言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

花火、河川敷にて


ちょっと夏っぽいことがしたくて、河川敷で花火をしてきた。
このご時世、夜になると行くところがなくなる。別にこれまで夜遊びをしてきたとかそういうことではないし、闇営業しているような居酒屋に行きたいとかそういうようなこともないのだけれど、なんとなく時間を持て余してしまった時にいられる場所と言うのがなかなかないわけである。
そんな時にたまたま立ち寄ったのが河川敷だった。
夜になって日が落ちるとまだ涼しさがある。風が吹けばかなり心地よいものだ。そんな夜に、河川敷を歩いてみるとなかなか良い雰囲気なわけだ。これくらいの季節が本当にちょうどいい。これからもっと暑くなってきて、夜でも外は湿気と熱気にまみれていくわけだ。日中ほどではないにしろ暑くて嫌になるわけで、間違っても外に出て風を感じに行こうだなんて思いもしないだろう。
そういう意味では今の時期限定の快適さみたいなものはきっとあると思う。

最初はただ飲み物でも買おうと立ち寄ったコンビニだったけれど、連れ合いの一人が花火が売られているのを見つけてきた。ドン・キホーテとかで売っているようなでかいやつではなくて、あくまで手持ち花火が簡単に詰め合わせになったセットだった。それとライターを買って、河川敷へ行った。
1時間くらいぼんやり話したりして過ごしたのちに、花火をした。

花火自体、2、3年ぶりのことだと思う。いつやっても「久しぶりだな」と思っている気はするけれども、それはともかくとても楽しかった。
純粋に火が怖いので自分から花火を積極的に買おうということはないのだけれど、こうして誰かと一緒にちょっとやるのにはとても良いものだ。こちらに向けてロケット花火を投げて来るとか、火のついている花火を投げて来るとかそういう輩がいないというのもポイントだとは思う。純粋に花火を楽しめる、結構いい環境だった。

小さな花火セットだったので、割とすぐに終わってしまったけれどちょうどよかった。ゴミが少ないし、規模も小さくて済むし。それになんだろう、花火って「もうちょっとやりたかったな」くらいで終わらせておくくらいでちょうどいいんだよな。またやりたいな、で終わればいいのだ。
最後の線香花火の火の玉が落ちて真っ暗になったら、片付けをして帰ればいい。なんとなく線香花火で終わり、という雰囲気はあると思う。

なんというか実に夏っぽいんだよな。
不思議なことに、子供の頃よりもずっと花火からは夏っぽさを感じている気がする。まあでもそれはきっと、子供の頃の夏休みに、親にせがんで買ってもらった花火セットの思い出とかがあるからなんだろうな。子供の頃の印象があって、なんとなくそれを思い出していくんだろうな。

去年も今年もどうやら打ち上げの花火大会は中止のところが多そうだし、こじんまりと、河川敷とかで花火をやるのが一番いいだろうな。そんなに派手じゃないけれど、そこまで危なくもなく、うるさくもなく、でもちゃんとテンションが上がるやつ。

今シーズンまたどこかでやりたい気もするけれど……でもどうだろう、なかなか計画してするってことはなさそうだよな。誰かをこのために読んで、というのもなんとなくはばかられるし。
タイミングなんだよな、大抵こういうのって。顔を突き合わせていればそういう話にもなるんだけれど、機会が少ないととんとなくなっていくわけで……。
外出そのものの是非から含めて、相手がどう考えているかどんなスタンスなのか、というのがなかなかわからないしね。難しい時代になってしまった。

まあでもなんだろう、河川敷を適当に歩くとか、ちょっと花火をするとか、そういう感じで全然いいんだよな。大人数集めてワイワイするってのがすべてではないし、そうでない良さもあるわけで。
必ず全員参加、とかそういうのがなくて、来れる人が来て集まるならやるとか、普段からそれくらいの緩さがあっていいんだよな。