言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

選挙ポスター看板の立地が変だと面白い


そろそろ参議院選挙が近づいてきたということで、私のところにも投票用紙が届いた。
それと時を同じくして、各所に選挙ポスターの掲示がされている。大抵は目立つところに設定されていて、駅前であるとかバス停であるとか、ちょっと特殊なところだと踏切の手前なんかに設置されているのも見かける。足を止めている人が多くて目に入りやすいという、そういう観点で置かれているのだろう。
候補者の名前などを掲示するものということなので、あの看板自体は法律に則った公的な設置物である。投票区ごとに設置する数が定められているのだ。
公職選挙法に記載がある。ただし、数に対しては目安の具体数が記載されているが、設置場所については「各投票区に設置するポスター掲示場の配置は、当該投票区における人口密度、地勢、交通等の事情を総合的に考慮して合理的に行うこと」という記載がある程度で、必ずここに置かなければならないみたいな決まりはどうやらないようである。
なのでたまに、そんなところに掲示して大丈夫なのか……? と心配したくなるような場所に掲示板が立っていたりして面白い。

最近見かけたものの中では、駐輪場の脇に建てられているのものがとても面白かった。
駅前の駐輪場という立地上多くの人が利用しているので通過人数的にはたぶん問題ないのと思うのだけれど、肝心の掲示場所が幅1mもない細い通路に向かって建てられていた。正面から歩いてきた人間同士がちょっとお互い避けながらすれ違うくらいの幅しかないので普通に歩いていると看板の存在は目に入っても、掲示内容について確認することはほとんどない。
横を向けば歩きながらでも見ることができるが、そうすると今度は距離が近すぎてなんというかこう、圧迫感がある。顔が近いのだ。主張の強い看板が1枚のっぺりと通路の壁のように立っている姿はなかなかシュールですらある。
さらに言えば、看板の向いている方向は通路を隔ててあとは壁である。正確に言えば植え込みであるが、植え込みの向こうは完全に建物の壁で遮られているため、狭い通路を歩いている人以外が看板を視認できる可能性というのはほかにない。
何でそんなところに建ててしまったのだろうか。確かに駐輪場という性質上出入口などには設置しづらいだろうけれど、どうしてまた……という感想にしかならない。駅前の項番の前とかスペースがあるしそこでいいような気がするのだけれど、何しろ公的なものだから何かしらの選定過程があって設定に至ったのだろう。本当に実地で調査したうえで決まったのだろうか……とは思うが、なんだろう、昔は向かいの建物がなかったとかそういう事だったりするのだろうか。古い家屋には見えないのでまあ大方そんなところだろう。

まあ別に選挙ポスターが目に入らなくても個人的にどうということはない。なので、変な立地に建てられている看板を見るのは好きである。

嫌なのはYoutubeとかの広告に候補者のCMを突っ込んでくるような時だ。看板ポスターは目に入った後に目を逸らすことが可能だけれど、動画を見ているときの5秒はどうも好きになれない。そうでなくても広告は早く飛ばしたいと思ってしまうのに、政治家のCMは本当にただただみるのが苦痛だ。
大抵名前は言うけれど党名とかはさっさと出てこないのがさらに癪なところだ。
ちゃんとターゲティングされていて自分の住んでいる地域の候補者のCMを流してくるところはさすがと言いたいところだが、流せば流すほど私からの印象は悪くなるので本当にやめて欲しい。
普通に生活していて「人」そのものを広告されることってほとんどないわけで、まあこの選挙期間中というちょっと特殊なタイミングならではのことだとはわかっているけれど……理屈と感情はまた別物である。街宣車がうるさく思う以上に嫌かもしれない。

看板の立地で笑っていられるくらいがいいのだ。