言葉のリハビリ場

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重陽の節句

9月9日は「重陽節句」というものらしい。聞いたことはあるようなないような、そんな感じの言葉だ。別名、菊の節句ともいうらしく、秋の競馬の重賞(G1)に「菊花賞」と言うだけあってなるほど菊と言えば秋の花である。
最も、例によってこれは旧暦の基準であるから、まだまだ9月の前半というのは夏の盛りである。気温だけ見れば晩夏というよりは盛夏に近いくらいかもしれない。だから菊の花が咲く頃、というのはもう少し後になるだろう。

そういえば、菊の花はよく食用にされる。菊の節句である重陽節句でも、昔から菊の花を浮かべた酒を飲む習慣があるようだ。なかなか風流なものである。これは菊の花の薬効を期待した物でもあるらしく、古くは花を漬け込んだお酒を飲んだりしていたらしい。
よく考えてみると、花そのものを食用にするというのは結構珍しいものである。ブロッコリーや菜の花と言ったものも鼻は花であるが、あれはあくまで花が咲く前の「つぼみ」が食用にされている。ミョウガも同じだ。つぼみを食べるのが野菜のジャンルとしては割と一般的のようである。
菊の花は何というか、ものすごくポピュラーな見た目の花びらである。花びらをむしゃむしゃと食べることにそこまで抵抗はないけれど、育てている様子を見ると普通の花屋に卸す花と違いがよくわからないだけに違和感というか不思議な感覚に襲われる。「花びらが円筒状になっていて空気を含んでいてシャキシャキした食感が味わえるんですよ」という説明も、理論的にはよくわかるのだけれど、まずその花を食べるんだという発想があまりないので、目の前で見たものが口の中に入る感覚を想像できずになんとなく流れて行ってしまう。花は食べないものだ、という意識があるからなんだと思う。たぶん。
食べない食用菊もあって(矛盾している)、刺身の盛り合わせについてくる菊の花がまさにそれである。あれは別にタンポポではないのだ。ちゃんと菊の持っている解毒効果を期待してあのように刺身のつまとして付けられているのだ。もっとも、「食べない食用菊」なんて言い方をしたが、あれも食べようと思えば食べられるらしい。だって食用の菊だから。花びらだけを取って醤油に浮かべるとか、刺身と一緒に食べるとかそういう食べ方があるらしい。食べない食用菊は実は食べられたのだ。……結局、食用なので。
とはいえまあ、刺身のつまとして出てくるタンポポもとい食用菊は、宗谷って進められない限りは食べてみないと思う。やるとしても家でこっそり一人で試してみるとか、そういうやつ。「硬い部分を取れば枝豆は皮の部分も食べられる」という話と一緒で、まあなんというか実験というか挑戦というかそんな感じで試してみるくらいかな。
食べるならちゃんと(という言い方は間違っているが)食用に売られている菊の花を食べたいものだ。昔、何かの時に干し菊ってのを貰ったことがあったけれど、ああいうのだったらまた試してみたいな。