言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

印鑑レス


宅配便を受け取るときにふと印鑑を探したら、いつもの場所に置いてないことに気が付いた。そう言えばこの間持ち出したのだけれど、あれから戻していなかったらしい。100円ショップで買ったような印鑑なので大したものではないけれど、それでもやっぱり所定の位置にないと不安になる。
記憶をたどったうえで改めて探したら、スーツのポケットの中から出てきた。使ったわけではなく、必要になるかもしれないと念のため持って行っただけのものだったので、そのまま忘れてしまっていた(今私服で出社しているので急にスーツを使わなくなった)のだ。
ひとまず家の中の所定の位置に戻しておいた。

銀行とかで使うような印鑑に関しては、貴重品としてしまってあるのでそれをなくすようなことはまあたぶんない。基本的に公共機関に提出するような書類にしか使わないので、逆に持ち出してどうこうする機会がほとんどないからだ。これに関してはちょうど今日、公共機関への支払い変更のために使ったので、ちゃんと所在を確認済である。
反面、「サインとかと同じ扱いの簡単な印鑑に関しては、わりかし適当に扱っている面がある。所定の位置というのは存在するが、とりあえずぱっと取り出しやすいところ、というだけなので別に何か枠があるわけでもない適当な開けっ放しの袋の上である。宅配が来たときに取り出しやすいかどうかだけが基準である。
なのでごく稀に持ち出した時などの後で探すと、すぐに見つからなかったりする。どこかに放置して戻していないのだ。スーツのポケットに入れたままだったというのもその意識の低さ故である。
でもまあ意識動向もあるけれど、使用する機会がほとんどないのも大きな要因だ。だってスーツで持ち出していた時期は先月の初め頃なわけで、そこから1ヶ月は経過している。それまで使う機会どころか気にもしていなかったわけである。

Amazonやヨドバシ、ビックカメラあたりの配達の場合は基本的に印鑑やサインが不要での受け渡しが主流だ。最初は違ったと思うが、いつからか印鑑が不要になった。今はほとんどそれらの配達しか受け取ることがないので、何か印を求められるシチュエーションというのが他にはない。それでもたまに個別のオンラインショップや普段あまり使わないタイプの通販サイトを利用した際にだけは何かサインをする必要があるので、一応そのために持っているというくらいだ。最初に挙げたもの以外でも印鑑不要の場合は増えているけれど、それでも習慣でとりあえず印鑑を探してから荷物を受け取るようなところはある。
ないと困る、というのは確かなことである。一応サインでもなんとかなる場面は多いが、家でならボールペンを携帯していることもないので印鑑片手に受け取りに行くほうが楽である。まあ楽かどうかという観点だけなので、万が一失くしてしまっても代用が効くという面はある。それくらいの曖昧な立ち位置のものだ。

しかしまあ印鑑もそうだけれど、クレジットカード利用後にサインをするというのも最近は減ったように感じている。高額決裁したときは別だけれど、ちょっとした買い物の際にサインや暗証番号を求められることは少なくなった。どういう基準があるのか知らないが、印鑑の場合と同じで省略できる場合が多くなったのだろう。どういう場合に求められるのかよくわかっていないので一応身構えるけれど、暗証番号すら求められないということも結構多いので最近は逆にサインまで求められると内心驚いてしまったりもする。それくらいサインレスというのは普通になってきている。
というかそもそもiD決済などを通じて最近はクレカ本体すら出さずにクレカ決済ができてしまうのが普通であり、そうするとそのうち印鑑どころかカードそのものを紛失したことに気づかないような、そんな日が来てしまうかもしれない。印鑑そのものよりもずっと危険なので用心しないと……。

まあそのうち時代が進んだら今度は手書き文字というものが廃れて行って、ほとんど字が書けなくなってしまう時代が来るかも……なんて。