言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

ドリップコーヒーとインスタントコーヒー

コーヒーは好きだけれど、自分で入れるとなるとまあまあ面倒くさい飲み物だ。どうしても時間が掛かるのと、時間だけでなく手間もかかるからだ。お茶の類も時間はかかるけれど、ティーパックならば沸かしたお湯を注いで放置しておけばいいだけなので、さほど手は掛からない。
コーヒーはお湯に浸しておけば良いというわけではないので、面倒なのだ。1杯用の使い捨てのドリップ容器だって、最初20秒ほど蒸らした後に何度かに分けてお湯を注がないといけないのは同じである。2,3度と書かれていることが多いが、小さいと正直5回くらいに分けてお湯を注いでいる。
コップの上に設置するような簡易ドリッパーも検討したことはあるが、その場合はさらに手間なのでまだ手を出していない。……しかしながら、その気配は若干ある。というのも、コップに直接つけて使う使い捨てのドリップ用のアレ(名前なんて言うんだ?)だと、底がカップの内側に沈み込むことになるので、そこに浸からない程度までしか入れないか、あるいは最後は浸かるのも気にせず(持ち上げるなどして)無理やり入れるか、という状況に直面する。浸からない程度の量で入れろ、とは必ず説明書きに書いてあるのだけれど、そうすると140mlくらいしか入らないのでちょっと物足りないというか、もったいない感じがしてしまう。もっと入るけれど高さが足りないというだけならと私は毎回無理やり持ち上げながら180くらいまで入れるが、まあたぶんそれだといろいろダメな気はする。
だったらもうやっぱり簡易的でもドリッパーを買って、カップよりも上に設置してあげたほうがずっといいんだろうな。どこかで見かけたら衝動買いしてしまいそうなところはもう既にある。そんなに高いものでもないし。ただまあそうすると今度はフィルターとコーヒーの粉を買うようになるわけで、いよいよもって手間が増えるな。冷蔵庫にコーヒーの粉を入れておくことになるだろうけれど、そのスペースとかも考えないとか。……そうでなくとも調味料が邪魔で困っているのにどうしよう。まあドリッパーを買ってから考えるか。

しかしまあコーヒーというものはこだわりだすといろいろハマって行くようで、コーヒーを入れるということがもはや趣味の一つとしても成り立つほどだから、ずいぶんと奥が深いものなのだろう。自分でコーヒー豆から焙煎して挽くようになるというところまで行くとなかなかの手間だとは思うけれど、趣味として結構やっている人は多い印象だ。大人の趣味、って感じ。入れながらめちゃくちゃ蘊蓄を語る人が多い……というのは偏見か。でもまあ私がハマったら間違いなくそうなりそう。

コーヒーは、手間はかかるけれどちゃんとその分美味しいのは間違いない。最低限使い捨てのやつでもドリップすれば、雑にやってもちゃんとコーヒーだな、という味になるのがいい。
粉を溶かすだけのタイプも家にはあるけれど、悪かないけど別物だと思う。会社の給湯室とかで急いで作るならインスタントでいいけれど、どうせ家のケトルとかでお湯を沸かすならドリップした方がいいかな、と思う。
味や香りに関しては最低限コーヒーの風味があるというところに関しては同じように感じるが、ドリップするかどうか、という所に明確なラインが引かれているようだ。濃縮還元ジュースとストレートジュースなんかが似たような例だと思うけれど、それ以上に差があるというか、別物のように感じられる。
それでまた面白いのが、外で売っているような缶やペットボトルのコーヒーということになるとまたまた別物であるところである。インスタントの粉のコーヒーとも違う別のもの。ドリップするコーヒーの方に寄っているけれども、また全然違うな、と。
まあなんか時と場合によって全部飲むんだけどさ。甘かろうが苦かろうが、インスタントだろうがドリップだろうが。唯一避けたいのは酸味の強いもの。嫌いとまではいかないけれど、やや苦手、と言う感じ。いいコーヒー、こだわりのコーヒーには結構酸味が強いものもあるけれど、そこまで上等なものはまず頼む前に味の方向性がわかる(銘柄とか、あるいは直接的な表現で書いてあったり、グラフになっていたり)ので大丈夫なことが多い。
まあでも普通に飲むけどさ、何でも。

たまにランクを上げていいものを楽しんだり、かといってそうでないカジュアルなものでもちゃんと満足できる、そういう意味でちゃんとそれぞれ別物として独立していることに意味があっていいな、と思っている。