言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

生牡蠣

先日、生牡蠣を久しぶりに食べた。牡蠣の専門店みたいなところに行って、牡蠣フライ定食と一緒に生牡蠣も頼んだのだ。生牡蠣以外にも蒸し牡蠣と酒蒸しの牡蠣が同数同価格でメニューに載っていたが、散々迷った挙句結局生牡蠣にしてしまった。

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牡蠣は怖い。私は1度牡蠣に当たってひどい目にあったことがある。釧路の和商市場の一番奥の店で牡蠣が売られているのを見つけて、その場で蒸してもらって食べたのだけれど、その蒸しが甘かったのかわからないが見事に2日後に発熱と嘔吐と下痢とそれら全部ひっくるめた強めの脱水症状によってGW後半を全部棒に振るという経験をした。
それでも食べた牡蠣が美味しければまだ救われるものだけれど、残念なことにこれがまた全然美味しくはなかったのだ。生臭くて如何にも怪しい風味の牡蠣だった。10分くらい待って提供してもらったのだけれどダメだった。牡蠣は85℃以上で1分以上の加熱を行えば食中毒が防げるというのが一般的な見解なのだけれど、なんだったんだろうな、あれは。殻とかに付着していたのだろうか。

それ以来牡蠣を食べるときはかなり慎重に注意を払って食べるようになった。……なったのだけれど、本質的に牡蠣自体は大好きなので食べるのをやめるという選択には至っていない。牡蠣は食べたいのだ。牡蠣は美味しいから。
まあでも別に生でなければあまり大きなリスクはないはずなので、そこは気にしないでいる。牡蠣フライとか牡蠣鍋とか、どう考えてもちゃんと火が通っているものなら気にならない。

ただそれでもたまに食べたくなるのが生牡蠣というやつである。生じゃないと味わえないものというのは確実にあるからだ。
殻や殻に残った液体にできるだけ触れないようにして、とにかく身の部分だけを食べるようにしてちょっとでもリスクが減らせれば……という気の付け方をしているけれど正直どれだけ意味があるかはわかっていない。正直、できるだけちゃんとした店でちゃんとしたものを食べようとする、それが一番の対策だろう。

そういう意味ではたぶん、ちゃんと火が通ってさえいれば蒸し牡蠣というのが一番ちょうどいいのだと思う。旨味が逃げ出すことはないし、火がちゃんと通っていればリスクは低い。その蒸し牡蠣で当たってしまったのでなんとも言い難いところではあるけれど、食べてみてちゃんとい湿気ればたぶん大丈夫だろう……と思うようにしている。逆に言うと、変な味がするときは途中でやめよう、ということだ。生牡蠣にしても同じである。
先日食べた生牡蠣は1つ目がちょっと生臭く感じたのでそれは途中で食べるのをやめた。出されたものを途中ででやめる勇気。残りはどうしようか悩んだけれど、それでも残りの2つは大丈夫かな、と思ってそれは食べてしまった。美味しかった。美味しかったけれど、最初に食べた牡蠣の味が尾を引いて、ちょっとドキドキしながら食べた。潜伏期間があるので48時間後くらいまでの予定を反芻しつつ、問題ありませんようにと胸の内で祈った。背徳感と共に食べた。

そうまでするなら生牡蠣なんて食べなければいいのに、と言われそうだがまさにその通りではある。1度食べるとしばらくはまあいいかな、と手を出さずにいられるのだけれど、良さそうなお店に入ると食べたくなってしまうんだな、これが。この店ならきっと大丈夫だろう、とかそういう正常性バイアスが働くというか、こういういい店じゃないとなかなか怖くて手を出せないよね、とかそんなことを思って頼んでしまう。この審理は何だろう。
さすがにスーパーで売っている生食の牡蠣には手を出さないけれど、別に当たるかどうかという意味ではあんまり確率的に変わらないとは思うんだけど、なんとなく高いものの方が安心できるようなところがあるのだ。

牡蠣に当たる前と後とではその「怖さ」に対する姿勢は確実に変わったと思う。
当たる前は、別に当たったら当たったでその時はその時だ、くらいの気持ちで結構適当に食べていた。それこそ、市場に行った時に牡蠣があるのを見つけてその場で食べたことだって何度もあった。日本国内だけじゃなくて、外国でも食べたりした。
当たってからはその怖さというのが具体化したことによって、もう二度とああはなりたくないという気持ちが食べる時に介在するようになった。生牡蠣頻度は確実に減ったと思う。
……減ったけれど、まあそれでも食べたくなってたまに食べちゃうんだよな。それがまた恐ろしいところでもある。
牡蠣、美味しいんだよな。生牡蠣は特に美味しいんだよな。

年始に既に牡蠣を食べに行く予定があるのだけれど、メインは蒸し牡蠣の予定である。でも生牡蠣もちょっとだけ頼んじゃうんだろうな。

 

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