小倉へ行ってきた。福岡県北九州市。本州から関門海峡を挟んだ、九州の出入り口の都市である。出入口とはいっても飛行機で訪れる場合は、福岡空港という博多から地下鉄2駅の超便利空港があるがために、北九州というのはあまり訪れたことのない地域になってしまっている。
私は小倉を訪れるのは今回で2回目……ではあったけれど、前回は福岡空港→博多→門司港と一度小倉を通過して観光してから、夜の宿泊拠点として利用しただけ。駅だけで言えばさらにもう1度新山口から博多へ向かうときに在来線で訪れて、乗り換えをしたことはある。モノレールの直接突き刺さった(言い方)形をした面白い造りの駅を、列車待ちの時間になんとなく見るくらいで、にぎわっている様子は見つつまた今度と、何か見て回るのは先送りにされていた。
今回ちょうど用事があったので、せっかくだから、といろいろ見て回ろうと思ったのだけれど、どう間違えたか、間違えていないのか、いろいろ食べまくる旅になってしまった。


12時頃に北九州空港へ到着して、お腹は空いていたのを我慢して小倉駅行きのバスへ。空港で何か食べてもよかったのだけれど、せっかくなので小倉駅で食べたいものがあったので見送った。
食べたかったのはこれ、かしわうどん

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小倉駅ホームで食べられるお手軽かしわうどん。これは7,8番線ホームのもの

かしわとは鶏肉のことである。甘辛い味付けのかしわを載せたうどんは小倉駅の名物である(クッキングパパで紹介している回で見た)。ホームでそのまま注文して食べられる形になっているのでとても便利なうえに、見ているだけで本当に食べたくなるという罪な立地である。

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電車待ちの時間を利用して食べる人が多いのだろう。とかなんとか考えながら食べていたら、私も乗るはずだった列車がやってきて、走り去ってしまっていた。南無三。
小倉駅にはいくつか立ち食いうどんの店が存在するのだけれど、それ以外に立ち食いのラーメン屋もある。うどんが割と少な目(丼が小ぶりだった)だった上に、乗る予定の列車が行ってしまったので、今度はその足でラーメンを食べることにしてしまった。

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ホーム上で食べているとは思えない立派なラーメン

福岡のラーメンは細麺で、替え玉前提の量になっているのか知らないが、するするっと食べられてしまう。うどんを食べた後だということを忘れて普通に1杯食べてしまった。

この日の夜は焼肉を食べ(写真なし)、翌日の朝はホテルの朝食。一日色々食べたのに、翌朝も普通に食べた。何ならお代わりもした。普段そんなに朝ごはんでたくさん食べることはないけれど、旅行の時は特別だ。なんでだろう。旅館とかならわかるけれど、ビジネスホテルでもついたくさん食べてしまう。

 

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昼はこれまた名物のかしわめしである。

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鶏そぼろ、玉子、海苔の三食弁当。ご飯は味付き

地名で言う「北九州」に限らず九州の北側全般でよく食べられているかしわめしは、特急停車駅であればまず間違いなく購入することができる。これは黒崎駅で買ったものだけれど、本当は折尾駅で売られているもののようだ。小倉駅にももちろん売っている。何年か前、鳥栖駅で買って食べたこともあるけれど、それとも結構似ているけれど、それぞれちょっとずつ違った良さがある。面白いものだ。
かしわめしやかしわうどんはかなりメジャーというか、九州全体でもかなり普遍的な存在のようで、コンビニの地域限定商品として採用されているものもあったりするくらいだ。水炊きなんかも名物としてよく挙げられるし、大分に行けばとり天だったり。宮崎はチキン南蛮? あとは熊本では鳥刺しが有名だったりする。探せばもっといっぱいあるだろうけれど、九州において結構「鶏」の存在感は強い。そして美味い。
かしわめしも甘辛の味付けがたまらなくおいしい。甘辛い味付けってのはなんでこうも美味しいのだろう。


夜はリーズナブルな価格の寿司を食べ、

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えびが美味しかった。別に名物とかではない

そんでもって腹ごなしの後でまたラーメンを食べに行った。

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結構遅い時間なので空いている店が少なかったけれど、空いている店に入ったらこれも結構おいしかった。はずれがない。こりゃいいやと寿司を食べたのも忘れて普通に完食。

翌朝はまたホテルで朝食を摂って出かけたはずなのだが、10時過ぎにうっかりパン屋に並んでしまう。

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噂を聞きつけた遠征民と地元民でいっぱい

小倉駅前の名物パン屋、シロヤ。どうでもいいけれどこの店、看板に「フランス菓子」としか書いていないが、ほぼパン屋であった。

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サニーパンという練乳入りのパンを買って食べる。ケーキも売っていたけれど、もはやショーケースごと別に置いてあった。それはそれで美味しそうだったけれど、午前中だったのでスルーしてしまう。

昼ご飯は門司港に移動して名物焼きカレー

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もうこんなの美味いに決まっている。カレー、チーズ、卵。優勝。
間食をしたにもかかわらず、お腹が空いてきたかな? どうかな? というタイミングで普通に一食分食べてしまうのが旅行中の恐ろしいところである。門司港駅からずっと歩いて関門海峡を渡るなど運動は多少しているけれども、それはそれ。カロリーは決して計算したくない。
関門海峡の人道トンネルを渡って下関に移ってフグを食べてみたり、

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小倉に戻って資さんうどんごぼう天うどん(+牛肉)を食べたり。

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名物ごぼう天うどんに牛肉を乗せて

恐ろしい勢いで食べに食べてしまった。うどんの前にラーメンを食べる予定もあるにはあったが、本当にダメになりそうなのでさすがにそれはやめたけれど、まあなんというかどうせ食べすぎではあるよね。手遅れ。

でもまあ、こういう旅もいいよね。

 

交通系ICの呼び方


キャッシュレスの時代が来ている。たぶん。少なくとも私にはガッツリ来ていて、ApplePayに登録している電子マネーのiDを普段のコンビニとかの買い物で活用しまくっている。あれはクレジットカードをApplePayへ登録したら勝手にiDとして使えるようになっただけのものなのだけれど、思いのほか便利で助かっている。
でもまあキャッシュレス決済の活用は今に始まった話ではなくて、例えば交通系ICカードなんてまさにキャッシュレス決済の王道中の王道である。もともと電車やバスなんかに乗る時に改札をスムーズに通過できる代物だけれど、いつの間にかあらゆる店で使えるようになっている。非常に便利な存在だ。

交通系ICカードは昔、該当する地域でしか使えないものだった。それが、今では例えばJR東日本区域で使えるSuicaを北海道に持って行ったとしても普通にIC対応の改札で使えるし、チャージだって普通に券売機で同じようにできる。
私は関東圏の人間なのでPASUMOSuicaを使うのだけれど、5,6年くらい前だろうか、関西に行ったときに初めて関東圏以外でSuicaをかざして改札に入れたときに、ある種の感動を覚えたものである。それまでは関西なら関西の対応のものでないと共通で使えなかったので、旅行中は都度切符を購入したりと面倒だった。逆もきっとそうであっただろう。自分の地域でしか使えない、他地域に出かけたら紙で切符を買う。そういうものだった。
昔は最寄り駅でだって当たり前に切符を買って電車に乗っていたのに、ICでのタッチに慣れてしまうと切符の購入なんて煩わしく感じられるのである。
切符を買ってうれしい気持ちになるのは旅行用のものを買っているときくらいだろうか。そうでなくても、今は誰かの見送りのためにホームにだけ入る時とか、駅構内にある蕎麦屋に入りたいとかそういった特殊な用事で入場券を買ったり、あるいはIC改札に非対応の地域(無人駅とか)を訪れる時に買うくらいしか機会がない。めったにないので逆に貴重ですらある。

そういうわけで全国で相互利用できるようになった交通系ICカードだけれど、関東圏でもSuicaPASUMOと種類が分かれているように、地域ごと、鉄道事業者ごとなんかでいろいろな種類のICカードが存在し続けている。東京都内でも例えば東海道新幹線JR東海の管轄なので、改札を入ってしまえば売店でもTOICA表記だったりする。
普段決済時に「Suicaでお願いします」とか「PASUMOで」と言ってしまうけれども、目の前にTOICAと書かれていたら、なんとなく「Suicaで」ではなく「交通系の……」と微妙に言いよどんでしまったり。東京駅や品川駅なら別に大したことはないけれど、先日は小倉駅で買い物をしたときはJR九州の「SUGOCA」と福岡地下鉄の「はやかけん」、西鉄の「nimoca」、それから北九州モノレールの「monoSUGOCA」が頭に浮かんで、やっぱり「交通系の……」とまあ微妙な感じでもやっと言い淀んでしまった(福岡は1県内で種類が多すぎるのも笑うけれど)。
別に「Suicaで」と言っても通じるだろうけれど、なんとなく目の前の表記に引きずられるというか、逆に自分が店員で「はやかけんで」と言われたら一瞬戸惑いそうな気持もあっての「交通系の……」という発声である。
どうやって言ったら一番スマートなんだろう。

 

ひなあられの供給

そういえば、一口にひなあられと言ってもかなり種類があるらしい。私が想像するひなあられは砂糖を絡めたポン菓子のものである。調べていて気が付いたけれど、基本的に関東がメインで流通している物らしい。関西であれば醤油味のあられが一般的なんだとか。確かにそれも食べたことはある。買うときに「甘い方のひなあられを買わなきゃ」と思うのは、関西風のものと関東風のものを比較して関東のものを買おうとしている、ということになるらしい。気づいていなかったけれどそういうことのようだ。醤油味のあられもおいしいから好きだけどね。
聞くところによれば、名古屋だともっと独特らしいし、全国的にいろいろ種類はあるのかもしれない。

ひなあられは美味い。ひな祭りの時期にしか売っていないのはもったいないと思うくらいには好きだ。好きなのだけれど、食べる機会どころか買う機会も限られているのが現実だ。2月の中旬から3月のひなまつりの週くらいでしか売っていない。たぶんまあ需要がないからなんだろうけれど、私としては結構残念なところだ。素朴で美味しいのに。
ひなあられの好きなところはポン菓子であることもそうなのだけれど、内容のバラエティ豊かさもまた好きなところの一つである。「にんじん」というポン菓子を思い出してほしい。あれは駄菓子屋とかで普遍的に売られている物で、手に入れようと思えば年中買えるものだ。あの米のポン菓子をベースにして、大きな球体のものや、煎り豆を砂糖でコーティングしたものだとかが入っているのがひなあられである。年中買えるかと言われれば、なかなかお目にかかることはない。類似品であってもだ。
基本的にはどこに行けば買うことができるんだろう?
これくらいの季節になればそれこそコンビニだろうとスーパーだろうとどこにでも売っているものである。こちらから探さなくてもひなあられは置いてある。そういう季節だからだ。ひなまつりにひなあられ。そういう名称だしそういうものだからとわかってはいるけれど、それでも季節を問わず美味しいものは食べたいじゃないかと思うわけである。桜餅は桜の季節に食べるものだけれど、桜葉の生産地である静岡の松崎町にでも行けば年中名物として売っているわけで、ひなあられもそんな感じで探しに行けばあるのだろうか。
面白いもので、お菓子のお店を見に行ったとしてもたぶんひなあられは扱っていないだろう。和菓子、それもあられのお店ならあるかもしれない。
関西風のあられに関しては、結構それっぽいものを見ることはある。というか醤油味のあられというのはかなり贈答品として一般的なものであるようで、ちょくちょく貰い物として家にも置いてあったりする。和菓子として小分けのせんべいに類するものは貰ってもうれしいし、そう重くもないからよいのだろう。
似たような条件な気がするけれど、ポン菓子というのはすごく地味な存在だ。古いというか、昭和的というか、そんなもんなんだろうか。駄菓子のようなもの、というか駄菓子そのものなんだろうか。素朴で美味しいんだけれど、どうもお菓子売り場の棚には並ばないし、贈答品としても軽すぎるのか見ないし、何とも残念である。
ひな祭りの季節にいくらか買い込んでちまちま食べるのもいいけれど、年間通して安定供給できる仕組みはないだろうか。
売っているところ、知ってます?

 

 

花粉のピークがまだ来ていない

花粉の季節が来ている。
今年は飛び始めというか「うわ、花粉だな」と思うタイミングが例年より早かった気がする。一応ちゃんと警戒をして耳鼻科に行って薬を出してもらうのを例年より少し早めたのだけれど、結果的にはジャストタイミングだった。2週間前のことである。
あれから2週間たって、だんだんくしゃみの出る回数が増えてきた。目もかゆみが出てきていて、とうとう本格的にスギ花粉の季節が来たなというわけである。
ところがまあ、花粉の飛散予報を見てびっくり。だいぶ飛んでるけれど今年はちゃんと対策できてていい感じ! というのはまだまだ甘くて、これからもっと花粉が本格的に飛び始めるというのである。これまではスギ花粉界でもまだまだ序の口で、指標的にも「やや多い」みたいな感じになっているわけで、これから「多い」「非常に多い」の日が続くのだと思うと非常に憂鬱である。
アレルギー症状はよくコップに溜まった水に例えられる。許容量を超えるとダムが決壊するかのように一気に症状が現れるようなイメージで、実際そういうものなんだけれど、体感的には、その水面には結構大きく波立っているようなイメージをつけ足したい。水量が増えてくるとたまに、大きく波が立つと水があふれたりして、つまりまあくしゃみや鼻水の量が増えるわけである。だんだん水量が増えればあふれる回数も増える。そうして取り返しがつかなくなると一気に決壊して、ずっとティッシュが手放せなくなるような、そんな状況に陥ってしまうとまあこんなわけだ。
たまに波立って、ちょっと水が漏れるような程度ならいいのである。それは仕方がない。どちらかといえば水位のほうを上げないように、上げないようにとあらゆる手を尽くして対策を行うわけである。
マスクをする。これは必須である。試しにマスクをせずに活動なんてした日にはもうひどい目に合う。日常生活に支障が出るとかいうレベルではない。マスクをしないことはほかのどんな対策をもぶち壊す破壊力を持っている。薬を飲んでいようが点鼻をしていようがもう関係がない。浴びてしまったら元には戻れない。だからマスクは必須である。
もし、3月とかに東北のほうに出かけたとする。3月の東北は普通に雪が降ったりして、真冬の様相を呈している。1月とかのようなイメージを抱くけれども、スギ花粉に気温はあまり関係ない。私は1度それで油断してひどい目に遭った。雪も降っているし、まだ花粉はあまり飛んでいないだろう、なんて。
スギ花粉は桜前線ではないのだ。時期が来れば飛ぶ。もちろん気候によってピークは異なるけれど、スギ花粉は思ったよりも遠くまで飛ぶ。あとピークかどうかはあまり関係がなくて、結局普段から花粉を浴びていて、そこに少量でも花粉を浴びてしまえばコップの水はあふれ出す。
行くなら北海道だ。それも函館あたりではなく、もっと北のほう。あの辺まで行けばスギはない。函館ではだめだ。スギはあるし、青森方面からも飛んでくる。普通に雪が降っていようと積もっていようとここでもやっぱり関係ない。沖縄もいい。沖縄でもスギ花粉の脅威を感じることなく過ごすことができるだろう。
ちなみに海外に行くという手もあるけれど、欧米の庭木にはサイプレス(別名糸杉)というこれまたスギの仲間の木がよく使われている。もちろん花粉も出る。ググってもらえばわかると思うけれど、見れば日本でもよく見るタイプのあれだ。スペインとかイタリアあたりではめちゃくちゃ植えられていて、3月くらいに行くとわかりやすく花粉が飛ぶ様子が見られる。スギ花粉に敏感に反応する人はもれなくやられるような代物である。
日本でも普通に植わっているけれど、花粉を飛ばしているようなイメージはない。もしかしたら暖かい地域じゃないと飛ばないのか? あるいはまあ、スギ花粉がやたら飛んでるから関係ないのかな。

これから花粉の季節真っ盛りというと絶望だけれど、新型コロナウイルス対策はそのまま花粉対策になるわけで、マスクの在庫さえ復活してくれればあとはもう言うことはない。薬は飲んでいる。点鼻もしている。目薬もある。あとはマスク! マスクがないとすべて台無しなので、早く復活してくれ、在庫!

 

リモートで仕事をすることになるかもしれない

リモートで仕事をするのが推奨され始めた。新型コロナウイルスの流行に伴う対策として、出勤せずに仕事をできるようにしたら良いのではないか、というものである。

新型コロナウイルスの流行は対岸の火事ではない。今働いている環境なんて窓のない会議室のようなところだし、誰か感染したらまず間違いなく全員に蔓延することだろう。

ちなみに私の先月のインフルエンザは3連休の真ん中に発症したためか他の人にはうつさなかったけれども、かなり稀なケースであると言える。普段ダブルチェックで行っている作業もあるわけで、密室にとどまり続けているのはよい事であるとは言い難いのが現状だ。

できればリモートで、つまり自宅で仕事なんかしたくないけれど、そうも言ってられない日が近づいているわけで、今後の動向を見守っていきたいところである。

私の会社からは特にリモートに関してはいいとか悪いとかそういった趣旨の連絡は来ていない。家で仕事しろ適なメッセージはなかなか命令として出しにくいのだろう。

基本的には「自衛してくれ」という連絡である。別に放り出されているとかいうわけではなくて、自分で判断してくれよな、ということなのだと思う。大きな会社じゃないし、どちらかというと自社の都合よりは、プロジェクトで関わっているお客さんがリモートで仕事してくれと言ってくれば、別にそれに従えばいいのだと思う。前例があまりないけれど、会社的にはフリーランスの人とも仕事をしているようなので、相談すれば自宅で仕事をすること自体は特に問題なく許可が下りるだろうというのは想像できる。状況が状況だし、要請されて断ることは社会通念上もなかなかあり得ないことではあると思う。ただまあ、自宅で仕事をすると言っても、準備しておくことは必要だ。例えば「明日から出勤禁止です!」となってしまったならば、それこそ自宅で仕事をすることはできない。

今PCは基本的に職場に置きっぱなしなので、それを持ち出すことができるのかどうかというところから話は始まる。職場PCが使えればいろいろと仕事的には楽なのだけれど、反面、セキュリティ的に簡単に持ち出せるのかといえばかなり微妙だ。客先に会議のために持っていくとか、レンタルオフィスに出向く場合とかそういった、会社から会社に移動する程度であれば全く問題ないけれど、自宅となるとかなり厳しい気がしてならない。

あとは、基本的に接続できるIPを絞っているものが多いので、PCを持ち出すにしろ自宅の環境からでは繋げられない。各々の環境に合わせてつなげるのはそれこそリスキーなので(自宅もセキュリティ的にはガチガチにしてはいないし)、wifiでも貸してくれれば話は早いのだけれど、全社一斉にリモートにでもなったらポケットwifiの在庫が足りないような気がしてならない。


PCが持ち出せない場合はどうするのか。この間言われたのは「自宅のPCからリモートデスクトップに接続できるようにする」ということ。理屈はわかるのだけれどすごく嫌な提案だ。完全プライベートのPCなんて、それこそ自己責任で適当なフリーソフトとか導入しまくっている。だって仕事をする想定ではないし。多少書類を作るとかだったらどうということはないけれど、そのために環境をいじったり設定を変えたりするのは、感情としては嫌なものである。些末な問題ではあるけれど。

ああ、これからどうなっていくんだろうな。不安は募るばかりである。

 

髪を切ってもらっているときに読む雑誌

髪を切ってもらっているとき、雑誌を借りて読む。床屋でも美容室でもたぶんありふれた光景だと思う。
私は前までは大抵スポーツ系の雑誌を読んでいたけれど、最近はもっぱら食べ物系の雑誌である。一番多いのはdancyuだ。とにかく食事の写真がたくさん載っているのがいい。午前中に髪を切りに行くことが多いから、少しお腹が空いているときにああいうグルメ雑誌を読むのはとても楽しい。
こないだは寿司特集だったのでついそのあとで寿司を食べに行ってしまった。安いランチ寿司だけれど。

あまり顔を近づけると切っている髪がかかってしまうので、30cmくらいは離して読む。
髪を切っているときは眼鏡を外す。文字が読めないわけではないけれど、私の視力の感じは微妙で、裸眼でも30cmくらい近づければ雑誌の文字は見えるような感じを想像してもらえるとわかりやすいと思う。地の文は読めるけれど、記事の末尾に付いている店舗紹介の文字は小さくて読めない、みたいな。そんな感じ。
だから、いつもちょっとしかめっ面をして雑誌を読んでいる気がする。別にただ寿司特集の文字が読めないだけでちょっと目を細めているとか、そういう感じなだけだけれどね。

髪を切ってもらっている間は、スマホを出すことはない。というか出せない。出しても何か言われることはない気がするけれど、そもそも細かい髪の毛とかがいろいろ入ってしまいそうだし、それに見ているものについて髪を切ってくれている人へ全部開示するような格好になってしまうのは嫌だ。だから、雑誌を読んでああここに絶対行きたいな、と思ったところを除いては、ほとんどそれは読み物として過ぎていく。だってお店の詳細情報の文字は小さくて眼鏡なしでは読めないし、店がどこにあるかを調べるためのスマホは出さないし。
寿司特集や、あとはお米の特集でおにぎり屋さんを紹介していたものも、見たことやなんとなく情報は覚えているけれど、そういう世界があるんだな、というような感じでぼんやりと眺めている(その結果「寿司が食べたい」とかいう気持ちだけ残って昼ごはんがそれになる)。載っている店にたまたま行きつくことはあっても、なかなか載っている店から調べていくようなことは稀である。dancyuが悪いのではない。私の目が悪く、そして調べもと記憶と記録ををスマホに頼っていることが悪いのだ。東京ウォーカーとかでも同じで、うわあうまそうだなとかこれ高そうだなとかいろいろ思ったあげく思うだけなので、まあなんというか雑誌を雑誌として楽しんでいるというか、結果的にそういうことになってしまっている。
でもまあ、髪を切ってもらっているときに読む雑誌ってすごく好きな存在だけどね。そういう時にしか読まないし。

コンビニとかでも売っているけれど、なぜ買って家で読まないのか、と言われれば、まあ単純に習慣ではないから、というのがあるけれど、それ以上に買ってしまったら読まなくてはいけなくなるから買わないようなところはある。適当にぼんやり眺めるからいいのであって、読まなくてはいけないものになった瞬間にちょっとその存在は重くなる。小説は積んでもいつか読むかもしれないけれど、雑誌は何度も繰り返し読むか、全く読まないか、その二択だろうな。
あとは載っている店から選定して訪れてみる、という感じではなくて、1Pから全部制覇したくなってしまうようなところがきっと私にはあるので、買うならそうそう手が出せないような価格帯の食事を出す店を並べたものがいいかな。ラーメン特集とか、そういうのはとても危ない。危なすぎる。

ああでもなんというか、グルメ雑誌って夜に読みたくなるよな。そういう時は買ってこないとダメか。
こんど酔っ払った時にでも勢いで買ってきちゃおうかな。

 

無添加

無添加ラップ」という商品名がふと目についた。

無添加。ラップに無添加とかそうじゃないとかあるのか、と思うと同時に、じゃあ普通のラップは何を添加しているんだろうな、と思うわけである。考えたこともない要素だし、ラップの原材料とか製造工程について調べたこともない。何を使っているのが普通で何を使うのはダメだとか、全くわからない。そもそもラップに無添加とかそういうのがあるとは知らなかった。一応断っておくと歌の方のラップではない。そちらにはまだたぶん無添加とかそういう概念はない……と思う。どちらかというとどんどん添加する方でしょう。転嫁か?

ラップで気にしたことがあるのは大抵手触りとか、ちゃんと思ったところで切れるか(つまり外装についているギザギザ部分)だとか。厚みのあるラップよりも薄いラップの方がなんとなく好きだな、というかなじみがあるな、なんてことは気にするけれど、添加物がどうこうというのは考えたこともなかった。

でもまあ、よく考えるとラップはそのまま食品に触れ得る部分だ。おにぎりなんかは最たるもので、ラップに包んで握ってラップのまま食べたりする。あとはラップで包んだままの食品をそのまま電子レンジで温めたりとか。意外とそのまま口に運ばれる機会はある。気にした方が良いというのは言われてみればなんとなくわかるような気はする。

この「言われてみればなんとなく」の感覚が結構肝心だ。

無添加かどうかというのは、食品だとよく目にするワードである。めったに行かないけれど某回転ずしなんて「無添」が冠名なわけで、じゃあ無添加じゃないそれ以外はどうなんだ? というのを狙っているのはなんとなくわかる。食品添加物の類は世の中的にも関心が高いものなので、訴求上の効果として「無添加」に準ずるワードを使うのはかなり強いのだと思う(だからよく定義を巡って争うんだと思うけれど)。

無添加と大々的に表記することで「じゃあ添加してあるものって何よ」「ない方がいいものなの?」みたいな思考にさせられているのである意味この文言を設定した人の掌の上にいるわけだ。

火のないところに煙は立たないとは言うけれど、じゃあ例えばもともと煙のたっていない場所で「煙を消しました」と主張した場合、日も煙もなかったとしても、そこにはなにか燃える要素があったのではないか(あるのではないか)となってしまうのが恐ろしいところである。

 


売り場に並んでいる商品の中で、商品名で並んでいる物は大抵有名メーカーの商品だ。商品名ではなくそれこそ「無添加」とかが前面に押し出されている場合はマイナーメーカーだったり、PB商品だったりするわけで、商品名というかブランド名で勝負するには分が悪い場合の訴求策なんだろう。別にラップに関わらず何の商品でも行われていて、例えば市販薬なんかだとブランド名として有名な商品の方がよく売れているけれど、ラップもそうなんだろうか。

薬は名の知れたものを買いたい心理が働きそうだけれど、ラップは別に使い心地くらいしか気にせず、あとは安いのを選んじゃうかもしれないな、これからも。無添加かどうかは一瞬引っかかるかもしれないけれど、何かきかっけがなければ特に気にしないだろうな。