言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

花粉の季節だけれどまだ寒いかな

 

そろそろ目がかゆくなってきた。スギ花粉の季節である。最近やたらと風の強い日が多いので余計に飛散量が増えているのではないかと心配になる。
テレビの花粉予報は見ていない。赤とかオレンジとかで花粉の飛散量を地図上にあらわしたあの図は、見ているだけで嫌な気持ちになるからもう見ないことにした。どうせここからもう2か月くらいはどうやったってダメなのだ。「多い」とか「非常に多い」とかもうそうなってくると関係ないんだ。関係ない。ラインを越えたら全部一緒。ダメな日とめちゃくちゃダメな日と、発作のようにめちゃくちゃなことになる瞬間があるだけだ。飛散量がどうとかかかわらず自衛する他ない。

でもこれからの季節、外出するにはいい季節だ。気温も上がってきて過ごしやすくなる。なんだか今年は雪が多く振ったりして寒い日がやたらとあるが、それでも来週あたりからは日中ずいぶん気温が上がるようだ。外出しないにしても寒い部屋にじっとしていると特に手先足先が冷えてくるので、できるだけ暖かくなってくれるのは嬉しい話だ。
梅の季節や桜の季節というのはだんだん暖かくなっていく感じがあっていい。天気の良い日はなおさらだ。花粉さえなければもう本当に最高なのに、とはもう毎年毎年思っている。この季節はコロナとか関係なくもうずっとマスクをしっぱなしな季節であるわけで、普通ならばGWくらいになってようやくマスクを外せると開放感に喜ぶわけだ。
しかしまあ、そんな真っただ中でもうっかりマスクを外してしまう瞬間というのはあった。屋外でのスポーツ観戦である。特に屋外での野球観戦字は、弁当を食べるためにマスクを外すというのはもちろんだけれど、昔外野席にせっせと通っていたころは応援時にマスクをしているのがまどろっこしいという理由で、声を出すときはマスクを外して過ごすというようなことをしていた。
当然、家に帰った後などでその反動は受けることになる。最悪寝る時にまで尾を引いてめちゃくちゃに鼻水が出て鼻が痛くなったりもするのだけれど……それでもやっぱりマスクを外して応援をしたくなるものだ。少なくとも当時はそうだった。マスクをしながら声を出して応援するなんて、息苦しいだけだから。
今となっては外でマスクを外すことそのものにめちゃくちゃ抵抗ができてしまったので、もはや外したいと思う場面がなくなってしまったが、花粉だけのことであればそんなこともあった。
寒くなくなると開放感もあるのかもしれない。

しかしまあ寒いと本当に色々億劫になるものだ。無意識に身体のあちこちに変な力が入っていて、気が付くとこわばってしまっていたりする。割とよくないことだと思う。多少でも動けば身体が温まるものだけれど、寒いとそれもなくただ縮こまっていく。
湯たんぽとか買ったらいいのかもしれないな、とは今更になって思う。もう2月も後半になってこれから冬用のものを買うのもどうかと思うが、ちょっとお試ししておくのにはいい頃合いかもしれない。いざ欲しいという時に腰を上げるのは結構重いからだ。既にあるものを活用するのが気楽でいい。
そういう意味では何年か前に買った毛布がまさにそれで、今でこそ毎日愛用しているが、買ったときは外泊の時にしか出番がなかったほどだった。車中泊とか、寝台列車に乗った時に寒さをしのぐべく被って使う……という用途になってしまっていたが、今では毎日ひざ掛け代わりに使っている。あるものを活用するハードルというのは非常に低い。
薬とかもそうだけれど、とりあえずつなぎでもいいので何か使えると便利なものだ。まあ新たにちゃんと対応するのが面倒すぎて臨時対応が本対応になることも多々あるけれど。やらないよりはマシ。いつか上がる重い腰もある。