言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

小分けバターの話

10g単位で小分けになっているバターを気に入って買っている。
そもそも我が家にはバターが存在しなかった。朝ごはんなどで食パンを食べるような機会がないのでバターは不要だと思っていたのだ。細かく使う予定がないので塊で買っても持て余してしまうのは明白で、この判断に関してはあんまり間違ってはいなかったと思う。
しかしながら、バターを料理に使いたいシチュエーションというのは微妙に出てくるので、結果どうしたかというと、既に小分けにパックされているバターを買うことにしたわけである。今まで買ったことはなかったけれど、存在はなんとなく目にしていたので気になっていたが、思い切って買ってみることにした。6個くらいしか入っていないのでまあ使いきれないことはないだろうという、という目算もあった。適当にバター炒めかホイル焼きにしてしまえば使えないことはないだろう、と。

結果、バター炒めの美味しさに気が付いてしまい、2箱目のバターを買うことになってしまった。
しめじと舞茸を買ってきてそれをバター醤油炒めにするのが非常に美味しいということに気が付いてしまった。しめじはカットしてあるもので、舞茸はまあ別にそのまま適当に手で割けば良いので包丁の出番がないのがいい。
バターのおかげで下味が付くので適当にしんなりするまで炒めて、そこに醤油を振りかければもう美味しいお開かずが完成するのでお手軽だ。気を付けるのは水分が出すぎないようにすることくらいなものだし、正直出てしまってもさほど問題ではない。
いつも翌日に残してもいい感じで作るのだけれど、それでも作ってそのまま食べきってしまうので翌日にまで残ったことがないほどには気に入っている。
そう毎日使うわけではないにしろ、バターの存在はなかなか偉大であることがよく分かった。

しめじと舞茸がメインではあるが、別に違うキノコになっても問題はない。エリンギとか、しめじで試したこともある。細かくするのが面倒くさいという理由でしめじと舞茸が選ばれているだけのことであるので、おいしさ的にはなんでもいいと言えばいいのだと思う。


小分けのバターは便利であるが、デメリットもまあまあある。量の調整が効かないことだ。半分使って残しておくということもできなくはないが、容器や包み紙的にも割とやりにくい面がある。想定されていないのだろう。なので基本的にその場で1かけら使い切りというのが基本になる。
いつも本当に何も考えずキノコと一緒に放り込んでいるので量が多いのか少ないのかなど全く考えることはないのだけれど、分量がきっちり決まっている物にはあんまり向いていないかもしれないな、とは思う。

まあでも感じているのはそんなものだろうか。今別に困ったり不便だと思ったりしたことはない。
いつも同じキノコを買ってくるつもりなのになぜかたまにお徳用になっていたりしてそういう時は今日は量が多いな、と感じる場合もあるが、バターの量は特に買えていないのに油のまわり方とか味とかは変わった感じがしないし、別に量とか適当でもいいんじゃないかなと今のところは思っている。

今はひたすら炒め物として使っているバターだが、試したいけれど試せずにいるものもある。
バターをご飯に乗せて醤油をかけて食べるというものだ。炒めればバターライスということになるのだろうけれど、そうではなくてただ暖かいご飯の上にバターをのせて、そこに醤油をかけて食べるというものである。絶対美味しいだろうなとは思うのだろうけれど、どうも気後れしてしまって試せていない。
別に誰が見ているというわけでもないのでやればいいと思うのだろうけれど、罪悪感みたいなものが邪魔をして試せずにいる。10g全部使うのも面倒だし切り分けで置いておくのもなとやらない理由は色々出てきてしまうのだけれど、疲れ切ってご飯を炊くので精一杯というようなときにでも試してみたいと思っている。
あれかな、しらす干しでも一緒に乗せたらそれっぽくなって罪悪感が減るだろうか。ネギとしらすとバターと醤油。なんかそれならいい気もしてきた。でもまあなんか「禁断の味」ではあるだろうな。今度何にもやる気のない時にやってみよう。