言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

「暑さ寒さも彼岸まで」だといいけれど

昨日の祝日は「春分の日」であった。一応建前上は昼と夜の長さが同じになる日だということだけれども、実際の所昼の方がもう既に少し長いらしい。ずれる理由はいくつかあるらしいが、要するに「太陽の見え方」に起因するものらしい。日出と日没の考え方は日本の一から見た考え方で、春分の定義は天文学に基づいて制定されているので、多少のずれが生じる。まあずれと言ってもたかだか14分のことだというから、さほど変わらないような気はするけれども。

確かに真冬に比べて日がずいぶんと長くなったとは実感している。朝よりも夕方が長くなった。外が暗くなってきたなと思ったらカーテンを閉めに行くわけだが、その時間がずいぶん遅くなってきたものだ。
日が長いというのは悪いことではないと思っている。暗くなってくるとどうも仕事のやる気が出ないので、明るい方が平日は助かる。暗くなってくると、さあ仕事をそろそろ終わらせないとという気になって、新たに何か取り掛かる気が失せてしまうのだ。時間はPCの右下を見ればわかるけれど、やっぱりなんというか明るさによってなんとなく身体が時間を認識しているようなところはある。

日が伸びたのもそうだけれど、外の様子もすっかり春らしくなりつつある。
桜も開花しつつあるというし、花粉症の症状も(外出した日は)だいぶひどくなってきたこともあってすっかり春じゃないか、などと思うものだ。
桜はまだ早いけれど、似たような木が満開になっているのは目にする。桃か杏だと思うのだけれど、正直詳しくないのでよくわからない。わからないけれど、毎年同じような時期に桜より一足早く満開になる木があるなとは思っている。電車に乗ると必ず見えるので、それを見ることで桜の季節が来るのを予習しているような気持になる。花見の予行演習……というわけではないが、そうかもうそんな季節か、と思うには十分だ。
桜並木というのはついこの間まで枝だけのように見えていたのに、1週間も過ぎるとあっという間に満開になったりして面白いものだ。毎日通っていれば見ごろもわかるものだけれど、そうでないとついつい見逃してしまったりする。そんな季節の訪れが近づいていることを教えてくれる桃や杏の木というのはそういう意味は助かる存在かもしれない。もっと詳しくなって何の木なのか見分けられるようになるといいんだけれど、まあ難しそうだ。桜と梅くらいが関の山だ。
花見をするというのはいろいろ難しいご時世だけれど、歩いて見るくらいはまた今年もしたいものだ。


しかし春分の日を過ぎたらいよいよもって春な気がしてはいるけれど、今日なんかの気温はどうも冬の様相を呈している。雪の予報すら出ていたし、地域によっては普通に降雪があったようだ。週末までこの寒さは続きそうだし、だいぶ変な感じになっている。春はまだまだ先なんじゃないかと錯覚する。「暑さ寒さも彼岸まで」なんて言うけれど、本当にそうなるだろうか。また来週とかもしれっと寒い日があったりしないだろうか。
また三寒四温なんて言葉があるけれど、それともだいまだぶ異なっている。先週などはすっかり春だなと思ったものだけれど、今週はすっかり冬で、三寒四温というよりは週ごとに入れ替わっているような、そんな感覚だ。周期が大きすぎる。
普通、三寒四温というと寒い日は晴れていて暖かい日は天気が悪いというのが相場だ。今日のように寒くて天気も悪いというのは普通に冬である。週末は気温が上がって雨も降るようで、言葉の通り正しい様相であると言えそうだ。週間天気予報なんてものはなかなか当てにならないものではあるけれど、今のところは信じておきたいと思う。