言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

節分と恵方巻と豆とそれから

 

明日は節分だ。基本的には豆を撒く日なわけだけれど、最近はもうもっぱら恵方巻を食べる日というように定着をしている。15年くらい前に初めて知ったような概念ではあるものの、すっかり習慣として定着したような感じもある。
私は太巻きが元々大好物であるのでこの節分前までの1か月というのは大ボーナスステージのような状況だ。恵方巻のお試し版のようなものがスーパーやコンビニに並ぶので、いろいろ選びやすい。普通の太巻き同様に食べやすく4つくらいに切り分けられて売られているのを見ると、ついつい手が出てしまうものだ。生の海鮮入りの物だって通常の太巻き類(オーソドックスな和風のものや、サラダ巻きのようなもの)と比べて多少割高にはなるが、それでも恵方巻として購入するよりは割とお買い得であると思う。まあもっとも、私が買いに行くタイミングにはもう割引シールが貼られていることがほとんどなので、より安く感じているところはあるが。

まあただ手を出すのはお試し用のものまでで、いざ節分当日となるとなかなかどうだろう恵方巻には手が出ないものだ。純粋に値段が高いからというのが一番の理由だ。普段から売っている和風太巻きなんかも恵方巻扱いされてて並べられているが、別になんというか丸かじりしたいわけではないんだよな、根本的に。普通に太巻きとして食べたい。コスパを考えると別に1本だろうが切ってあろうがさほど値段に変わりはなかったりもするのだけれど、なんとなく手が出ないでいる。

代わりに、というか本来節分に食べるものと言えば豆である。炒り豆を歳の数(本来は数え年?)だけ食べる、というのが一般的な習慣だろう。私も年間通して特に大豆を言ったまま食べる習慣はないのだけれど、この節分の時くらいはと口にすることが多い。
節分の前後のなんとなく口さみしい時のお供は大豆ということになるのだけれど、今年何かのついでで貰って食べてみたらずいぶんと味気ない感じでびっくりしてしまった。途中で食べるのをやめたくなってしまうほどだった。なぜなんだろう。大豆にも良し悪しがちゃんとあるということなのか、私の味覚の方がおかしくなってしまったのか……などといろいろ考えた挙句、最近ミックスナッツをよく食べることに思い至った。塩味のよく効いたミックスナッツを食べつけていたがために、たぶん味付けのない大豆があまりおいしくないと感じてしまったのだと思う。そのうえピーナッツやアーモンドなどは豆自体の味が結構濃いので、余計に大豆が淡白に感じられてしまったのかもしれない。
10個程度しか入っていない小袋とはいえまだもらった中には5袋くらい残っていしまっているが……これ、どうしたらいいんだろう。炒り大豆というのは何か他のものに転生させることができるのだろうか……? あるいはあれか、塩でも振って食べるとか?
……なんだかそれは悪いことをしているような気持になるな。
とりあえずもう一袋食べてみて、それから何か工夫をした方がよさそうなら考えたい。

恵方巻や豆が目立つが、それ以外にも節分に食べると良いとされている食べ物はいろいろあるようだ。地域ごとに結構独自色があって面白いようだ。まあ元々恵方巻だって関西の習慣だったわけだし、今後各地方の習慣が広まっていくということは普通にありそうであはある。

そういえば私も全然知らなかったのだけれど、関東地方には節分にけんちん汁を食べる風習もあるらしい。スーパーのチラシなどでけんちん汁がプッシュされているな、というのは数日前からなんとなく見ていたのだけれど、まさか節分の風習だとか思いも知らなかった。関東にずっと住んではいるが、特にそういったことはしたことがなかったからである。
ただまあよくよく調べてみると、けんちん汁を食べる習慣というのは別に節分に限ったことではないようだ。寒い日の行事終わりにけんちん汁を食べるのが通例になっていた名残で、今でも節分の行事にけんちん汁、という習慣があるらしい。主に仏教系の行事になるわけだが、確かに冬のお寺なんてどう考えても寒いもんな。
今なら寒い日に大鍋で作った豚汁が美味しい、なんてこともあるだろうけれど、仏門であれば肉は使えないわけでけんちん汁になるのも納得である。
今日明日で作るのは平日なので面倒くさいけれど、土日あたりに作って食べようかな。恵方巻には手が出なくとも、家で汁物を作ってあったまるのは手ごろでいいかもしれない。