言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

散髪中の会話


髪を切ってもらっている時、基本的に私は何も話さない。
2年くらい前まではずっと雑誌を読んでいた。目が悪いのに眼鏡を取り上げられるので正直かなり読みにくい(視力的には裸眼だと0.2くらい)のだけれど、「danchu」のようなグルメ雑誌は文字が読めても読めなくても割と写真で楽しめるので好んで読んでいた。
読もうと思えば読めるが頑張らないと読めないみたいなそんな距離感でじっくり雑誌を読み込むのが常だったのだけれど、コロナ流行後は雑誌の提供がなくなってしまい一気に手持無沙汰になるという事象が発生している。とにかく暇なのである。
スマホを出して何か見ることもできなくはないのだろうけれど、まずそうすると髪を切っている人からは全部丸見えである。それはだいぶ嫌なので選択肢に入ってこない。そもそもできない可能性もあるけれど、まあとにかく嫌なので聞いたこともない。
となるとまあ目を閉じて寝るみたいなことになるわけだが、全然眠くない時などももちろんあるわけで、そういう時は暇に任せてぼんやりと考え事をして過ごしている。苦手な時間ではない。そもそも適当に駅までとかを歩いている時、いろいろなことを考えながらぼんやりと歩いていることは多い。現実的な問題……この後何を食べようかとか買い物はどこでしようかとかそういうことが最も多いけれど、それ以外に本当にくだらない想像(7億円当選したときの使い道シミュレーションとか)だとか、趣味の考え事(ゲーム内での立ち回りとか反省とか)をして過ごすのは全然苦ではない。むしろ好きな時間ですらある。
目を閉じていてもそうでなくてもそうやって物思いに耽っているだけなのだけれど、たまに(髪を切っている間暇だろうと)気を使ってか話しかけて来る人もいる。別に人と話すのが嫌いなわけではないのでちゃんと会話をするのだけれど、髪を切っている最中の会話というのはどうもなぜか話しにくくて苦手意識がある。

目が合わないのと、頭を動かしてはいけない、この2点が苦手な原因である。両方とも散髪中という状況においては仕方のないことなのだけれど、どうにも話しにくくてイマイチいい感じに会話ができないような気がしてしまうのだ。
そもそも私は話しているときに良く身体が動くタイプの人間である。電話だと相手の反応は声からしかわからないところはあるが、身体は自由なので電話口では結構一人で頷いていたりする。意識しているわけでもないのでもうそういう風になっているのだ。むしろ声を出さずとも身体の動きだけで反応していることもある。相手の話に頷きで返すとか、そういうことは普通にあることだと思うけれど、私の場合はそれを封じられると結構不自由に感じてしまうのだ。

私はこのあたりの事実に最近気が付いた。というかこの間髪を切りに行った時にだいぶいろいろ話を振られていろいろ会話をしたのだけれど、その時に気が付いたのだ。頭を動かさずに声だけで楽しく会話をするというのは難しい。ずっと会話の半分くらいを制限されているような、そんな気持ちで話をしていた。

純粋に良く知らない人に根掘り葉掘り仕事の話などを尋ねられてオープンなスペースで大きな声で話すというのがどうか、ということもあるが、それ以前にまずそもそも会話が不自由な場であるというその事実に気が付いてむしろ安心した。安心して静かにしていられるものである。まあ目は閉じておいて話さない意思表示はある程度していた方がいいようには思うけれど、そもそも私の顧客名簿か何かに「あんまり話さない」とか書かれているような気もする(前からいる人は基本的に話しかけてこないので)ので、まあ別にそれでも大丈夫なんじゃないかと勝手に思っている。

まああれだな、うっかりちゃんと寝てしまい頭ががくっと動いてしまうとかの方がずっとまずい気がするので、ずっと瞑想中のような感じで目だけ閉じて入ればいいだろう。考えていることは低俗で煩悩そのものだろうけれど。