言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

宇宙旅行


昨日、前澤友作氏の宇宙への打ち上げの様子が中継されていたので見てしまった。休憩しているタイミングとちょうど重なったので、私はその様子を見守ってしまった。

少し前から訓練(確か合計100日)をしているというニュースは見ていて、そういえばそんな話(宇宙へ行くという話)もあったな、と思っていたのだけれど、それが昨日だということは直前まで知らなかった。前日にニュースとして「いよいよ」と出ているのを見て、12月8日……明日か! と気が付いたわけである。
普段そこまで宇宙への打ち上げというのはリアルタイムで気にしたことはなかったのだけれど、昨年『宇宙兄弟』を一気読みしてからはだいぶこのあたりの話は気になるようになっていた。特に、民間人として宇宙に行くというのはかなり珍しい事であるわけで、そういう意味ではかなり夢があるな、という思いで見るようになっていた。
基本的には宇宙(≒ISS)というのは何らかの研究をするために行く場所である、と言ってしまって良いと思う。研究でないにしても、何らかの仕事や役割があるものだ。宇宙へ行き、ISS(つまり国際宇宙センター)へ滞在するのは莫大な費用がかかるし、それなりのリスクもある。
宇宙に行きたいと思ったら、宇宙飛行士にならなくてはならないというのがほとんどの場合の常識である。最近JAXAが新しい宇宙飛行士候補の募集を始めたというニュースがあったけれど、そういった機会での選抜を経て、何年も訓練をしてようやく宇宙飛行士になる……というのが正規の宇宙行きのルートになるわけだ。
応募資格のうち、身長視力色覚聴力と言った基本的事項に特筆すべき事項はなく、視力に至っては矯正視力が1.0以上あればよい、ということになっている。問題はそこではなく「実務経験」の方だろう。実務経験3年以上という以上のことは書いていないので詳細は分からないが、これまでの応募資格が「自然科学系の大学卒」であったことから考えてもそれに類する実務経験が必要ということだ。ちなみに博士課程まで修了していればそれだけで実務経験3年という扱いになる。
それでまあ上記に加えて英語力をはじめとしたさまざまな試験があって、とんでもない倍率を潜り抜けて最後に残った2名とか3名とかの選ばれに選ばれた人しか、宇宙飛行士の「候補」になれないわけだ。
まあ要するに、宇宙飛行士になろうと思うならば、それを念頭に置いた人生を歩んできていなければそもそもチャンスはほとんどないということだ。応募資格上は大学の文系学部に進学していようと実務経験があり身体的に問題なくかつ語学が堪能……というような形でチャンスがないわけではないけれど、途方もない努力が必要なのは想像に難くない。
そうまでして宇宙飛行士になって初めて行けるのが宇宙という場所だったわけだ。

それがまあ、お金を払ったら行けますよ、という時代が来るというのは革命的な話である。前澤氏自身がどうこうというのはさておき、お金を払いさえすればちゃんと宇宙に連れて行ってくれる、というのはなかなかすごい時代が来たものだな、と思うわけである。
「地球を冒険するには遅すぎ、宇宙を冒険するには早すぎる時代に生まれた」という有名なネットミーム(本来この後には別の言葉が続くが割愛)があるけれど、その後半の「宇宙を冒険する」時代が思ったよりも近いところにありそうだというのはなんとも不思議な思いだ。

今回はISSに12日間滞在するということで、費用は2人で100億円以上かかるという話だ。100億円というのは想像もつかない途方もない額だ。宝くじの1等を当てた程度ではどうにもならない。未だ手の届かない世界であるというのは間違いない。間違いないけれど、今から宇宙飛行士を目指すというのと、お金を積んで宇宙に行くというのとでは後者の方がまだ現実味のある話である。
そういう意味ではかなり意義のある試みなんじゃないかな、と個人的には思っている。

まあ自分自身がいつか生きているうちに宇宙に行く、なんてことは現実味を感じられる話ではない。だけれども例えば、無重力体験とかそういうもう少しスケールの小さいことを体験とかできたらいいな、なんて思ったりはする。
それくらい宇宙体験がお手軽になればいいなと思う。

まああれだ、素直にうらやましい。それだけ。