言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

食堂の座席が元のように戻っていた


コロナ対応で長らく座席を減らして営業していた食堂が、通常通りの席数に戻されていた。これまで2人席、3人席しかなかったのに、机が連結されて6人掛けの座席になっている場所もあったり、さらには2人席だった箇所が向かい合わせで合計6人座れるように椅子が配置されていたりした。
思い出してみれば、食堂ってのはまあ確かにそういう雰囲気だった。長い机にみっちり詰め込まれた椅子。トレーが1人1つ分乗るのでスペース的には問題ないという感じで、確かにそうやって座るものだった。今の勤務先の食堂に関しては、異動してきたのが昨年なのでコロナ前のそれを知らないが、雰囲気として前はこうだったんだなというのを今になって実感しているわけだ。

とはいえ素直な感想としてはやはり、間隔が広い時の方が快適だったな、ということである。食堂に限らず飲食店全般で同じだと思うけれど、隣同士で座ると体が触れあうことがあるくらいの距離というのは決して快適なものではない。広いままであってほしかったな、とは思ってしまう。
ある意味で以前は当たり前だったはずの横幅が、コロナ対策として間隔を広げられていたことですっかりそちらに慣れてしまったわけである。

まあでも、世の中で言う「座席一人分」のスペースってのがそもそもが狭すぎないだろうか。たまにライブ会場などで成人男性の平均肩幅よりも狭い幅しかないパイプ椅子にお目にかかることがあるが、ああいうのっていったい誰が考えているんだろう。そりゃあ身体を密着させれば人間詰め込まれながらも座ることができる。それは朝の通勤電車のロングシートに座っている時だってそう思う。飲食店にしろなんにしろ、できるものなら身体を触れ合わせずに済ませたいものである。

今たまたま食堂の座席が戻されていたのを見つけただけだが、これからどんどん普通の飲食店も元に戻っていくんだろうか。
元からきっと座席を変えていないんだろうなという中華料理屋が会社の近くにあるけれど、どの店もまたあんな感じになるのかと思うと少し嫌だ。中華みたいに更数が増えがちな定食(お盆に乗っているのに乗り切っていなかったりして)は、よく一人分として設定されているスペースをはみ出しがちだ。というかあれだよな、餃子のタレを入れる小皿とか、そういう後から付け足すものが勘定に入っていない時がある。
ラーメン屋におけるつけ麺を頼んだ時もそう。つけ麺のつけ汁と麺の皿は大抵横に並べて食べるわけだが、そうするとまあつけ汁の方に身体を寄せるかあるいは器の方を真ん中に持っていくかするわけで、カウンタースペース上の間隔が狭い店だと隣の人に気を遣わないといけなくなったりするんだよな。

右手同士で箸を持って食事をしているのに気になるんだから、左で箸を持つ人にとってはさらに面倒だろう。私は左利きのくせに箸を右で持つタイプの人間なのでアレだけれど、文字を書くときは左なのでなんとなく気持ちはわかる。学生時代、習字の時とか、テストの時とかよく隣の人の邪魔になっていた。というか右側に座っている場合、左の人からはお互いの解答用紙が丸見えになるほど隣同士が近いこともあった。カンニングするなとか以前に物理的に手が当たる。同じようなことだろう。
世の中もう少し個人のスペースが広かったらいいのにな。
食事をする時くらいちょっと広めに使ってゆったりしたいし、他の事だって何でも……そんなに隣の人と触れ合いながら生きてきたいとは思っていないよ。

コロナ5類移行を契機として元通りにしようという動きが散見されるけれど、座席の幅はある程度維持してくれたらいいな、と私は思っている。このまましれっとスタンダード化してくれないか、頼むから。

アクリル板は別にいらないけれど、あれが付いていることによって強制的に間隔が広くなるのなら意味があるよね。

まあ今日帰りに寄ったそば屋はアクリル板のアクリルの部分だけ取っ払われていて、土台だけが残っているというよくわからない状態だったな。間隔は確かに確保されてるけども……なんだったんだろう、あれは。