言葉のリハビリ場

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最近の回転寿司って寿司流れてこないよね

 

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この間回転寿司に行ったら久々に寿司が回っているのを見た。回転寿司としてのあるべき姿としてはたぶん、レーンの上を寿司の皿が動いていくのが正しいのだろうけれど、ここ数年ご時世的なこともあってほとんど寿司が回っているような姿は見られなくなった。
元々減ったなとは思っていたが、とうとうレーンの上で寿司どころか食べ物を一切流さず、おすすめのメニューの札だけを流し続けるようなそんな店も多くなってきた。

 

私としては別にどっちでもいいのかな、という感想だ。


もともとレーンから寿司を直接取って食べることは少ない。明らかに今さっき流したものだろうとわかるものは取って食べたりするが、そうでないものは注文して出してもらう。レーンから取るのが1割、残りの9割は注文して持ってきてもらうとまあ、そんなくらいの割合だろうか。誰かの注文のついでに多めに握ってレーンに流す、みたいな光景を確認したら取ったりもするので、状況によって割合は変化する。
まあでも共通しているのは、寿司はできるだけ握り立てが食べたいな、というものだ。特に軍艦巻きはそうだけれど、時間が経ったものよりも握りたてのほうがずっと美味しい感じがする。だから注文して握ってもらう。……目の前に人がいるような回転寿司なら。
100円寿司だとまたちょっと状況は違う。別にレーンの向こうに誰かいるわけではないので、レーンから適当に取って食べるという場合もそれなりにある。まあそれでも新しいもののほうがいいかなと思って結局注文してしまったりはするわけだが。

レーンをまわっている寿司を取るべきか注文すべきかみたいな論争は昔から存在していてそれなりの派閥に分かれていたと思うのだが、ここにきて全く寿司が流れない回転寿司が増えており、形成はよくわからないことになってきている。
ただ面白いのが、レーンに寿司は流さないにしても、レーンが存在する以上は動かしておこうと思うのか、基本的にあれが止まっている店というのは見たことがない。だいたい、札にしろプリンやジュースなどのパッケージ入りのものにしろ、何かしら流して活用している。完全にレーンを廃止にして撤去してしまっているようなものも見たことはあるが、レーンがある以上は電源を入れてとりあえず回している、というのが面白いものだ。「回転寿司」のアイデンティティをレーンで保っているのだろうか。
別に無理して札とか流さなくてもいいんじゃないかと思ったりもするが、実際店に行くと流れている札に書いてある魚というのはちょっと気になったりして注文してしまったりする。だからたぶん、広告として一定の効果はあるんだろうな、ああいうのは。地方の地場系の回転寿司に行ったりすると、メニュー表にないものがレーンに流れてきたりしている場面があったりしたが、ああいう感じで特別メニューの札が流れてくるのはちょっと楽しくていいんじゃないだろうか。こんなものあったか、こういうのもあるんだな、と思わせる広告効果はある。
まあ回転寿司のカウンターに座っているときは、基本レーンの方見ているから目に止まるというのはあるだろう。

私としては別に寿司が流れていてもいなくてもどっちでもいいのだけれど、まあ流れていたほうがいろいろ食べたくなるかもしれないな、とは思う。写真付きメニューがあるかどうかという話と似ているが、実際に目にすると食べたくなるということはそれなりにあるわけで、そういう意味で流れている寿司も私にとっては半分広告みたいなものということになる。

ちなみに私は回転寿司では味噌汁や茶わん蒸し、卵焼きといった「流れてこないもの」が好きでよく注文するので、寿司が回転していようといなかろうと結局注文をお願いすることにはなるものだ。

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