言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

夜間徘徊日和

夜、仕事終わりに大体同じような時間に毎日外出している。雨が降っていても大体同じような時間に出かけているので、見ようによっては夜勤に出かけるような人のような感じに思えるかもしれないが、実態は買い物かただの散歩だ。毎日同じような時間に出かけるのを習慣づけしているだけであって、深い意味はない。
私が同じような時間に毎日出かけているように、夜になって出かける習慣のある人というのはそれなりにいるようだ。暗いので顔等はわからないけれど、何か特徴的なことがあれば「また同じ人がいるな」と思うようなことはある。
例えば、同じ場所で坂道ダッシュを繰り返している人とか、公園で音楽を流しながらスケボーをしている人とか。私が毎日同じコースで歩いているわけではない(買い物とかあるし)ので、必ず毎日いるかどうかはわからないのだけれど、まあ常連さんなんだとは思う。黙々と一人でルーティーンを繰り返しているような姿を見ると、なんとなく親近感を感じる一方で、向こうは向こうでたまに現れる私のことを「また来たよこいつ」とか思っているかもしれないが、まあ言葉を交わしたこともないしよくわからないままだ。

家の周りは割合に住宅地なので静かな場合が多い。夜は基本的に家に帰ってくる感じの人ばかりなので、私のようで夜になると家から出てくるような場合その流れとは違った動きになるので、ちょっと変な感じだ。適当に歩きたくて大きな通りをそれて歩いていると、街灯が少ない真っ暗な、本当にその道沿いに住んでいる人しか通らなそうな道に出ることがあるけれど、さすがにそういう道は少し怖さを感じたりもする。けどまあ、たぶんその道を生活道路として使っているような人からすれば、私のような人間がふらりと現れたらそっちの方が怖いとは思う。徘徊する不審者が出ました、と言われればまあ何だろう、それは本当にそういうことになるかもしれない。
なのでたまにそういった道に入り込むことはあるけれど、そうでないときは公園などを目標に歩いたりしている。ちょうど買い物に行く導線ではないものの、遠回りしていくにはちょうどよい距離だったりする。立地の都合上、住宅のあるエリアから少し外れた場所にあるので、「行こうと思わないと行けない場所」でもあるわけで、だからこそ、例の坂道ダッシュの人とかスケボーの人とかがそのあたりを拠点にしているのかもしれない。導線になっているとどうしても人通りが多くなるし、住宅街の真ん中だと音を出した時に迷惑だからね。
この間は、出し物か演劇の練習をしている学生集団がいたのを見た。声を合わせてセリフの練習をしているのを見て、音しか聞こえなかったけれどなんかこう、いいな、と思った。学校帰りかに集まって練習して、そのまま日が暮れてしまったんだろうな。
同じような感じで、制服のまま公園のベンチでスマホを見ながらワイワイやっているような学生もたまに見る。お店とかに遊びに行きにくい分、こうやって過ごす人は増えたのかもしれないね。

そうやっていつもはまばらな感じで人がいるのが夜の公園だけれど、たまに何かイベントごとがあると、にわかに人が増えたりする。花火が打ちあがるとか、月食があるとかそういう日は、散歩に出る人が目に見えて増えるのがわかって面白い。みんな何となく空を仰いだりして上の方を気にしているのでわかりやすい。
まあなんか、坂道ダッシュをしている人は普段1人なんだけれど、それが花火の日だけ3人になっていたのは因果関係的にはよくわからなかったけれども。

これから梅雨になっていって、雨が降る日が多くなると思う。雨の日は出歩く人が少なくなるから、またちょっと感じが変わるんだろうな。
私は台風でも来ない限りは出かけるつもりだけれど、どうだろう、坂道ダッシュの人は梅雨でも続けるんだろうか? ちょっと気になっている。