言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

コンビニおにぎり

前もなんか同じようなことを書いた気がするけどまあいいかという気持ちで書いている。


コンビニおにぎりは毎日だと飽きるけれど、週に2回くらいのペースで食べる分にはちょうど良くて好きだ。前はしっかり自炊をしていたのでそんなに食べる機会も多くなかったのだけれど、7月から仕事が忙しくなってやたらと食べるようになった。
基本的に食べるとしたら朝である。朝起きて、何も用意する時間がないので前の日に買っておいたおにぎりを食べて出かけると、そういうわけである。
毎朝食べると飽きるというのは実証済だ。3日目でなんとなく手が伸びなくなった。単純にその時の仕事が忙しすぎたとか調子が悪かったとかそういうことも含まれているだろうけれど、巻き寿司に変えてみたり、サンドイッチを挟んでみたりと工夫して乗り切った。ご飯とみそ汁の組み合わせならそういうことがほとんど起きないけれど、おにぎりと違ってご飯だけならおかずは自分で選べるからその違いはあるだろう。
朝パパっと食べるのにおにぎりは便利でちょうどいいけれど、続くと飽きるものだから少し間隔を取りながら食べるのが私にとっては良いようだ。そうすればずっと美味しく食べられる。

コンビニのおにぎりは割と昔から好きで、それこそ一人で買い食いをするようになった中学生くらいの時からずっと好きだ。ただ好みというのは確実に変わっている。昔は「オーソドックス」なおにぎりの具材というのはあまり好きではなかった。ちょっと変わったもの、目新しいものが好きで良く食べていた。明太子とかネギトロとかが具材で入るようになった時はそればっかり買っていた。生っぽいものがおにぎりの具材に入るなんて画期的だなとその時思ったものだけれど、1,2年後に「卵かけご飯風」と言って卵液入りの状態のおにぎりが出たときはさらに驚いたものだ。
いつもそういった新しいものばかり食べていたのだけれど、ある時を境に急にオーソドックスなおにぎりの具材の事の方が好きになった。昆布や鮭、梅干という大抵どれかは置いているだろうというラインナップが好きになった。明太子やネギトロみたいな具材がすっかり普通になったというのもあるだろう。決してそれらが嫌いになったとかではなくて、普通の具材のことも好きになったという感じが正しい。
昆布、鮭、梅干、明太子、たらこ、おかか、ネギトロ(「まぐろ」表記もあるよね)、ネギ味噌……もう何でも好きだ。正直ほとんど好きだ。ただし、マヨネーズ系はちょっと抵抗があったりもする。外食で出て来るマヨネーズの感じがあんまり好きじゃないやつがあって、美味しく食べられるものとそうでないものがあったりする。まあでもなんだろう、嫌いで口をつけられないとかではない。あれば食べる。自分で進んで手に取らないだけ。

まあでもそういう日常的なおにぎりとは別に、最近どこのコンビニでもちょっと値の張るおにぎりを置いている。なかなかおにぎり1個200円とかになると手が伸びないのだけれど、1種類だけ例外がある。
それは、具材が「いくら」である場合だ。
私は昔からいくらが大好きである。たくさん食べまくるのはいろいろな意味で気が引けるが、おにぎりの具材で出会うとついつい手を伸ばしたくなるものである。
いくらのおにぎりなら、ちょっとコンビニおにぎりに飽きていても最後の一押しで食べることができる。それどころか、冷蔵庫にイクラのおにぎりが入っていて明日の朝食べられるという、それだけでちょっとだけワクワクするものだ。それくらいには好きな食べ物である。
いくらのいいところは、高いいくらはもちろん美味しいが、そうでもないいくらもちゃんと美味しいということである。まああくまでこれは私の感覚だけれど、変ないくら、というのはあんまりであったことがない。100円寿司でもいくらはちゃんといくらだ。北海道で食べるいくらとの違いは大好きか好きかの違いしかない。
だから、いくら(あるいは筋子)のおにぎりというのは見つけただけで大勝利というわけである。一時ちょっとラインナップから減ったりしたけれど、また最近コンビニ各社で扱うようになってきて嬉しい限りである。
まあ「はらこめし」という鮭とイクラのおにぎりに関しては思ったよりいくらが少なくて寂しい気もしたけれど、いくらメインで考えなければ普通に美味しいおにぎりだったから別にいいと思っている。

いろいろゴタゴタした仕事も無理やりではあるが落ち着いてきたので、前日の夜の自炊の残りが朝に回る機会も復活してきてはいるが、まだ週1くらいはコンビニおにぎり朝食の日があったりする。
そういう時は、いくらがあればいくらと、それからもう一つオーソドックスな系統の具材のおにぎりを食べながら朝の仕事の準備をしたりするんだ。