言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

朝帰ってきたら桜がきれいだった


夜から人の家に遊びに行ったら終電がなくなってしまったので、朝まで居させてもらった。集合時間が19時で2時間の映画を見るという点だけならば普通に帰れるかもしれないと思ったけれど、なんだかんだであっという間に時間が過ぎて行った。別の映像を乱したり話をしたりして過ごしたら、あっという間なものである。
気が付いた時には終電の7分前という状況で、走れば間に合うけれどどうだろう、というところであった。駅までは徒歩7,8分くらいだけれど、駅に着いてからホームが遠かったななどといろいろ思いを巡らせた挙句、頑張らないことにした。頑張らずそのまま家に居座った。かなり久々に会う人や、全く初めて会う人もいたので、いろいろ話も弾み楽しい時間だったから選択としては悪くなかった。同じものを共通で見ている状況で話が弾まないわけがないというものだ。わざわざそのために集まっているのだし。
深夜から朝方にかけて別の映画等を見つつ、それからの時間帯はかなりくだらない話をしながら過ごしていたが、いい加減眠くなってきたタイミングで始発列車が動き出したので、そのタイミングで帰ることにした。
久々の朝帰りというやつである。

それにしたって徹夜をした後の朝の道というのはどうしてあんなにも綺麗に見えるのだろう。特に空がキラキラして見える。電車に乗ったら意味わからないくらいの強い眠気に襲われるのに、その電車に乗るまでの歩いている道のりはなんだかすがすがしくて、まだ全然寝なくても平気だとさえ思ってしまう。不思議なものである。
酒を飲んでいたりカラオケをした後だったりすると疲れとか吐き気だったりがそれを若干邪魔をしてくるのだけれど、今回酒も飲んでないし過剰な飲食もしていない、そしてしゃべっていたくらいで別に歌っていたわけでもないのでそこまで疲れていない……という状況だったので、かなり余裕をもって駅までの道のりを歩くことができた。寝不足の平日の朝とかの方がずっと頭回らず惰性で歩いている。

日が暮れてから足を運んだ場所を、朝日の上った時間帯に歩くというのはまた違った景色がみられて良いものである。急ぎでもなかったので、わかりやすい大通りではなく、わき道にそれながらゆっくりと歩いて駅まで歩いた。
気が付いたらもうすっかり桜の季節である。日当たりなどによって咲き方はだいぶ異なるところはあるけれど、駅までの道中でも満開の桜の木をたくさん見た。朝日と桜というのは実に相性のいいものだなと、この時すごくそう思った。朝日の中風に揺れる桜を見ていると心が洗われるようだ。

今年の桜はどうも咲き始めてから満開になるまでが早いような気がしている。ちょっと先始めた段階で一気に雪が降るような寒さに見舞われたから、暖かくなって一気に咲いたのかもしれない。よくわからないけれど「そろそろ咲いてきたな」という時間が少なくて「もうすっかり咲いているな」と思うことが多い気がする。一気に咲くとインパクトがすごい。

そんな感じだから余計に、朝帰りの目には桜がすごくきれいに映ったのかもしれない。

コロナとか以前にそもそも花粉症なので外でお花見……というわけにはなかなかいかないのだけれど、気持ちとしてはそうやってぱっと華やかに遊びたいくらいの気分である。花粉症の症状が夜から翌日にかけてひどくなることにさえ目をつぶれば、お花見とかそういうイベントは好きなんだけどな。
だからまあめちゃくちゃな理想論を言うならば、窓の向こうにピッタリ桜の木があるような屋内、そういうお花見をしてみたい気もする。気もするけれど、案外雰囲気が出なくてやっぱり外の方がいいねとなりそうな気はしている。桜の枝を切り落としたものとか盆栽とかも綺麗だけれど、あくまで外に生えている桜の景色を拝借してきたというか、ミニチュアモデルのように元の風景を想像させるからこそいいというか……。
まあ要するに、何にも考えず外でお花見できると一番いいんだけどね。