言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

安易な大盛りが身を滅ぼしたり

久々に足を運んだ店で、ふと目に入る文字。
「大盛無料」
そういえばそうだったな。大盛にしても値段が変わらないんだ。そうだよな。
ふと頭によぎるのは、いつも頼んでいるメニューのイメージである。甘辛いタレのかかった鳥のお重。美味しいけれど、いつもなんかちょっと少なめに感じるんだよな。甘辛のタレがしみ込んだご飯、美味しいよな。
久しぶりだったということもあって、私はそこで注文をした後「大盛で」と一言付け加えてしまった。たまにはいいよね、たまには。

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うまいやつ

いやーこれだよ、これ。久しぶりでめっちゃ美味いな。
けれども半分くらい食べてみて、そして少し後悔した。……ご飯の量が多いな、と。タレは美味い。タレと絡んだご飯も美味い。鳥も美味い。だけれどもやはりというか当たり前にご飯が多い。ちょっと失敗したな、と思った。ものには適量ってものがあるんだ。タレの量はいつも通りで白米部分が多いのも拍車をかけた。いやしまったな。


昔はあれだね、「ご飯お替り無料」に嬉しさを感じたもんだ。ご飯は無限に食べられる気がした。気がしただけだけれどまあ、定食とか味が濃いおかずなんかはよくお替りをしたわけだ。揚げ物系とか、中華系とか。焼肉系とかもそう。つい食べたくなって、食べられてしまう、そんな感じ。
しかしもう成長期はとっくに終わっているのだ。代謝だって落ちているわけで、成長するのは身長ではなく腹回りである。にもかかわらず、ご飯のお替りというのはしようと思えばできてしまう、これが一番怖い。
とはいえ、急に無理をすることはできない。増やすときも、減らすときも。食べる量を何日かかけて増やしていくと、だんだん食べられる量が日ごとに多くなっていく。大盛を頼んで量の多さに後悔しつつも食べきった日が月曜日だとすれば、似たようなことをしているうちに金曜日には普通に食べられるようになっている。これは成長と言えるのか? いや、訓練みたいなものだ。脳の満腹中枢か胃のサイズか、その両方だと思うけれどなんとなく適応してくるのである。適応してしまうのである。消費カロリーが変わっていないとしても、なんとなくで大盛を食べられてしまうような、そんな感じ。意図せず出てきた大盛のご飯が簡単にこの状況を誘発するので、気が付くと「あれ、今日はなんか物足りなかったな?」とか「今日は大盛にしちゃうか」なんて思ってしまったりもする。
食べる量を減らすのは簡単ではない。適正まで量を戻すというだけであっても、一度身体が大盛に慣れていると、容易に戻すことはできないのだ。だから自分をうまく騙さないといけない。
そういう時に嬉しいのは「ご飯お替り無料」ではなく「味噌汁お替り無料」である。汁物を多く摂ることで満腹中枢をうまくだまくらかすのだ。特に具沢山の味噌汁とかだと嬉しい。味噌汁お替り無料で本当にお替りする人ってご飯に比べてかなり少ない気がするけれど、私はそもそも味噌汁が好きだし、食べる量を意図的に抑えたいときには積極的にお替りする。
店的にはご飯より面倒くさいのかな? とか思ってしまうけれど、正直よくわからない。どうなんだろう。知っている人いたら教えてほしい。

大盛の鳥重を食べた翌日、私はタイ料理屋にいた。週替わりメニューが好きなやつだった。トムヤムラーメン。自動的にご飯もついてくる。

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麺は米粉でできているので、正確には「ラーメン」ではないかも

食べた。食べられた。普通に食べられた。……これは、良くない。良くないことだ。
そろそろ元に戻さなきゃならん。大盛はやめだ。ご飯を追加するのもやめだ。やめだやめだ。在宅勤務に戻るので、もう減らさなきゃならんのだ。

 ……え? ポテトLサイズ190円?

 

うーん。

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Mだと280円だし……