言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

グルメ描写の話

グルメ漫画は好きだけれど、グルメ漫画を再現したブログはもっと好きだ。

グルメ漫画の多くは出てくる料理のレシピが載っていて、漫画として描く前にちゃんと試作して食べていたりするものが多く、(突拍子もないようなネタのようなものは除いて)とても美味しそうだな、と思うものが多い。実際にそこに説得力があるからこそグルメ漫画というのは面白いのだと思うけれど、じゃあ実際に再現してみましょうか、となるのは少々ハードルが高い。

そういう意味で、漫画に出てくる料理を再現するブログというのは非常に貴重な存在だし、実際見ていて非常に面白いものである。

ただし、その類のブログでは思いもよらないところからネタバレを食らう危険性があるので、読むときはそれなりに気を使って題材を選び取る必要がある。グルメ漫画、特に料理をして対決するような漫画であれば、料理そのものがネタバレだったりする。そして、料理の中身を解説するときにもうっかりネタバレが書いてあったりして、まあそれはもう避けようがないからしょうがないのであるけれどなんとも言えない気持ちになることはある。「のちに結婚することになる2人ですが」とか、「この頃はまだ妹がいなくて」とか、さらっと書いてあってびっくりする、とか。書いている人に悪気は全くなくて、むしろ途中までしか読んでいないのが悪いわけなのだけれど、まあ例えばクッキングパパとかみたいに150巻以上出ている物を追いかけるのはなかなか難しいこともあってこういったことが発生しているのである。グルメ漫画なので結婚とかそういうのは主題ではないのでいいのだけれども、だからこそうっかり見てしまったときはがっかりしたものだ。マジかよ、と。

 


グルメ漫画というのはよく読むけれど、そういえばグルメ小説というのは読んだことがない。食事をテーマにしたコラムや、エッセイなど、そういったものを目にすることは多いけれど、小説とまでなるとなかなか読んだことがない。

今の今まで気が付かなかったのが不思議なくらいだ。どう考えても好きなジャンルである。よくミステリーとか、歴史ものとかを読むし、音楽を題材にしたものなんてのは映像でも漫画でもなく小説で表現するのは難しいよな、なんて思いながらもよく読むジャンルである。それ何にグルメを扱ったものを読んだことがないというのはおかしな話である。

 


グルメというジャンルに関わらず、食事を扱う描写というのはいろいろな作品に登場する。その中でも、私は「おなかをすかせた人を家に上げて、適当にあり合わせの料理で料理を作る」描写が好きである。好きとか嫌いとかあるのかよ、と思うかもしれないけれど、ああいうシーンはなんとなく頭に残って離れないのだ。

妙に細かい描写がしてあると、きっとこの料理は書いた人が得意な料理なんだろうな、とかそんなことに気持ちが行ってしまう。実際そんなことがあとがきに書いてあったりすると、やっぱりな、と思うわけで。話の本筋とは全く関係ないけれど、なんとなく欠かしてはいけないシーンなのだと個人的には思う。物語の中に生きている人がいて、その人たちが生活している姿に対してのリアルさが見えてすごく好きなのだ。もちろんそのシーンが物語にとってものすごく重要な場面であったりしても良いのだけれど、一見無駄に見えるそんな日常シーンがあるからこそ、いろんな物語が引き立つ……のだと思う。

漫画だとそこに絵があるから当たり前だけれど、文字でのそんな描写は結構個性が出るところだ。嘘でも本当でも空想でもリアルでも本当はどうだっていいのだけれど、そういう何でもない一場面がとても好きなのだ。

物語としては何か起こらなくてはならないけれど、そうした何でもない日を何でもなく描くものを、たまらなく見たくなる時がある。同人誌が存在するというのはきっとそういうことなんだろう。物語の本編や、あるいは外伝であっても起伏のある物語がそこにはあって、ところが本当に何も起こらないAfterStoryというものは本当に貴重なわけで、それを求めるからこそ、想像を、空想を、あるいは妄想を、どんどん膨らませていって余韻に浸っていくんだろうなって、まあそう思うわけだ。

 


ああ、なんかお腹空いてきたな。