言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

リベンジ


リベンジ。もともと、というか英語の意味では「復讐」の意味が強いけれど、日本語(カタカナ語)では「再挑戦」というような意味合いが強いという、そんな言葉である。
私も基本的に後者の意味でしか使っていないと思う。「復讐」「報復」であるとか、「恨み」の感情がないことはないけれど、まあどちらかというと一度失敗した出来事に再度挑戦する、という意味だろう。
カタカナ語というのは元の言葉と意味がずれているというか、被っている部分があるというややこしい状態のものが多い。和製英語といわれるようなまるっきり異なる意味だったりすればただただ通じないだけで済むのだろうけれど、そのままでも意味が通ってしまう言葉はなかなか厄介だ。

話がずれた。
それはともかくリベンジである。

私には特に今のところ大きな復讐であるとか報復をしようという気はないわけだけれど、小さな再挑戦はいろいろしたいことがある。

例えば、うっかり開店3日くらい前に店を探して彷徨ってしまったバーガーキング。開店していないのに、「バーガーキング B1F」とか書いてあるのを信じて降りて行ったらまだ囲いがあった……という事件があった。
しょうもないのはわかっているけれど、まあなんというかそんな出来事があると妙に気になってしまうものなのだ。普段からそこまで頻繁に食べているわけではないのに、目に入ると急に行きたくなるんだよな。特に、エスカレーターとかで降りているときに、今日は何のメニューにしようかな、などと考えているともう気持ちが出来上がってしまうわけだ。
もう気持ちがそれになっているのに入れないというのはなかなか殺生だ。行かなければ、という思いだけが強く残ることになる。

ということで、別の日に行ってきた。
ちなみに前回も今回も映画の後である。映画館と同じフロアにもいろいろ店が入っているのを全部スルーしてバーガーキングに行った。

繰り返すが、バーガーキング自体に思い入れがあるわけではなくて、ただただ一度入り損ねた店に入りたい、そういう思いからの行動である。

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というわけで「リベンジ」成功。無事に食べられたわけだ。ああよかった。
……たぶんこれで、しばらく行かないだろう。家の近くにはないし、また映画を見に来た時がちょうど食事時ならば入るかもしれないが、と言うくらいのもんだ。そういうものだ。

別のものだと、うなぎも少し食べ損ねているものであった。
これはまあリベンジというよりはただただ食べ損ねていたのだけれど、食べたいと思った時に食べられなかったのが尾を引いているというパターンである。
ただまあうなぎに関して言えば、お金を出せばちゃんといつでも食べられはする。でもそれを出し渋った結果、誰かからご馳走してくれるまで食べられなかった、というそれだけの話でもある。
でもまあ高いんだよ、うなぎ。普通の買い物で買うには桁が違うから、なんか手に取るだけで悪い事をしているような気分になるんだ。外食でもやっぱりそうで、それこそ名古屋にでも行ってひつまぶしが名物だからな、という気持ちにならないとなかなか財布を開く手が止まってしまうのだ。
怖いのだ。うなぎの値段が。

それはともかく、ついに食べることができたわけである。

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テイクアウトという形ではあるが全然問題ない。国産うなぎを食べられる(しかも自分の出費ではなく)こと自体がもう気分が良い。もちろんスーパーとかでうなぎ入りのご飯とか、巻きずしとか、そういうものを食べるのもそれはそれでいいものだけれど、だからこそうな重も食べたいよね。
これでしばらくうなぎうなぎと欲することはなくなるだろう。
うなぎまぶしごはんとかうなぎの太巻きとか、あるいはうなぎのお寿司とか、そういうものも心置きなく食べられるね。うな重が食べたいときにそれらで代用しようとするとかえってうな重への気持ちが高まってしまうから、やめていたんだ。今なら余韻で食べられる。
うな重を食べたい気持ちの代わりに食べるのと、うな重の余韻で食べるのとではだいぶ心持が違う。
リベンジできてよかった。

逆にまだリベンジを果たしていない……というか、今度食べようと思っていてそのままになっているものというのはたくさんある気がするのだけれど、いかんせん何かにメモっているもの以外はすぐに忘れるんだよな、これがまた。