言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

花火のおすそ分け

 

花火の音が聞こえるのは必ずしも見える範囲だけではない。花火の姿を確認できなくとも、音だけは伝わってくるということは良くある話だ。
この間も、急に遠くの方で破裂音がしたので振り返ったら、空がなんとなく明るくなっているのを見てそれが花火の音だということに気が付いた、なんてことがあった。山とか建物とか要因はいろいろあるが、音だけしか聞こえてこないなんてことは本当に良くある話だ。
でも人間やっぱり花火の音だと思うと気になるようで、音がするたびになんとなく顔を上げて音のする方をきょろきょろとする人が多い。破裂音というのはイヤホンをしていても気になるようで(音量にもよるんだろうが)、両耳がふさがっていそうな人でも空を見上げていたりするから面白い。
ただ花火というのは地上からだとよほど高台にいるとか、近くで打ちあがっているとか出ない限りは視認するのは難しいものである。なんとなく夜空が明るくなったりしていて気が付くこともできるが、例えば駅から家に帰るまでの道すがら、みたいなシチュエーションだとなかなか見ることはできないんじゃないだろうか。マンションの上の階なんかに住んでいる人は家に帰れば見えるのかもしれないが、方角とタイミングが合わないとなかなか上手くいかないだろう。というか、人によってはそういう大きな花火大会を狙ってそういった絶好のロケーションで花火を見られるようなマンションに住んだりする人だっているだろう。
それくらい、花火というものは見ようと思わないとみられないものな気がする。
私にとってはそういうものだ。花火は基本、音。人ごみの中に花火を見に行くということはしたことがあるけれど、そういう事でもしない限りは基本的に音だけである。私の実家の立地がいろんな花火会場から何とも言えない距離にあって、どの方角の花火であろうと全く姿は確認できないのに音だけが盛大に聞こえてくるという場所だっだから余計にそんな印象が強い。

だからこそ、偶然花火を見かけるとなんだか嬉しくなる。スポーツ観戦とかそういうイベントで花火が打ちあがるとかそういうのもいいけれど、やはり一番は全然何も意識していなかったタイミングで振り返ると花火が上がっていた、みたいなそういうやつである。
以前、とあるライブに参戦した帰り、会場の外に出ると目の前で花火が打ちあがっていてすごくびっくりしたものだった。
こじんまりとしたものだったからか、無予告だったりしたのかわからないが、ギャラリーはライブ帰りにたまたま目にしたという感じの人たちばっかりで、なんだかちょっとシュールな光景だったと思う。でもやっぱり花火ってのはいいなと思ったものだ。ほんの10分くらいの出来事だったけれど、帰らずにじっと花火を見てしまった。

近くで見る場合というのはかなり偶然の要素が強いが、例えばビルの隙間とか、住宅の上の方とかに花火の一部分が見えるということもある。距離が遠い時は大体そんな感じだ。全く見えないか、空がなんとなく明るいか、ちょっとだけ見え隠れするか……というそんな感じ。高く打ちあがったものだけが目に入るというようなときは、音の大きさでなんとなくこれは見えるだろうか、なんてことを無意識のうちに予想する自分がいる。でも案外大きな花火じゃなくても、高く打ち上げられる花火というのもあって、ちょっと意外なタイミングでちゃんと花火が見えたりもする。
花火のおすそ分けを貰っているような、そんな気分だ。
花火を見たなという気分にはならないけれど、一応花火大会があったんだなという事実を感じるくらいはできるものである。駅に浴衣の人がいてなんだろうと調べたら花火大会、でも音しか聞こえない……というのよりはたぶん、気分的にはずっといい。

しかしまあこの季節花火の音というのもあるが、似たような音で雷の音というのもある。いつも冗談みたいな感じで「雷かと思ったら花火だった」みたいなことを言ったりするが、逆の事だってある。遠くで何か大きな音がしたと思ったら雷じゃないか、と。
まあでも雷は音もそうだけれど、曇っている空はかなり遠くの稲光を届けてきたりするからびっくりする。空が光った、と思ってびっくりして雨雲レーダーを見ると、かなり遠くのゲリラ豪雨でたくさん雷が落ちているそれの光だったなんてことがあったりする。

そういうのはあんまり嬉しくないので、見えなくてもいいから全部花火であって欲しい。
花火なら決まった時間の間しかやらないしね。