言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

わんこそばは自分との闘いである

盛岡には三大麺と称されるものがある。わんこそば、盛岡冷麺、盛岡じゃじゃ麺というものだ。

これには一応というか盛大に、盛岡三大麺普及協議会という組織の公式HPがあるのだ。そこにはちゃんとこの三種類の麺について語られている。

http://moriokasandaimen.com/

「中華麺の購入が全国の県庁所在地で第一位になる」と書いてあるけれど、先に挙げた三大麺はすべて中華麺を使わないものである。つまりは中華麺にかかわらず麺類がとても好まれている地域である、ということなのだろう。実際、この三大麺に次ぐ存在として「南部はっと」というものがあるが、これは麺自体はうどんである。イメージ以上に麺が親しまれているようだ。


先日盛岡に行ったのだが、その目的のうちの一つにはこの三大麺の制覇があった。もっとも、以前冷麺は食べたことがあったので、今回は残りのわんこそばと、じゃじゃ麺である。

じゃじゃ麺はお店に行って普通に注文すれば食べられる。うどんの上に特製のみそが載っていて、あとはキュウリやネギなどの野菜。これにオスを加えたりしながら混ぜて食べる、そんな料理である。専門店で食べれば最後にスープを注文でき、残った味噌と麺、あとは卵を割り入れて食べるとおいしいらしい(今回は食べなかった)。そんなわけでじゃじゃ麺はあっさり制覇できたのだが、問題はわんこそばである。
わんこそばの店は基本的に予約制である。なぜなら、給仕さんがついてくれてそばをついでくれるシステムになっているからだ。人気の観光イベントでもある。事前予約して向かうわけだ。
私の場合は盛岡に着いたその日にわんこそばを食べる予定になっていた。ところが先日にも書いたようにこの日は新幹線がずっと運転見合わせで、動き出しても予約に間に合うかすらわからない状況であった。だから私は一つの間違いを犯した。

15時を過ぎて電車が動かなかったので、これはもう間に合わないと判断して、ドトールに行ってしまったのである。ずっと立っていて疲れてしまったから、おやつでもためて休憩しよう、と。
ケーキと紅茶を注文して席に着く。運行情報を一応流し見しながらケーキを食べると、飛び込んできたのは16時からの運転再開情報だ。
16時運転再開。盛岡にはぎりぎり19時に到着する。19時過ぎに予約してあるわんこそばには十分間に合ってしまうわけである。目の前にはケーキと紅茶。時刻はすでに15時過ぎ。頼んでしまったものは平らげるしかない。


わんこそばは自分との闘いである。
お椀15杯食べるとだいたいざるそば1枚分。それを100杯目指して食べる(100を超えると証明の札がもらえる)のだ。当然定額の食べ放題方式である。70杯くらいが成人男性の平均だそうだ。それでもざるそば5枚弱。どう考えたって少ない量じゃない。
食事というよりはもはや闘いなのである。わんこそばはエンターテイメントであり、闘い。おかずや薬味を食べる暇もなく、せわしなくつがれるそばをひたすら食べていく。麺と一緒に出汁もつがれるが、これも飲んでいる余裕はない。定期的に専用の容器に捨てつつ、麺を食べる。つがれる。食べる。食べる。
ギブアップ宣言はお椀にふたをすることでできるので、いつでもできるように手元から近い場所に置いていたのだが、給仕の都合上遠くにどけられてしまった時は本当に肝が冷えた。その間もそばを食べ、つがれ、食べる。食べる。食べる。だんだん苦しくなってくる。苦しいのでペースが落ちる。食べずにお椀にそばがある時はつがれないのだが、口に運んでいる途中であれば、容赦なく次のそばがつがれるのである。なかなかきつい。

わんこそばは闘いだ。闘いだった。ケーキなど食べてから挑むものではない。絶対にだ。


実は、わんこそばそのものは一度似たようなものを食べたことがある。盛出し式わんこそばというもので、自分でお椀からお椀についで食べるセルフサービスのものだ。最初にきっちり24杯分お椀が出てくるのをゆっくり食べればいいので、全く違った趣である(平泉駅前で食べられるので興味があればぜひ)。


しばらくそばはいい。あれから1週間以上たったが、未だにそばは食べていない。
立ち食いでもいいからゆっくり、自分の食べたい量を食べたいペースで食べるのでいいかな。