言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

目当ての商品が売り切れていた時


夕飯をどこで食べるか迷っているときに、中華料理店の前のポスターに目が留まった。青椒肉絲炒飯というメニューで、写真を見てこれはすごく食べたい! と思ってしまった。本当は駅のそば屋にでも行ってささっと食べようと思っていたのに、ポスターによってその意志はあっけなく覆されてしまった。思っていたよりもお腹が空いていたのかもしれない。私は中華料理店に吸い込まれていった。
メニューは一応眺めるが、気持ちは決まっていた。青椒肉絲炒飯。これしかない。通常メニューは流し見だけにして、さあ本命を注文しよう、というところで期間限定メニューの宣伝を手に取った時に、上から急遽張り付けた感じで「売り切れ」と書かれているのが目に入った。売り切れ。青椒肉絲炒飯は売り切れだった。
すっかり青椒肉絲炒飯のつもりだったのに当てが外れてしまった。もっと言えば、これが食べたいから急遽この店にしたわけなのに、青椒肉絲炒飯が売り切れとは残念だ。

目当ての商品が売り切れていた時、店を出ることはできるだろうか?

もう水も運ばれてきて口をつけてしまっている。荷物も下して、すっかり落ち着いてしまっている。
私は結局この店で餃子とラーメンを食べて帰った。

店を出るかどうかの判断と言うのは難しいものである。特に飲食店はなかなか難しい。注文前ならさっと席を立つこともできなくはないと思うのだけれど、私の場合どうしてもちょっと後ろめたいような気持ちがあって、結局何か頼んでしまうことが多い。目当ての商品が売り切れていたとしても、仕方ないからないんか別のものを食べていくか……と。
でも、同じような場合でも食券制の店だと、売り切れに気が付いた段階で店を出たことはある。座席についていなければ、目当てがないなら出ようという判断がしやすい。お金を先に投入している場合もあるが、その場合でも出たことはある。別に物でもいいやくらいの想定で訪れたときは別だが、目当てがあったのにそれがないならば無理して突っ張ることはないくらいの気持ちになる。

要するに私にとっては座っている状態かどうかで店を出るかどうかのハードルというものが大きく異なるようである。
座ってしまうと、なんとなく申し訳なく思ってしまうのだ。食事をしたかどうかに関わらず、昨今の情勢的に座席の消毒とかの手間がかかるのもあって、じゃあもう他の店でよっぽど食べたいものもなければ……などと思って妥協してしまうわけである。そもそも何か食べたい目当てのものが売り切れだった時点で、次点に来るものを考えていない場合は何もこれと言って思いつかず、目の前のメニューからなんとなく選ぶことになりがちなのだ。
欲しいものがあればそれ、ない場合はこれ、と言う感じまで想定していればその通りにするだけだ。唐揚げとコロッケのセットの弁当が食べたかったけれど、良くコロッケは売り切れになるので唐揚げ弁当でもいいや……みたいなことは別に普通にある。だからこそ、うっかり何も考えず直感で店の前のポスターに惹かれる形で入店したのにそれが売り切れ、みたいなことに遭遇すると、困ってしまうわけである。ないなら店を出ようということだって事前に考えていなければあんまりそういう事にはならないわけだ。
結果なんとなく60点くらいの満足度で、よくわからないモヤモヤを抱えて店を出ることになるわけである。そういう時に適当に頼んだものほど、別に劇的に美味しかったりはしないのだ。

一人の時はこんな感じだけれど、複数人で行動しているときはまた別だ。基本的には相手のスタンスに合わせる。出るなら出るし居座るなら居座る。こちらに委ねられたらたぶん居座るほうを取るんじゃないかと思う。人と一緒の時は目の前の料理100ではなくて、しゃべったりするほうの比率があるから、場合によっては料理そのものよりも話すことの方が比率が高かったりもする。そういうわけで、まあ極端な話相手が満足していれば別にそれでいいかな、というところはあるものだ。