言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

昨日の恵方巻


昨日は節分だったので、帰りがけに恵方巻を買って帰った。
金曜日ということで外食をして帰る選択肢もあったのだけれど、スーパーを覗いたらたくさん売られていたのでつい買って帰ってしまったというわけだ。昨年は確か遅い時間に買い物に行ったので選ぶほどの種類がなかったような気がしているが、今年は20時手前くらいだったので普通にたくさん売られていた。というかそこだけ人だかりになっていて、恵方巻ってのは凄いんだなと思い知らされた。

私はそもそも太巻きが好きである。海鮮のたくさん詰まった豪華なものではなくて、かんぴょうとか玉子がメインで穴子が少し入っているようなやつ。ああいうぱっと見地味なやつが好きだ。普段からかんぴょうとか穴子とか玉子とかそういうものが好きなのだ。玉子焼きはたまに作るし、かんぴょうを煮たこともある。あれは結構いい、面倒だけれど。穴子はまああんまり食べることはないかもしれないが太巻きでなら割と食べる機会も多い。
穴子は昔から大好きだが、かんぴょうや玉子を寿司の具材として再発見したのは大人になってからだ。食べ盛りの時期、そういう地味なものはあまり好んで食べてこなかった。もっと目先の変わった、ご飯のおかずのようなパンチの効いたものが好きだと思っていた。それはそれで真実だったのだろうけれど、それはそれとして今は地味で目立たないかもしれない定番な太巻きのようなものがはっきりと好きだと言える。助六寿司みたいな生モノの入っていない寿司折りなんて……という気持ちは中学高校のあたりで置いてきた。なんだって食べる。なんだって好きだ。そもそも昔から嫌いではなかったはずなのだ。
さいころ、それこそ小学校に上がるかどうか位の子供用サビ抜き寿司桶にはかっぱ巻きやかんぴょう巻きというのは定番である。少し大きくなって、そういった巻物は「子供の食べ物だ」みたいなことを思って手を付けなくなった。卒業していくものなのだと思っていた。
まあでも一度卒業したかもしれないが、そういう巻き寿司もいつからかまた普通に食べるようになった。生モノではないのでよく食べきれないまま残される巻き寿司たちを、少し時間が経ってから食べる美味しさなんかも知ってしまった。
夜に割引されている5切れ入りくらいの太巻きパックを買って、それを翌朝に食べたり(賞味期限切れなのでマネしないで欲しい)なんてことも良くしている時期があった。最近はあんまり夜まで太巻きが残らないのか、あまり売らなくなったのかわからないが、割引品の太巻きを目にすることがほとんどなかった。なのでちょっとご無沙汰していたが、恵方巻の時期が近くなり生産数を増やしたようすで夜まで残っているのを再び見かけるようになったりもして、嬉しくて久々に買ったりした。

恵方巻という文化は子供の頃にはあまり広まっていなかった(関東圏なので)が、最近はすっかり定番化したものだ。私はそれがうれしい。太巻きがたくさん店に並ぶ日なんてよくよく考えたらかなり不思議な日である。お寿司フェアが開催されて大ネタの握り寿司なんかがたくさん売り出されるとかは想像しやすい光景だけれど、イベントも何もなく太巻きが大量に並べられる光景というのは普通は考えられない。
イベント、行事というのは偉大である。巻物の専門店でしか昔は見られなかったような1本売りの巻き寿司がこれでもかと並んでいるのは未だになかなか面白い光景だと思っている。
何にせよ太巻きを食べることのできるので私は嬉しい。だからつい昨日も太巻きを買って帰ってしまったのだ。

ただまあ太巻きというのは太い巻物なわけで、1本を1人で食べきるのはなかなか大変である。にもかかわらず、私は1.5本分の太巻きもとい恵方巻を買って帰ってしまった。ハーフサイズの海鮮太巻きと、普通サイズの極めて普通な和風太巻きである。前者は生モノなので先に食べて、後者は半分残して冷蔵庫に入れて翌朝つまり今日食べた。
空腹時に買い物になんて行くものではないけれど、まあ年に一度の恵方巻の日だ、仕方がない。