言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

おやつの値段


「おやつは300円まで」という言葉を聞いたことがある人は多いと思う。

実際に小学校の頃に言われた……とかそういうこともあるだろうけれど、私としては特にそういう記憶はない。「お決まりのフレーズ」ではあるが、そもそも何か遠足的な行事で金額の制限を受けておやつを用意しようというシチュエーションに出会ったことがない。
私の性格からして、この手の制約を渡されたらどう考えても屁理屈をこねるはずだ。限界までお菓子を買えるように一生懸命に計算するというよりは、消費税がかからないように10円のお菓子を1つずつ決済する(当時は消費税が5%とかだったので消費税が加算される閾値が10円あたりにあった)みたいなことを考えただろうし、レシートの提出がないならそんなものわかるわけがないと開き直って正確に計算しなかったかもしれない。そういうことは何度も考えたり、友達との話題には上がったりするわけだが、実際に行動に移すようなシチュエーションはなかった。
小学校の遠足的な行事だと、逆に学校からお菓子が配られた。遠足代に含まれていたのだろう。バラエティパック的なお菓子を貰った記憶がある。行き帰りのバスの中、あるいは自由時間など決まったタイミングでだけ食べてよいという条件なのだけれど、私は大抵お菓子を余らせて家に持ち帰っていた。理由は単純だ。今でも多少あるが、当時は激しく乗り物酔いをする人間だったので、とてもじゃないがバスの中で何かを食べようだなんていう気にはなれなかったのである。本当に弱かったので、小学校から高速道路のインターにたどり着くまでの下道でもうすっかりダメになっていた。そうでなくとも「車内レク」というやつに参加するのも厳しいくらいだったので、ご褒美的な位置づけだったお菓子タイムの思い出は全くない。
修学旅行の時バスではなく電車移動だった時は本当に嬉しかったものだ。電車はなぜだかあまり酔わなかった。なので、その時に関しては遊んだ記憶がちゃんとある。お菓子は……どうだろう、食べなかったかもしれない。行先が日光であり、いろは坂をバスで登るという個人的には罰ゲームでしかないイベントがあったので、控えていたのかもしれない。
おやつは300円まで、みたいなフレーズを聞くことはなかったわけだが、たぶん小学生の私なら、おやつを自分で購入できる機会があったとしてもあまり頑張っては買わなかったかもしれない。

おやつの値段を気にするようになったのは、小学校の高学年に入った時だ。近所に駄菓子屋ができたのだ。私の地元はそれまで駄菓子屋というものは存在していなかったのだが、急に五年生くらいになって家の近くに駄菓子屋ができた。何の前触れもなくできたので最初は遠巻きにしていたが、ちょうど給食などでは食欲を賄いきれない年頃で、なおかつ古そうな構えの駄菓子屋なのにできたばっかりで常連がいないという謎のシチュエーションも相まってすぐにハマった。
駄菓子屋のお菓子は意味が解らないくらい安い。全部小銭、それも10円玉がいくらかあればそれだけで事足りる。夢のような空間だった。あの1年くらいの時間しか行かなかったが、一時期は結構足しげく通ったものだ。
駄菓子屋で考えるならば、300円使ったとしてもかなりの量のお菓子を手に入れることができるだろう。あたりが出ればもう一つ、という商品も多く、それなりに恩恵にあずかったような記憶もある。駄菓子屋の存在する300円とそうでない300円では購入できるお菓子の満足度はかなり違うだろうなと当時わりと真剣に考えたものだった。活かす機会は特に来なかった。
むしろその後、中学生になって私はコンビニにハマった。駅前にできたばかりのコンビニに足しげく通っておにぎりなどを調達して、部活の遠征に出かけたものだ。もちろんお弁当などは持っているわけだが、それとは別におにぎりを買っていくのだ。全部合わせても昼まで持たず、夕方、帰り道にまたコンビニに寄って買い食いして顧問に見つかって怒られたりした。お菓子より食事が大事だったのはまあ中学生らしいと言えばらしいと思う。300円あったらおにぎりを3つくらい買っていたと思う。

大人になった今はといえば、お菓子をまとめて買うようになった。世の中値上げラッシュでお菓子も大体値上げか容量が減っているけれど、それでも先日適当にいろいろまとめて買ったのに合計金額が千円くらいでちょっと嬉しかった。無駄遣いと言えば無駄遣いなんだけれど、無駄にした割には安くて良かったな、と。
子供の頃のあの300円という概念や、駄菓子屋で使ったお金、そういうものと比べるとずっと大きな金額なわけで、そういう意味ではやっぱり贅沢なのかもしれない。
大人になった、というのはこういうことなのかもしれないな。お菓子を千円分買って家に帰る、そういうことが。