言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

春の夜の話

在宅勤務の日は、大抵夜になってから家を出て買い物に行く。理由は単純で、昼間に買い物に行く暇がないからである。昼間の1時間休憩の間に出かけて食事と買い物を済ませる……ということもまあできなくはないのだけれど、食事はともかく買い物まで済ませると1時間では微妙に足が出るので難しいところだ。
家から駅までは10分弱。往復だけで20分使うとなると、意外と時間的余裕はない。現実的にはせいぜい同じ駅前にある郵便局やコンビニに寄る程度だ。スーパーで買い物をしたりするのは少々厳しい。頑張ればどうにかなるけれど、頑張って帰ったところでそのまま仕事なわけだ。それなら事前にいろいろ用意しておいて家で昼休憩をゆっくりとるのが楽である。
夜仕事が終わって、お腹が空いていなければ買い物を先に済ませることがあるが、そうでない場合は大抵食事が先である。諸語と終わりの食後は全然やる気が出てこないのでダラダラしたりしているとあら不思議、いつのまにか21時を過ぎている。一日家にいて外出を全くしないというのも気持ち的には全然問題ないのだけれど、それをし過ぎると人間の身体というのはおかしくなるらしい。2020年、あまりにも家から出ないまま生活をしていたら健康診断で運動不足が原因と思われる数値の悪化が露見した。だから、どんなに遅い時間になってもあえて買い物に出かけることにしている。最低でも一日3000歩くらいの歩数が稼げるようになる。それでも少ないとは思うが、しないよりはずっとマシである。

前置きが長くなったがともかく、私は昼間9時-18時(18時で仕事は終わらないが)で働いていながらにして夜になってから出かける人間だということである。
22時などに出歩くとさすがに世間はだいぶ静かである。家の周りは住宅街であり、電車やバスは走っているものの日中ほどの頻度ではない。

ある夜、また例のごとく22時頃に出歩いていた。メインの通りを逸れてコンビニへの短絡路を歩いていると、普段全然人通りのないはずの場所で話し声が聞こえてきた。住宅街の中、大通りに出る手前の細い道に面しているマンションの敷地からのようである。家の中ではなく、外での話し声らしい。
なんだろうと思って駐車場の方をそれとなく覗いてみると3人の人影があった。

制服を着た男女3人が、駐車場の車止めに腰を下ろして何かを話しているようだ。女の子が2人、男の子が1人。会話の内容まではわからなかったが、3人でスマホを見たりしながらダラダラと話しているようだった。中学生か高校生かわからないが、きっと学校の帰りのままなんだろうと思う。時間帯からして塾帰りとかなんだろうと思うけれど、私にはそれを知る術はない。

大いに盛り上がっている……というわけでもなく、小さめの声でなんとなく会話が続いている。そんな光景を見て、なんというか、青春ってああいうことだよな、とわけもなく思ってしまった。

帰り道、なんとなく話し足りなくていつまでも帰らずにずっと話していた時間は昔の学生時代の私にもあった。何か真面目な話があるとかでは決してないのに、ダラダラと、帰りたくなくてずっと話してしまう夜。そろそろ帰らないとな、と時間を確認しつつも、「そういえば」とか別に今話さなくてもいいんじゃないかということで繋いだり、次の予定の話をしてみたり。具体的にどんな話をしていたかなんてことは後から特に思い出せなかったりするのだけれど、延長戦、ロスタイムのような時間をずいぶんと作ったものだ。

それにしたって、2人じゃないというのがまた絶妙だ。
3人。この3人はどういう関係なんだろう。どうして今日ここで座ってずっと話をしているのだろう。
そもそも既に3月の後半なわけで、学校はそろそろ春休みだったりするんじゃないだろうか。3年生なら卒業しているかもしれないが、それ以外ならまだギリギリ授業があったりするのかな。

そうでなくともこの時期というのは学生にとってとても微妙な時期だ。
卒業、進学だけでなく進級というのもある。もう少しで環境がいくらか変化するんだという時期だろう。年度末のギリギリの延長戦、アディショナルタイム。日付も時間もまさにそんな具合だろうか。


……私はそういうことを考えるのが好きだ。別に正解が知りたいわけではない。
でもついつい、彼ら彼女らはどんな関係で、どうしてこの場にいて、どうして一緒に話し込んでいるんだろうな、なんてことを考えてしまう。

私がコンビニに買い物に行って戻ってきてもまだ同じように座り込んでいた。そろそろ帰らないとさすがにマズい時間じゃないのかな、なんておせっかいなことを考えてしまうが、まあどういう事情かなんてわからないのだからそういうことは気にしないことにした。
彼らを横目に見ながら、私は邪魔をしないように足早に家路を急ぐことにした。

私にもあんな時代があったな、あったけれど……案外今でも似たようなことをしてなくもないかもしれないな。場所が夜中の終電ギリギリの居酒屋だったり、遠征先のホテルだったりするだけで。友人と出かけた先、ホテルの部屋で夜中までダラダラしゃべっている時間は妙に楽しいものだ。ああ、程よい温度の露天風呂とかでもそうかな。わけがわからない話なのに妙に話し込んでしまったり。でもなんというか大人になってからのそういう時間にはある種の切なさ儚さみたいなものはあまりないわけで、学生時代のそれとはまた別ものかもしれないな。