言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

明日は冬至


明日は冬至である。スーパーでゆずが売っていてその周りだけちょっといい香りになっていた。かぼちゃには値引きシールが貼ってあった。なんでだろう。


冬至と言うことで明日は一年の中で昼が最も短く、夜が最も長くなる日……ということになるのだけれど、もうとっくにそんな気がしてしまうほど日が暮れるのが早くなった。日が傾き始めてからの「夕方感」のようなものがあるけれど、今時分はもう15時とかになると結構日が傾いている気がしてあっという間に夜になってしまうように思えてしまう。実際16時半くらいにはカーテンをしてようかなと言う気分になるので、世の中が暗くなるのはだいぶ早く感じているわけである。
明日が冬至と言うことは、ちょうど折り返し地点と言うことだ。これから昼の時間が長くなっていく。ただまあ実感としては全然長くなっていく気はしないだろう。毎年寒さが和らいでくる頃になってようやく、そう言えば日暮れが遅くなった気がすると、そんな風に思っている節はある。秋から冬にかけてつるべ落としのようにあっという間に夜がやってくるような季節を経て、春ようやく元に戻るような、まあそんな感じだろう。
毎日少しずつ日の出日の入り時刻が変わっていくので、一気に何か変化するなんてことは当然ないはずなのだけれど、体感的にはなんだかいきなり季節が進んでいくような感じと同じように日の出日の入り時刻も移り変わっているような気がしてならない。

ここ数日は最高気温が10℃に到達しない日が続き、すっかり冬の寒さが本格化している。おかげで、朝起きたときの1時間くらいだけ暖房を消すけれど、あとはずっとつけっぱなしになっている。日中日が出ていても10℃とかならば、だいぶ寒さを感じるものだ。特にじっと椅子に座って仕事などしていると、足先が冷えてしょうがない。
暖房の効き具合と言うのは実に微妙なところだ。顔はたまに暑いような気がするときはあるが、日中、基本的に足先は寒い。たまに手も寒い。そうするとたぶん、暖房の設定温度が誤っているんじゃないかと思うことはある。冷房の温度と言うのは基準がしっかりしていて明確だけれど、暖房の設定温度と言うのは実のところどのくらいにするのが正解かよくわからない。冷房以上に暖房は外気温とのかかわりがよくわからないところはある。設定した温度に部屋を温めてくれるならば、外気温0℃に対して15℃でもあればそれなりに温かく感じるんじゃないかなどと思ってしまうが、実のところは外気温が寒ければ寒いほど暖房の設定温度は上がっていくものである。そのあたりの調節が難しい。
夜はまあどうせ調節もせずつけっぱなしなので気にする術もないが、日中はずっと目にも入るし身体でも感じ続けるので、つい設定温度をいじりたくなる。我が家のエアコンはかなり古い(2008年製)せいか、ある程度の温度に温めると全然口を開けたまま動かなくなる。なんか寒いな、と思って顔を上げると、暖房が静かに風も出さずに開いたまま静止している様子を見ることができる。勝手に運転調整みたいなことをするのだ。寒い日はそれがなくずっと稼働し続けるので、なんとなく部屋の温度とかの状況を見て稼働調整をしてくれてしまうのだと思う。
そんな舐めたことをされるのはまあイラっと来るのだけれど、雪の降るような本当に寒い時は別の理由で暖房機能が止まることがあってそれも困ったりする。室外機が凍ってしまったりしていると、それを溶かすために暖房機能を止めて室外機に向けて熱気を送り始めるのである。その間部屋のことは放置だ。暖房的にはずっとフル稼働しているわけだが、部屋と室外機の両方を面倒見なくてはいけなくていっぱいいっぱいになっているのがわかるだけに、イライラもせずただただ困るだけである。まあそんな日は年に数回くらいなので適当に再稼働を待てばいいのだけれど、部屋の中の体感温度が時間によって乱高下してなかなか快適に過ごし辛いのが難点だ。夜なら布団をかぶって寝るだけだが、寝る前の時間とかがなかなか寒くて仕方がない。
まあそういう時は風呂に入って身体が暖かいうちに寝るのが一番だ。一日のうち、特に足先について一番暖かいのは風呂上りに靴下をはいた時、である。カイロなどをつかうよりもずっと芯まで温まるのが風呂である。お湯をためなくてもこれは同じだ。

日は短いし寒いし気は滅入るものだけれど、今年もいよいよ年の瀬である。もうすでに一度体調を崩しているだけに、せめて残りの10日くらいは元気に過ごしたいものである。
だからまああんまり好きじゃないけれどかぼちゃとか食べようかな、明日は。