言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

季節の野菜


最近よく、新玉ねぎのレシピを見かけるので自分でもやりたいと思っている。丸ごと使うレシピが多くて見ているとお手軽な感じだし、美味しそうに見える。なので試してみようと思うのだけれど、思うだけ思って未だに試していない。先日ようやく新玉ねぎは買った。先日というか、先週のことだ。
買ったが、もうGWである。新玉ねぎがスーパーに並ぶようになってからだいぶ経ってしまったし、GW前半は家におらず試すことはできない。玉ねぎは適当に冷蔵庫に入れている分には長持ちするということもあって無駄にはならないだろうけれど、なんとなくもったいない感じがしてしまう。

季節の食材というのはそもそも印象よりも旬が早く訪れるように思える。新玉ねぎに限らない。春キャベツとかもそう。そういえば最近見かけるし買おうかな、でも名に作ればいいんだろうな、などと思っているうちにいつの間にか旬が過ぎている。玉ねぎやキャベツはそれなりに長い間見かけたが、もっと季節的な野菜、たとえばセリみたいなそういうものは本当に目にしてから見かけなくなるまでが早い。こちらから待ち構える勢いで、出始めたらすぐに買う! くらいの意気込みがないとなかなか生活に取り込んでいくことはできない。
いやまあ別にだからどうということはないのだけれど、「もうそんな季節か~」などと思っているうちにあっという間に通り過ぎて行ってしまうので、本当にそれを使いたい食べたいと思うならば年間通して意識をしておかなければならないということである。

自分で調理をする前提なので勢いでは購入できない場合が多いが、外で食べる分にはそう難しいことはない。例えばタケノコなんかは、3,4月あたりは結構よく食べた気がする。よく行く居酒屋の季節のメニューに入っていたりして、美味しかったのでわざわざもう一度期間内に食べに行ったりした。チェーン店の季節限定メニューの類も同じである。そういう情報は見つけやすいし、取り込みやすい。

新玉ねぎが旬だから今期は新玉ねぎをたくさん買って色々食べよう! みたいなことになると急にハードルが上がり、気が付くととりあえずシーズンに1度くらいは買うけれど普通に味噌汁とかにしてしまってそれっぽい食べ方ができなかったりしてしまうのだ。

まあ全体的に「面倒くさい」の気持ちが先に立っているところはある。お手軽レシピでも、知らないレシピなら面倒くささが先に立ってしまう。時間も掛けたくない。そうすると、まあとりあえず刻んで鍋に放り込むだけで済む味噌汁や鍋物になるわけだ。実際楽だが、季節ものが活かされているかというと正直わからない。使い切れない大葉などよく最終的に味噌汁に突っ込まれることになるが、なんというかこうポジティブな投入ではなく割と雑で消極的な消費方法なわけで、そうすると「大根の葉」「春菊の茎」みたいなところと同ジャンルになってしまう。悪いことではないんだろうけれど、いささかもったいなさを感じてしまう。
余らせて捨てるよりはずっといいんだろうけれど。

でもなんか夜中に適当に見つける季節の野菜のレシピとかってどうも美味しく手試してみたくなるんだよな。メモったりスクショしたりブックマークしたりして保存するのだけれど、いいタイミングでそれを実践できるかというとなかなか難しい。
ブロッコリーの楽な茹で方みたいなそういうものは覚えたし何度も使っているけれど、まあそれくらいなんだよな、そこまでなんだよな。調味料はあるし売ってるの見かけるし作れるな、と見たときは思うけれど実際店で何が必要か思い出したり情報を引っ張り出したりしているうちに面倒になっていつも通りの買い物をしてしまったり、せっかく買ってもまあ今じゃなくていいかと冷蔵庫の奥の方に追いやられていく……そういうところはある。

冷蔵庫の新玉ねぎはどうなるだろうか。もはや5月で新玉ねぎではなく普通の玉ねぎの時期になりつつあるが、まあまだいけるだろう。
これで、ネットで見かけたレシピが最高に美味しかったら……それはそれで後悔するんだろうな。なんでもっと早く試さなかったんだ、って。
やらなかった場合はまあこの間カレールーを買ってきたしカレーの具になるか、そうでなきゃ味噌汁の具だな。それはそれでまあいいんだけどね、美味しいし。