言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

カップ飯


最近、カップ麺ではなくカップのご飯をよく食べるようになった。
昔カレーメシが出たばっかりのころに1度だけ食べて「別にそんな美味しいものでもないんだな」みたいな感想を持って以来敬遠していたのだけれど、何かの拍子に買って食べたカップヌードルのぶっこみ飯が意外と美味しかったのでカップ飯も食べるようになった。
特に最近はカレーメシがお気に入りだ。今のところ一番スタンダードなものと、バターチキンの物しか食べたことがないけれど、スタンダードなものが一番好きだ。キーマカレーの味のやつと、それからハヤシライスのものも出ているのでいずれ手を出してみたい。ただまあキーマカレーもハヤシライスもあんまり外食で選ばない味なので、そういう意味で市販品がどんな味で出てくるものなのか不安みたいなものはある。まあこの辺のインスタントなご飯は基本土日の昼にしか食べないので、多少外してもダメージは負いにくいので今度試してみたいと思う。

記憶違いでなければの話だけれど、出始めのインスタントご飯ってもっとご飯感が薄かったというか、ちょっと別物だなという印象があった。わざわざお湯を入れて5分も待って食べるものではないな、とか、これなら別にカップ麺でいいかなとかそんなことを思ったわけだけれど、月日がずいぶん経って改良されたということなんだろうか。
私は「カレーを混ぜて食べない派」であり、何なら家で食べるときはセパレート(つまりご飯とルーが全く別容器)でもいいとさえ思っているほどである。まあこれは洗い物の手間的な話にもつながるので単純な理由とはいい難いが、要するにご飯とカレールーは別々で食べたいなと思っていた人間なので、全部混ざった状態で作られるカレーメシに関してはかなり懐疑的な思いを抱いていたのだ。
でもまあ久々に食べてみて思ったのは、これはカレーライスではなくてカレーメシという食べ物なのだな、ということだ。全部まんべんなく混ぜて完成する食べ物であるわけだ。ビビンバとかにちょっと似ているかもしれない。しっかりまんべんなく、ムラもなく混ざっていないとダメ、という食べ物だ。そういうものなのだと思えば別に何も気にならない。
カレーピラフにカレーソースをかけたり、ビリヤニに対しても似たようなことをする場合もあるけれど、やっぱりそういうときは混ぜずにまだらな状態で食べるわけで、何というかこう私の中でそれらとは別ジャンルとして定義されたんだろうな、なんてことを思うわけだ。

それにしてもカップ麺を食べる時よりも満腹感があるのは、やはりご飯だからだろうか。その分他の物をあまり食べなくなるので、罪悪感が薄くていい。カップ麺自体は別に何も感じないのだけれど、やっぱりそれだけでは足りなくて他におにぎりの一つでも足そうかとか思ってしまうと、いや待て炭水化物が多すぎやしないかなどと心の声がささやくわけだ。本当は麺を全部食べた後にご飯を入れる正しい意味でのぶっこみ飯などというものもやりたいけれど、同様の理由でなんとなく手が止まる。
もっとなんかこう、昔みたいにわけわからんくらい太りにくい身体だったらカップ麺を汁物代わりにメインを食べるとかしても全然平気だけれど、今はもうそういうことは慎まないとただただ跳ね返ってくるだけなのでやらないようにしないとなという罪悪感ブレーキがかかってしまうわけだ。

まあ外食の時は例えば天理ラーメンとかを食べる時にはうっかり小ライスなんかを付けてしまったりはするんだけれど、それはそれでまた出先だから別の話。
カップ飯の類はそういう欲求をいい感じに和らげてくれるので、助かっている。
ただまあ、本物とはまた違う別物であることは承知しているので、本当に我慢できなくなったりストレスで爆発したりしたら……カップ麺を食べてご飯を入れて全力でそれを掻っ込んで昼寝! という日もあるかもしれない。
ダイエットをしているわけでも制限をしているわけでもないけれど、チートデイみたいなものがあってもいいんじゃないかな。ストレス発散。万歳。