言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

メロンを食べるとたまにイガイガする


メロンを食べると、のどのあたりが少しイガイガすることがある。昨日もたまたまメロンを食べる機会があったのだけれど、食べ終えた後しばらくイガイガするような感覚が残った。
これは、メロンに含まれる「ククミシン」という酵素によるものである。果汁に多く含まれているらしい。
メロン固有のタンパク質分解酵素の名前で、いろいろなメロンの品種に類似のものが含まれていることがわかっている。食物アレルギーの原因になることもあるようだけれど、このイガイガしたりピリピリしたりするような症状はククミシンが口やのどの粘膜を攻撃することによって匹押されるものである。まあ「タンパク質分解酵素」なので口の中であろうとなんだろうと分解をしてしまい、傷がついたように違和感を生んでしまうわけだ。
生のメロンなら何でもイガイガするわけではないのでちょっと不思議に思っていたけれど、どうも調べてみるとメロンの品種によってこの酵素が含まれている量というのが異なっているようである。具体的な数値というのは調べてみても出てこなかったのでわからないが、多少の差があるようだ。
それ以上に未確定な情報としては「熟すとククミシンが減る」という情報である。良く追熟させるとククミシンが減るのでイガイガが気になる場合はギリギリまで追熟させた方が良い、というような情報がちらほらと見受けられるのだけれど、特に裏付けるような情報を見つけられなかったので真偽は不明である。
ただ調べている途中で「鹿児島大学理学部生命化学科」の研究室のページ内にククミシンの記述があることに行きあたったので、このあたりの関係を掘っていけば何かわかりそうな感じはした。が、まあ普通に専門外分野であるし、そこまでの情熱はないのでそれ以上は調べなかった。要するにぱっと調べたくらいではわからないことだという事だけはわかった。
ちなみにはっきりしているのは、メロンの仲間の果実や野菜類にはほとんど含まれていない物質である、ということくらいである。同じウリの仲間でもキュウリなどには含まれていないし、果実で言えばスイカにも含まれていない。あとは、日本に昔からある「マクワウリ」というメロンに似た甘さのあるウリ(織田信長がかじりながら歩いていたとかそういうやつ)にも含まれていない。どうやら網目のあるメロンに多く含まれているのがククミシンというタンパク質分解酵素であるらしい。

とにかく、メロンというやつにはククミシンというのどなどをイガイガさせる物質が入っているわけだが、別に悪い事ばかりではない。消化酵素なので、肉や魚などの消化を助ける働きがあるのだ。のど元さえ過ぎてしまえば後はもうあんまり悪さすることもなく、消化を助けてくれるという事らしい。
……まあなんか、メロンを食べるとお腹がちょっと緩めになるような気がしていたけれど、もしかしたらこの酵素のせいだったりするのかもしれない。メロンを食べるシチュエーションというのが限られており、かつ大抵そういう時はたくさんご飯を食べた後なのでそのせいだと思っていたけれど、もしかして、と思うところはある。別に気にするほどの事ではないが。


私はアレルギーなので食べることができないが、パイナップルにも似たようなものが含まれており、口の周りが同じようにヒリヒリしたりするような症状を引き起こしたりする。原理は同じでタンパク質分解酵素が含まれていることによる。
50℃程度で酵素が分解されるということで、缶詰に加工されるパイナップルなんかは加熱処理が行われているようである。そうでないとゼリーなどに加工できないのだ。
パイナップルとゼラチンを組み合わせてゼリーを作ろうとすると固まらないと言った事象に遭遇することになる。ゼラチンはタンパク質であるため、酵素によって分解されてしまうのだ。そういうわけでゼリーに入っているパイナップルは基本的に一度加熱された缶詰タイプのものばかりであるし、生のメロンも同じようなことが起こりうるので、メロンゼリーなんかは酵素の多く含まれる果汁を多く使わないように調整してあったりする。
まあもっとも、寒天ゼリーであれば別にタンパク質ではないので普通に固まるのだけれど。


このあたりの酵素についてはパイナップルが一番有名でそのあとはメロンかな、という感じなのだけれど、ほかにもキウイやパパイヤ、イチジク、バナナなんかにもタンパク質分解酵素が含まれている。これらを生の状態でゼリーにしようとすると上手く固まらないらしい。でもまあ別に生で食べたところで口の中に異常が発生しないし、何か気にするほどのものではないんだろう。

メロンだってイガイガすると多少「嫌だな」とは思うけれどそれ以上の実害はないわけで、美味しいし食べられるもんなら今後も普通に食べたいとは思う。ただ、パイナップルの時のように普通に後天的にアレルギー反応を起こしてしまうこともあるので、そうならないことを祈るばかりだ。

 

 

猛暑で寝にくい


もう意味が分からないくらい暑い。毎日毎日、朝から晩までずっと世の中が熱を帯びている。来週からは天気が悪くなるようなので猛暑からは一旦お別れできそうだけれど、30℃近い気温に雨となるとそれはそれで過ごしにくい環境になるのは目に見えている。エアコンのモードが冷房から除湿に戻るだけかもしれない。

そのエアコンなのだけれど、朝起きると部屋がキンキンに冷えていてちょっと困っている。
このところ熱帯夜が続いているので夜でも冷房でないと寝られない。そのため、エアコンをつけっぱなしにして寝るのだけれど、設定温度が27℃だとどうも部屋が涼しくならないのである。寝ていてもちょっと寝にくいというか、暑さがあるというか。そういうわけで1℃下げて26℃に設定すると、割とすぐに寝ることができる。
シーツを通常のものからニトリのNクールの涼しく感じるやつに変えても同じだったので、どうも我が家の冷房設定上の26℃と27℃の間には壁のようなものがあるらしい。
夜は26℃でいいのだけれど、問題は朝だ。日が昇ってきて外気温が上昇すると冷房の効きが良くなってくるのか、26℃だとやや肌寒さすら感じてしまうほどの温度になってしまう。最大級に薄着をしているからというのもあるけれど、寝付くのに必要な26℃という設定は外気温33℃とかそういうタイミングでは我が家の環境だと過剰な冷房ということになってしまう。
なので朝起きたらまずとりあえずエアコンを消して空気を入れ替えた後、27℃に設定して再度冷房にするわけである。こうするとちょうどいいくらいになる。朝は27℃がちょうどよく、26℃ではちょっと寒さを感じるというわけだ。
ちなみに28℃設定にまでするとこれはこれで暑くなってくる。古いタイプのエアコン(さっきちゃんと調べたら2007年製だった)なのでこの辺の温度調節がかなり雑なのだ。一気に冷やしてしばらく止まって、また暑くなったら動き出すみたいな感じの動きをするので、あんまり高い温度に設定すると部屋が全然涼しくならない。
今度温度計でも調達してきて、部屋の温度推移を計測してみたいくらいだ。実際、エアコンなどの温度設定というのは、別にその温度に部屋の温度を下げたり揚げたりしているわけではないというし、設定温度と部屋の温度との乖離の仕方をちょっと調べてみたいところである。自由研究みたいだ。

とりあえず、朝起きると寒い問題はとりあえず薄いタオルケットみたいなものを用意して気が付いたらそれを掛けるようにしている。でもまあなんとなく朝は鼻が出るというか、調子がイマイチになってしまうところなので、できれば27℃に設定したうえで寝られるようになりたいところである。

恐らくなのだけれど、夜寝るときに自分の身体に熱がこもってしまっているような所があるので、それが良くないのかもしれない。昼間に外出した時などは日焼けをしたときに熱がこもるので夜寝にくくなるというのは良くある話なのだけれど、今年はどうも暑すぎて、夜暗くなってからしか出歩かなくても普通に30℃を超えていて身体もしっかり熱せられて帰って来るという、そういうことが起きてしまっている。家に帰ると汗だくだし、ついでに部屋の中もちょっと出かけただけなのに意味が分からないくらい熱せられていたりするので、そういうところから変に熱を帯びてしまうんだろうな。
シャワーをするときにほとんど水みたいな温い温度で浴びたりしているけれど、その程度ではどうにもならないらしい。水分も十分とっているのに身体が何となく暑い状態というのは手詰まり感が漂ってだいぶ嫌な感じである。
まあこれはもうどうしようかな、寝る前にしっかり涼む時間でも作ればそれで何とかなるのか?

 

イクラ食べたい、たくさん食べたい

 

最近どうもイクラが食べたいと思うことが続いている。だがしかしイクラというやつは食べようと思うと微妙に値が張る食べ物である。
この「微妙に」というのが結構ミソで、手が届かないとかではないのだけれどなんとなくためらってしまうという、それくらいのラインをついてくる食べ物だと思っている。
例えば似や様なジャンルで言えばウニなんかが高価なものとして挙げられると思うけれど、ウニの価格はイクラの比ではない。特に良いものはそれこそ桁が違う価格を見せつけられるばかりである。握りの1貫くらいであれば「せっかくだし」くらいの気持ちで食べられるが、ウニ丼のようなものであればそれこそ何かもう特別な理由でもつけたうえで「清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ち」で注文することになる。
そこにきてイクラというやつは、清水の舞台から飛び降りるほどの高価さはあまり感じない。ある程度のお値段はもちろんするが、こだわらなければちゃんと手が届くくらいのところにはいる。
なので、「まあたまにはいいか」というような感覚で実際は全然たまにではないというようなことがイクラにはよく起こり得る。
そのため最近気が付くとおにぎりをコンビニで買う時に筋子のおにぎりを選んでしまったりしているわけだが、普通のおにぎりが110~150円くらいのところを190円くらい出せば食べられるという価格設定にやられてしまっているわけである。お会計の時の合計金額が微妙に高くなるのでレジでは一瞬後悔しかけるが、まあイクラ……食べたいもんな、などと思うとそのまま戻すこともなく購入してしまう。

まあ根本的にはイクラのことが好きなのだ。
本音を言えばおにぎりではなくてイクラ丼とかで一度にたくさんに食べたいという気持ちもあるのだけれど、そうなってくると「せっかくだから北海道に行った時に食べたい」とか「ボーナスが出たりして気持ちと金銭に余裕があるときにゆっくり食べたい」だとか違う欲が出てきて目の前の行動が抑止される。おにぎりとか回転ずしとかそういう場だと、まあ今日は疲れているし最近忙しいから好きなもん食べたいよなくらいの小さめの欲をいい感じに満たしてくれるのにイクラがちょうど良すぎるのだ。

ただまあ問題もあって、イクラ丼のように豪勢に食べたいという気持ちがある以上、頭の中にその気持ちがチラついてしまうということだ。
大きな欲望を小さな欲望でとりあえず「満たした風」にしておくとその場は収まるのだけれど、何度か積み重なっていくとその満たしたようで満たされていなかった部分が積み重なってついに爆発してしまうのである。
そうすると何が起きるかというと、変に大きな衝動が生まれてしまい、例えば急に飛行機を予約して北海道に行く予定を立ててしまうだとか、まあそんな奇行に走ってしあいそうになるわけである。まあ北海道に行くとかいう話であれば交通手段を考えている間に冷静になるか、どうせ年に1度は行くのだからその時に食べる店をどうするかというような感じに切り替えるくらいで済むのだけれど、それなりの近場で済ませられるような物はなかなか難しさがある。
私にとってはうなぎなんかがそうだ。ちまちま「鰻まぶし」とか「鰻風かば焼き」なんて食べていたらついに本物というかちゃんとしたものが食べたくなって、当初宿泊の予定のなかった名古屋に泊るように旅程を1日長くしてひつまぶしを食べに行ってしまった、という出来事が過去にあった。
今のところイクラはおにぎりとか回転ずしとかで適当に満足している感じではあるけれど、いずれ爆発してしまわないか心配である。夏に一応北海道に行く予定はあるものの、めちゃくちゃ内陸に行く予定しかしていないのでイクラを食べるかどうかはわからない。そうなってくると……どうしよう、どこかでイクラたくさん食べたいものだ。

一応、奥の手のようなものはあるにはある。
自分で筋子を買ってきてそれを加工してイクラにするというパターンだ。もちろんやったことはない。簡単にできるかどうかはかなり微妙なところだけれど、結構いろいろなところでレシピを見かける。白ご飯.comでは20分でできるみたいなことが書いてあるけれど本当だろうか。まあ私の手際だと2倍以上かかるのは必須だろうけれど、それだって1時間以内にできてしまうなんてそんなことあるんだろうか。
……レシピを見ていたらやりたくなってきた。
ただあれなんだよな、イクラって旬は秋なんだよな。今の時期に手ごろな感じで生の筋子が手に入るんだろうか?

そんなことを言っていると、うっかり入手先を見つけたときに即試すことになりかけないが……まあなんか、自分で作って食べるなら上手くいってもそうでなくても面白いし、だいぶ気になってきてしまった。

 

しるこサンドとミレービスケット(似てるよね?)


しるこサンド」という食べ物がある。愛知を中心に昔から有名なお菓子で、今では普通に全国的にお菓子売り場に置いてあるのを見かけることができる代物だ。名前とパッケージと見た目が全部茶色系統ということで比較的地味な存在ではあるが、個包装のお菓子セットの中などにこっそり混ざっていたりするので、知らないうちに口にしている人が結構多いのではないかと思う。
外側の硬いビスケット部分に塩が効いているので、甘しょっぱい感じのお菓子である。「しるこサンド」という名前だけだとどうもソフトでかなりあんこの甘さがしそうな感じもあるけれど、実際はどことなくなつかしさの漂う甘しょっぱい系ビスケットである。
小分けになっているのも良くて、私は結構あのお菓子が好きだ。最近も買ってきてたまにつまんでいるけれど、残業中なんかに口に放り込むとお腹も空いているしかなり美味しく感じるものである。
ビスケットが油で揚げてあるので結構高カロリーなお菓子だが、1,2個軽くつまむのには持ってこいである。

硬いビスケットの間にあんこが挟まっているというお菓子だが、正直言ってあんこの主張というのはほとんど感じない。風味はあると思うけれど、そこまではっきりあんこだというわけではないので、一口で食べてしまえば案外全く気づかないことまであるかもしれない。まあでもたぶん、ないならないんでちょっと違和感があるんだろうな、とも思う。
ちなみに初めて食べたときは全然間に挟まれているあんこの存在には気が付かなくて、生地に練り込んであるんだろうかみたいなことを思ったりしていた。基本的に一口で食べてしまうからである。でもあるとき何の気なしに割ってみたときに挟まっているあんこの存在に気が付いた。

まああれか、名称的にはあんこじゃなくて「しるこ」というところだろうか。お汁粉っぽいあんこが挟まっているからしるこサンドなんだろう。あんこ部分だけを舐めたりしたことがないのでどういう感じなのかはわからないけれど。


似たようなお菓子として「ミレービスケット」という食べ物がある。こちらは何も挟まっていないビスケット菓子だ。全国で販売されてはいるが、どういうわけか高知のソウルフードである。豆を揚げるのと同じ鍋を使って揚げたら風味が独特になって人気が出たという事らしい。
最近では普通に全国的に販売されているのでスーパーなどで4連のパッケージを目にするようになったけれど、もともとは高知で愛されてきた商品だったようである。
両方食べたことがある人がいるかわからないが、しるこサンドとビスケット部分はミレービスケットのそれによく似ていると思う。塩が効いていて、あと油分が多めでハイカロリーなところまで共通している。昔ながらの素朴な系統な味なのに、ハイカロリーで「禁断の味」。
このミレービスケットだが、元は明治(当時の明治製菓)の商品として展開していたようだけれど、今は愛知の会社が生地作成を請け負っている。愛知で作られた生地を高知で加工して販売しているわけだ。愛知で作った生地を高知で加工してご当地名物になっているのはちょっと面白い状況である。
もっとも、製造元が愛知にあるということもあって、愛知でもミレービスケットはかなり良く食べられているお菓子らしい。私の場合もミレービスケットの存在は愛知経由で知ったのが最初だ。高知で名物になっているということを知ったほうが後だった。でも食べていたのはずっと高知で売られているのと同じ青いパッケージのものだから……もうなんというかかなりややこしい。

まあでも、油で揚げた甘しょっぱいお菓子が美味しいと思うのは、どんな地域でも同じということである。

 

 

紫陽花の季節


紫陽花というのは6,7月に見ごろを迎える花であるから、「梅雨に咲く花」というイメージが強い。
雨の季節であるため傘が邪魔でなかなか目に入らなかったりもするが、家の庭先や線路脇、商店街の植え込みなどいろいろなところで目にすることができるので結構好きな花でもある。
雨さえ降っていなければゆっくり見たり写真を撮ったりするのだけれど、大抵紫陽花を見つけるタイミングというのは雨の日なんだよな。梅雨だからしょうがないけれど、この間も傘を半分放り出しながら写真を撮ったりした。小雨だったし一人でいたからできたことだけれど、なかなか普通はそうもいかない。

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快晴の日に紫陽花を鑑賞したい気持ちはあるけれど……どうなんだろうね、ちょっと曇っていたほうが季節感もあって紫陽花っぽいのかもしれない。風情としては。
まあ私は雨は好きじゃないので、例えば雨の日の窓の外とかそういうシチュエーションが一番いいのかもしれない。

今年もちょうど今頃に見ごろを迎えている紫陽花をあちらこちらで見かける。鎌倉あたりが紫陽花で有名だが、ここ数年紫陽花で有名な寺や庭園は感染症予防対策として見ごろに閉鎖されたりあるいは伐採してしまうと言った荒っぽいことまでされていた。なかなか極端だが、閉鎖していても外から見られるようでは結局人が集まってしまうという判断だったと記憶している。
まあ実際紫陽花のシーズンの鎌倉や北鎌倉というのは駅のホームがごった返す程の大混雑だったわけで、それを抑制したいと思ったならば仕方のないことだったのかもしれない。
ようやく今年になってそのような大掛かりな対策は行われなくなったようだけれど、実際どれくらい混雑しているのかちょっと気になるところではある。
ちなみに私は鎌倉の紫陽花の名所に行ったことはあるが、最盛期つまりこの時期に訪れたことはない。紅葉の季節(にも少し早いくらいの外した時期)に葉もまばらな何もない紫陽花園を散策したことがあるという、その程度である。
写真などでよく見かけはするので行きたいなと思ってはいるが、混雑しているというのとそれからこの季節柄雨が多いということもあって尻込みしていいるうちにもうすっかり時がたってしまったというわけだ。いつか行きたいと言うばかりではどうにもならないのはわかっているのでそろそろ……と思っているが、あいにく今年も行けそうにない。来年あたり誰か付き合ってくれる人を誘って出かけたいものだけれど、きてくれるような人がいるだろうか。
私はよく「一度やってみたいと思っていることシリーズ」と称して、気になったことに挑戦してみるということをしているが、誰か付き合ってくれることもあれば一人で行くこともある。紫陽花鑑賞というのもここのラインナップに入れて、せめて来年あたりには身に行って見たいものである。ちなみに過去の催しには「乗馬体験」「どぜう(どじょう)鍋体験」みたいなものがあり、前者は一人で後者は複数人で参戦してきた。誰かが付き合ってくれるかどうかというのはその時によってまちまちであるが、どうしても人を誘いやすいものとそうではないものがあるので難しいところだ。
紫陽花鑑賞はどうだろう、だいぶ渋い感じはするし人をかなり選ぶような気がするけれど、うっかり誰か一緒に行ってくれるような素敵な人がいればお供をしてもらって、そうでないなら一人で行くほかない。

季節的にはもう7月の半ばくらいで見ごろは終わってしまい場合が多いが、実際のところは地域ごとの気候によってもっと真夏でも咲いていたりはする。
8月の半ばくらいに青森に行った時は、まだ紫陽花の花が残っている様子を見たことがある。竜飛岬の灯台下にある「階段国道」と呼ばれる道がそうだった。

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さすがに見ごろは終わっていたが、8月16日だというのに花の形をして残っているというのは冷涼な気候のなせるわざであろう。秋田の内陸あたりでも真夏に紫陽花の仲間を見かけたし、探せば結構ありそうではある。ただまあそういったところはあくまで穴場的な場所であって、基本は梅雨くらいに見ごろを迎えるものばかりだそうだ。
そういうこともあって、真夏に紫陽花を見かけるとちょっと季節感が変になるというか、なんというか。悪いわけではないのだけれど、本当に真夏だっけ? と日付を確認したくなったりはする。

まあでもそんなことを言ったら、昨日今日と34,5℃もある時点で今も割と紫陽花に違和感が出てきてしまったりして……。

 

選挙ポスター看板の立地が変だと面白い


そろそろ参議院選挙が近づいてきたということで、私のところにも投票用紙が届いた。
それと時を同じくして、各所に選挙ポスターの掲示がされている。大抵は目立つところに設定されていて、駅前であるとかバス停であるとか、ちょっと特殊なところだと踏切の手前なんかに設置されているのも見かける。足を止めている人が多くて目に入りやすいという、そういう観点で置かれているのだろう。
候補者の名前などを掲示するものということなので、あの看板自体は法律に則った公的な設置物である。投票区ごとに設置する数が定められているのだ。
公職選挙法に記載がある。ただし、数に対しては目安の具体数が記載されているが、設置場所については「各投票区に設置するポスター掲示場の配置は、当該投票区における人口密度、地勢、交通等の事情を総合的に考慮して合理的に行うこと」という記載がある程度で、必ずここに置かなければならないみたいな決まりはどうやらないようである。
なのでたまに、そんなところに掲示して大丈夫なのか……? と心配したくなるような場所に掲示板が立っていたりして面白い。

最近見かけたものの中では、駐輪場の脇に建てられているのものがとても面白かった。
駅前の駐輪場という立地上多くの人が利用しているので通過人数的にはたぶん問題ないのと思うのだけれど、肝心の掲示場所が幅1mもない細い通路に向かって建てられていた。正面から歩いてきた人間同士がちょっとお互い避けながらすれ違うくらいの幅しかないので普通に歩いていると看板の存在は目に入っても、掲示内容について確認することはほとんどない。
横を向けば歩きながらでも見ることができるが、そうすると今度は距離が近すぎてなんというかこう、圧迫感がある。顔が近いのだ。主張の強い看板が1枚のっぺりと通路の壁のように立っている姿はなかなかシュールですらある。
さらに言えば、看板の向いている方向は通路を隔ててあとは壁である。正確に言えば植え込みであるが、植え込みの向こうは完全に建物の壁で遮られているため、狭い通路を歩いている人以外が看板を視認できる可能性というのはほかにない。
何でそんなところに建ててしまったのだろうか。確かに駐輪場という性質上出入口などには設置しづらいだろうけれど、どうしてまた……という感想にしかならない。駅前の項番の前とかスペースがあるしそこでいいような気がするのだけれど、何しろ公的なものだから何かしらの選定過程があって設定に至ったのだろう。本当に実地で調査したうえで決まったのだろうか……とは思うが、なんだろう、昔は向かいの建物がなかったとかそういう事だったりするのだろうか。古い家屋には見えないのでまあ大方そんなところだろう。

まあ別に選挙ポスターが目に入らなくても個人的にどうということはない。なので、変な立地に建てられている看板を見るのは好きである。

嫌なのはYoutubeとかの広告に候補者のCMを突っ込んでくるような時だ。看板ポスターは目に入った後に目を逸らすことが可能だけれど、動画を見ているときの5秒はどうも好きになれない。そうでなくても広告は早く飛ばしたいと思ってしまうのに、政治家のCMは本当にただただみるのが苦痛だ。
大抵名前は言うけれど党名とかはさっさと出てこないのがさらに癪なところだ。
ちゃんとターゲティングされていて自分の住んでいる地域の候補者のCMを流してくるところはさすがと言いたいところだが、流せば流すほど私からの印象は悪くなるので本当にやめて欲しい。
普通に生活していて「人」そのものを広告されることってほとんどないわけで、まあこの選挙期間中というちょっと特殊なタイミングならではのことだとはわかっているけれど……理屈と感情はまた別物である。街宣車がうるさく思う以上に嫌かもしれない。

看板の立地で笑っていられるくらいがいいのだ。

 

夏至と梅雨の終わり


昨日は夏至だった。一年のうちで最も日の出から日没までの時間が長いということで、確かに昨日は夜になってもずっと明るいままだった。
とはいえ大変残念なことに、外の明るいうちに家の外に出ることはかなわなかった。仕事が忙しすぎたのだ。昼休みはともかく夜は普通にしていれば出かけられる予定だったが、なんだかんだで22時くらいまで仕事がありどうにもならなかった。19時半くらいに窓の外を見てまだ薄らか明るいことになんとなく夏至のそれを感じたが、それくらいだった。
雨が降っていたのにそれなりに明るさがあったのだから、だいぶ日が長いということだけはよくわかったという、そういった日だった。
30分で適当に済ます夜ご飯、食べた気がしないのでほんとうにやめたい。仕事が終わらないのが悪い。

夏至が来ると夏がもうすぐそこまで近づいているんだなということに気づかされる。まあ今年に関してはもうすでに気温の高い日が続いており、30℃を超えるような日もあったので、薄々感じてはいた。
冷房をつける日も多くなってきた。気温が25℃を超えてくるとちょっとずつ汗ばんでくるというか、暑くなってきたなと感じるのだけれど、梅雨ということもあって湿度が加わると体感温度はそれなりに高くなってくる。28℃くらいに到達しそれなりに湿度があると、もう耐え切れなくなって冷房を除湿モードにして起動してしまうわけである。我が家が最上階だというのも関係があるとは思うが、天気が良ければ割とすぐに熱される傾向がある。
まあでも今日は昨日と打って変わってかなり涼しい一日だった。最高気温も26℃くらいで、この程度なら快適に過ごすことができる。ちょっとだけ風があるのもいい。外の風を取り込むと気持ちがいいというくらいのこの温度帯はとても過ごしやすくていい。昨夜だいぶ強めに雨が降ったから、気温が下がったのだろうか。
毎日気温が上下して身体が付いていけなくならないか心配ではあるけれど、今年からはあまりためらわずに冷房をつけてしまうように心がけているので、とりあえず今のところは大丈夫そうだ。

今のところは少々雨は少ないもののおおむね梅雨だなという感じの天気が続いていて、これからまた雨が集中して降るのだろうか……などと思っていたが、天気予報を眺めてみるとどうやらそうでもないらしい。
いつの間にか週間天気予報から雨のマークは消えており、曇りから晴れの予報がほとんどになっている。局地的に大雨となっている地域がある以外は東日本などは特に雨っぽい予報もなく、下手をすると今月のうちに梅雨が明けてしまうのではないかというくらいの天気予報になっている。
週間天気予報くらいになるとだいぶズレが生じて直前になって正確な予報が出ると全然違った結果になる、なんてことはよくあることだが、それにしたって雨の予報が全然ないのは本当に梅雨なんだろうかと疑わしくなってくるものだ。
梅雨というとまあたまに梅雨が全く開けずに8月くらいまでずっとぐずついている特殊な都市はあれど、そういう例外を除けばだいたい7月の半ばくらいに明けるものと認識している。早くても10日くらいで、遅くても20日くらいのそんなイメージ。かつて私が小学生だった頃などは夏休みに入る20日前後で天気が急に真夏になっていくという、そんな感じだった。例年そのあたりの日付で家族旅行が入っていたので、ギリギリ梅雨が明けて出かけられる! という年が多かったのを覚えている。
梅雨がなかなか開けなくてどうしたもんだろうと思った年は2回くらい記憶にある。一昨年なんて確か8月に入ってようやく梅雨明けだった。でも、逆はあんまりない。梅雨が短かった年でもさすがに7月の1週目が終わるかどうかくらいのタイミングまで明けたことはない……くらいに思っていたのだけれど、調べてみたらどうも2018年は梅雨明けが6月29日だったらしい。全然覚えていなかった。

 

まだ夏至を過ぎたばかりなのだ。普段であれば梅雨入りして10日ちょっとくらいのもので、まだまだこれから梅雨が続くんだなと少しがっかりするような頃合いなのだけれど、今年は既に梅雨が明けそうな予感があるというのは違和感しかない。週末から来週にかけて30℃を超える日しかない予報だけれど、本当にそうなるとしたら夏至を経て本当に「夏に至って」しまったのかもしれない。
今日くらい涼しくて暑さがそれなりの日が続いてくれればいいのだけれど、明日からまた冷房生活になるんだろうか。
今からこの調子だと、来月の今頃が怖い。

 

コンビニのレジにある仕切り


コンビニのレジにはいろいろな飛沫防止策が設けられている。アクリル板を置いているところや、透明なシートが吊り下げられていることもある。2年前の4月あたりに急場ごしらえで適当に置かれた仕切りをそのまま使っているところもあれば、本格的に整備がされているところもあって、よく見てみると店によってだいぶ違いがあることがわかる。
前にたまたま入った店では、飛沫防止用のシートにマイクとスピーカーが備え付けられていて、さながら観光地のチケット売り場のようになっていた。見た目はちょっと変ではあるけれど、声が聞き取りやすいしこちらの言葉も普通に通じるのでかなり便利な仕組みだと思う。
直営店なのかオーナー店なのかわからないが、明らかに店で工夫して作ったもののようだったので面白い仕組みだった。やっぱりマスクをして仕切りがあるとお互いに声が聞き取りにくいというのはどこも共通の認識のようで、マイクとスピーカーという単純ではあるが画期的な方法で対策しているのは素直にすごいことだと思った。コロナとか関係なくこのままあったらいいのにと少し思いもするが、まあそのあたりがどうなっていくのだろうか。
まあでもある程度音声が不明瞭であったとしても、コンビニで聞かれることは限られているので、音の感じと後は想像でなんとなく類推で着たりもする。袋要りますか? お箸付けますか? くらいなら普通になんとなくでもわかるものだ。
大抵音声と類推とでどうにかなるわけだけれど、たまに全然違うように聞こえていて会話が全くかみ合わない……なんていう事故もあったりして、まあそういう時は素直にもう一度聞き直す他ない。スマートに処理をすることに失敗したと、それだけのことである。
最近コロナ対策のせいか変なセールス(ケーキ予約しますかとかポイントカード作りませんかとかそういうやつ)を聞かなくなったので、会話自体は簡単になって入ると思う。


こんな感じでシートの場合音や声の聞こえにくさが気になる場合が多いだろうけれど、昨日の私は変なところでこのシートに引っかかってしまうという小事件があった。
メルカリに出品していた商品がずっと放置していたのに急に売れたので慌ててコンビニに発送手続きをしに行った時の事だ。レジでバーコードを読み込んでもらって発送用のシートを貰うのだけれど、これはシール状になっていて発送者が自分で張り付けなければいけないことになっている。私はいつものように送り状の裏面、シール部分をはがして商品が入った封筒に貼り付けようとしたのだけれど、ちょっとしたはずみでシールが飛沫防止シートの方にくっついてしまったのである。
店の人は爆笑していた。
私は破ってしまわないようにそっと力を入れながらゆっくりはがした。何とか破れたりしないで済んだけれど、割と強めにくっついてしまっていたので危なかった。
手元不注意ゆえの結果であるけれど、まさかそんなところにトラップがあるなんて思いもしなかった。
元々あの手のシールをはがす作業というのは得意ではないので若干手間取っていたが、はがした勢いそのままにシートのほうに吸い込まれてしまうとは。
店の人が怒ったりしないで爆笑していたのが救いである。
改めて封筒のほうに送り状を張り付けて、足早に店から立ち去ったのだけれど……割と恥ずかしかった。店が空いていてレジに特に列とかができていなかったのが不幸中の幸いである。
超えの聞こえにくさとかばっかり気にしていたけれど、シールを張る時に気を付けなければならないとは……。まあこれもひとえに私自身の不器用さが原因でもあるわけで、普通の人はそんな些細なことを気にすることもないのだろうけれど、私には結構衝撃だった。

あの設備が当たり前になってもう久しいけれど、まだまだ変なところでそういった罠が潜んでいる。

 

 

 

夢の中では終わっていたのに

 

これは別に統計を取ったり調査をしたわけではないので体感でしかないが、私はどうもかなり夢を見やすいほうの人間であるらしい。友達と会話をしていて夢で見たことの話をすると、お前は見過ぎだとかよく覚えていられるなというようなコメントを頂戴することが多いのだけれど、そういうもんなんだろうか。
私が一番良く夢を見ているなと意識しているのは朝方である。起きたときに覚えているからということでもあるだろうけれど、基本的には眠りが浅い時に見るものらしく、私は朝方の眠りがかなり浅いんだろう。
朝でなくても、昼寝をしている時なんかは結構夢を見る。明らかに眠りが浅い状態という事なんだろうけれど、昼寝時に見る夢というのは起きたときに結構ちゃんと覚えているもので面白い。まあ覚えてはいるけれども、夢というものは時系列や設定が荒唐無稽で整合性のつかないものが多い上に、夢の中ではそれを全部なんとなく納得して動いている。そんなわけだから、起きたときに覚えてはいても言語化して説明するとなると途端に難易度が高くなるのがまた難しい。
私がアイドルグループの一員として放り込まれ一緒に活動できる喜びといやこれ本当に私でいいんだろうかファンならこんなのが出てきたらまず叩かないか? と悩む夢は言葉にしてまとめるとこんな感じにしかならないけれど、実際はもっと壮大で素敵なドキュメンタリーだったのだ。しかもその夢、確かもう1回続きのようなものを見た記憶もある。結構はっきり覚えていて面白い夢だなと思うのに、言葉にしてしまえばそんなもんである。
そうやって言語化しにくい変な夢が多いわけだが、急にめちゃくちゃ現実的な夢を見ることもある。
この間も朝起きて終わっている洗濯物を干してそれから朝食の準備を……という夢を見た。夢だった。正確に言えば洗濯が終わる音までは現実だったのだけれど、その音の後は全部夢だった。
なんて悲しい出来事なんだろう。

最近洗濯は夜のうちに予約をしておいて朝起きるタイミングで終わるようにしておくことが多い。今日も結構タイミングとしては完璧のはずで、目覚ましの少し後に洗濯の完了アラートが鳴った。じゃあと思って起き上がろうとしたところまでは意識があったのだけれど、そこからあんまり覚えがなくて気が付いたら二度寝をしていたわけだ。
ハンガーとかをもって洗濯機の前に行っていろいろ作業をしていた気になっていたが、それらはすべて夢の中の出来事であった。

こういう時は再度目覚めたときのダメージというかショックが大きい。
私は洗濯機の前に立ちながら「さっきやったはずなんだけどな」とぼやきながら洗濯物を取り出すわけである。あーあ夢じゃなきゃよかったのにな、と何度思ったことだろうか。一度終わったはずのことをもう一度やり直すのは本当に気が進まない。いやまあ別に実際にはそもそも起きてすらいないのだけれど、気持ちの上では一度完結した出来事を再度巻き戻されているような感じになってしまってだいぶ嫌だった。

作業をしていたファイルが保存されていなくて消えてしまった、とか、ゲームのセーブデータが壊れてしまいやり直しになってしまった、とかそういう時の真っ白になる感じ、あれを朝起きたときから味わいたくはない。徒労感と共に目が覚めるって一日の始まりとしてはきわめて最悪だし、そもそも若干寝過ごしていてスケジュールがキツいしなんなんだ、と。

どうせ見るならばいい夢を見たいとは思っているが、こういう起きた後の用事をこなしている夢というのは果たして「いい夢」なんだろうか。起きてから「夢で良かった」となるような苦しい夢や辛い夢というのは悪夢に分類してよさそうだけれど、精神的に(違う形ではあるが)ダメージを受けているのはもはや悪夢なのかもしれない。まあ朝起きて動悸がするような夢よりはよっぽど平和でいいけれど。
まあ「現実ならよかった」くらいの夢がちょうどいいのかもしれない。洗濯物の回収とかそういう夢はちょっとがっかりするけれど、普通にいい夢を見ることもあるし、それでがっかりせずいい「いい夢を見たな」といい気分になることだってある。いい気分になる夢だけを見ていたいけれど、そうは問屋が卸してくれないようだ。

「夢の酒」という落語があるが、あれもまあいい夢のいいところで起こされて結局ちょっとがっかりするという話(本筋を捨ててかいつまめばだが)なわけで、昔も今も夢には振り回されるのがオチなのだろう。

 

 

野良猫


数年くらい前までは「最近は全然野良猫って見なくなったな」と思っていた。家から駅までにある空き地のあたりと、それから反対側の公園のところにそれぞれ1匹ずついるところは見たことがあるがそれくらいだった。昔はもっと良く見た気がしていたのだけれど、今ではそうやって場所を特定できるくらいしかいないんだな、と思っていた。
ところが去年から引っ越してきた今の家の近くにはなんだか知らないが野良猫が結構いる。家から駅までのメインの通りではほぼ見かけないものの、路地を入ると結構いる。家の庭のところとか、集合住宅のベランダとか。最初飼い猫なのかと思ったけれど、普通に駐車場を歩いていたりするのを見てそれらがみんな野良猫であることを知った。
ただたまたまかもしれないが、どの猫も結構高齢なように見えた。あまり猫に詳しくないので何とも言えないところだけれど、全体的に若い猫ではないな、というのは動きや見た目からなんとなく思うのだ。ゆっくりしていて、人が近づいても物おじしなくて、かつ危ない場所はちゃんと避けている感じ。踏切の近くにいる猫もいたが、別に渡っていたわけではなく、踏切横の家の庭から出てきただけのようだった。よくわかっているのだろう。
他の地域の事情は分からないけれど、どうも今の家の周りは野良猫の多い地域、ということになりそうだ。わからないことだらけだけれど、見かけるとちょっと足を止めてじっくりと見てしまうので、私はそれなりに猫のことが好きなのかもしれない。

いろいろなところで見かける野良猫だが、毛色から判別して割と狭い範囲でそれぞれ微妙に分かれて点在していることからも、縄張り的なこともあるのだろうか。ベランダ、庭、駐車場。それから公園にも住み着いている猫がいる。ということはやっぱり、半分管理されているというか、住み着いている場所に対してお世話をしている人が存在する猫なのかもしれない。
「野良猫」という表現が正しいのかわからないところではあるが、地域の猫……みたいな、そういうことだろうか。近所に動物病院もあるし、普通に面倒を見られている可能性はある。
まあでもなんだろう、放し飼いというわけではないけれど家から自由に出入りできる形で猫を飼っている人もいるというし、そんなもんなのかもしれない。地方に行くと駅とかに住み着いた猫が「駅長」とか「所長」とか呼ばれてマスコット化している場合もあるし、小さい島などに行けば普通に島の範囲内を歩き回る猫の姿を見られたりする。
地域で面倒を見ている人の居る猫というのは思ったよりも結構存在するのだろう。


私は家で動物を飼ったことがない。理由は簡単で、飼っても良い家に住んだことがないからだ。ペット禁止の家で飼えるのはせいぜい熱帯魚である。金魚とかも飼っていたことはあった。
そういうわけで猫や犬と言った室内で飼えるペットの類に関しては基本的に扱いが不慣れなのだけれど、見ている分には結構好きではある。昔は犬あたりはかなり苦手というか怖かったのだけれど、最近はそんなことはなくなった。まあ不慣れなのは変わっていないので、おっかなびっくり触るなんてことは良くある話だけれど、それでもやっぱり道で見かけたりすると目がそちらに行くものである。
そういう意味で、その辺を闊歩している猫などは目が行くどころか足を止めてまじまじと見てしまう。近づいて逃げないタイプなら、とりあえず写真を取ってみたりする。触るかどうかは……様子次第だけれど、あんまりそこまでは至らない。純粋にどう触ったらいいのかわからないというのもあるけれど、やっぱりなんというか猫側の気に障ったら嫌だなという意識(怖さ?)があって、写真を撮るにとどまるものである。

こういうのはきっと慣れなんだろうな、とは思う。家にいれば自然と慣れていくのだろうか。これまでは全く縁がなかったけれど、この先の人生で家に猫か犬を迎える日が来る……かもしれないけれど、まあどうなることやら。全く想像がつかない。漠然と、犬や猫の居る家に遊びに行って「いいな」的なことを思うことはあるけれども、やっぱり飼うとなったらいろいろ大変そうだとも思う。猫を飼うエッセイや漫画をチラ見した程度でもそれなりにいろいろありそうだなということがうかがい知れるので、覚悟みたいなものは必要なんだろうな。