言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

いちごの美味しい季節になってきた



これくらいの時期になるとスーパーにいちごが並ぶ。いちごの値段というのは他の果物に比べると高い感じはあるが、好きなのである程度の値段まで下がるとすぐに手を出してしまう。800円台とかだとさすがにまだちょっと……と言う感じだが、598円のパックはちょっと高い感じがしながらもその分パック内にみっちりいちごが詰め込まれていたりするのでもうこの値段だと私は手を出してしまう。産地とかブランドとかをあまり気にせずパッと見て美味しそうで値段がそれなりならばもう買いだ。
出初めの果物と言うのは最盛期に比べると多少質が落ちるかもしれないが、シーズン最初に口にする場合はそんなことは全然気にならない。特にいちごはちょっと値が張るからこそ、ああいちごだ、今年も美味しいな、と素敵な気分になるわけである。加工品のみならずケーキの上やフルーツサンドなどで年中お目にかかることはできるのだけれど、シーズンが始まって最初の方に家で水洗いした後にほおばるいちごというのはなかなか格別なものである。今年も先週初めて1パック購入したが、美味しくてあっという間に食べきってしまった。日曜日にちょっとだけ安くなっていたのですかさず2パック目も購入して、今日も食べた。
シーズンが進んでいくにつれてより美味しい、いいものを食べようとして吟味するようになったり、高いブランドいちごに手を出したりしていくわけだが、それはもう十分旬のいちごを堪能したからということに他ならない。
いちごを食べたいという欲を最初に満たし、そのあとはだんだん「おいしいいちご」を食べたい欲を満たしていく。

この感じはいちご狩りの30分間でも似たような気持ちになっていくので結構分かりやすい。
いちご狩りの30分というのは食べ放題基準で考えれば短いが、実際に体験するとなかなか長く感じるものである。
最初の10分はあっという間だ。喜び勇んでビニールハウスに入っていくと、最初はもう目に付いたいちごといういちごを手あたり次第食べていくことになる。冬のビニールハウスと言うのは大抵温度差と湿気でメガネが曇って真っ白になるわけだが、その眼鏡を外して裸眼でもいいからととにかく赤いものを探しては口に放り込んでいくわけだ。
ところがまあしこたま食べて10分くらい経過すると、ある時急に「あんまり美味しくないいちご」を口に入れてしまった時の不快感が増してくる。最初のうちは気にならないのに、だんだん「あまり甘くない」とか「味が薄い」とかそういうことが気になっていく。普通はシーズンかけて舌がじっくり肥えていくのだけれど、いちご狩りで爆食いしているうちに舌がめちゃくちゃに肥えてくる(あと単純に飽きもある)のだ。
そうすると今度はじっくりといちごを選別するようになる。どれが美味しそうだろうか、というのを吟味するようになっていくわけだが、いかんせん素人なので印象だけではわからなかったりする。大きくて甘くて味の濃いものは最高だが、大きくて味が薄いとかあんまり甘くないとかそういうものを引いてしまうとなかなか咀嚼が終わらなくて辛い思いをする。
いちご以外のものを口にしていないのでなかなか味が変わらず難しいと言うのを差し引いても、やっぱりある程度食べれば「いちごが食べたい」という欲の枠は埋まるわけである。あとは美味しいもの探訪と言うわけだ。
どんなに好きでも、限界は案外手近なところにある。

ただまあ限界がわかるほどたくさん食べられるというのもそれはそれで素敵なことだ。2000円くらい払ってもうたくさんと言うくらいいちごを食べる、そういうイベントは1シーズンに1回くらいあってもいいのかもしれない。ここ3年くらいいちご狩りに行っていないので思い切りいちごを食べる機会と言うのはないけれど、そろそろ行っておきたいような気もする。
今日またパックのいちごを夕食後に食べながら、いちご狩り、行きたいかもな、と思ったりした次第である。