言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

駄菓子

駄菓子の詰め合わせのセットを見つけて、思わず買ってしまった。

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懐かしいな、という気持ちでいっぱいだ。
さいころ、町内会のお祭りとかで最後にもらえるお菓子と言えば駄菓子の詰め合わせセットだった記憶がある。駄菓子に釣られて参加していたというほどではないけれど、目的の一つではあった。
アソートの大袋、というのがいいんだよな。一気にたくさん手に入るのが嬉しいものだ。まあ普段、お菓子をいっぺんにもらう機会なんてあまりなかったわけで、ボーナスステージみたいなもんだ。
さいころもらっていた袋はたぶんもう一回り大きなものだったと思う。うまい棒が2本くらいと、それから「にんじん」というでかいポン菓子とかが入っていた。場合によってはひも状のグミが入っていたということもあったかもしれない。
でもまあそれ以外はおおむね懐かしい顔ぶれで、ああ結構好きだったな、とか、これはあんまり好きじゃなくて最後まで残っていたな、とかそんなことが思い出されるものである。

まあでも今になって思うのは、こういう駄菓子のアソートというのと、実際の駄菓子屋で食べるもののラインナップというのはだいぶ違っているということだ。
くくりは同じ駄菓子だけれど、持って帰って家で食べるお菓子の延長線上であるアソートパックと、店で適当に買ってその場で食べる駄菓子屋の駄菓子とで被っていたのはうまい棒くらいだったと思う。
その辺、世の中的にはどうだったんだろう。
私はアソートのパックでは「キャベツ太郎」が特に好きで、駄菓子屋にも置いてあったとは思うけれど、そこで買ったような記憶はあんまりないんだよな。
串刺しの甘辛のイカだとか、ブタメン(小さいカップ麺)だとか、その派生のペペロンチーノだとかまあ結構おなかに溜まりそうなものを選んで食べていたものだ。当たり付きのきな粉棒とか、そういうちょっと甘い系のものも食べたけれど、基本的にはしょっぱくておなかに溜まるもの、がメインだったと思う。

私の家の周りはちょっと特殊で、駄菓子屋が小学校の高学年になってから新しくできるという謎の環境だったので、それまでは駄菓子屋というのは空想上の存在のようなものだった。「聞くところによると昔は存在していた昭和の思い出」みたいなイメージで、どこか知らないノスタルジックなものだと思っていたわけである。
それが急に小学校の高学年になって新しく出展されたわけだからまあ、事件である。
本当に駄菓子屋ってあるんだ、と。

しかも聞いていた通り、その場で食べる用のものがたくさん置かれているので否応なくテンションが上がったものだ。
ブタメンを買って、その場でお湯を注いでもらって食べるとか、イカを買うや否やそのまま口に突っ込むとか、何かの祭りかと思ったものだ。
低学年の頃なら自由に買うことはたぶんできなかったと思うけれど、高学年ともなれば駄菓子屋では無敵である。そういう意味でも、後からできたというのは私にとっては幸運だった。
コンビニも普通にその辺に存在していたけれど、駄菓子屋とコンビニでは価格帯が大きく異なる。コンビニはたまに昼ご飯用のおにぎりを買うために親からお金をもらってお使いに行く場所だった。駄菓子屋は小銭を握りしめて自分の小腹を満たしに行くところである。
中学に入ってからは部活等もあり行かなくなったので実質1,2年くらいしか駄菓子屋には行っていないけれど、今でも結構覚えているものだ。
ちなみにもう、そのお店は閉店してしまっている。もうだいぶ前に違う店になっていたし、通算で6,7年も開いてなかったんじゃないだろうか。だから多分、地元であの駄菓子屋の話をしたときにわかってくれるのは結構特定の世代の人だけだと思う。

袋入りの駄菓子は今でもこうしてアソートパックとしても、個別でも買うことができるわけだけれど、駄菓子屋のお菓子たちはだいぶ生産量を減らしているという。ここ数年は懐かしの駄菓子屋アイテムが次々と販売中止になっていく様子がニュースなどで報じられている。
私ももう何年も食べていない。5,6年前に誰かが気まぐれで買ってきたでかいイカの甘辛いやつを「懐かしいな」とか言いながらつまみとして何人かで食べたのが最後くらいじゃないだろうか。
ああまあ、駄菓子バーとかに行けば食べないことはないな。とはいえ、最近行ってないわけだけれど。
思ったよりも駄菓子ってのは、能動的に受け取るもんだったんだな、なんて今更思ったりして。