言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

誕生日

 

そういえば、今日は誕生日だ。
私の場合、誰もが知っている有名人と生年月日が一緒なので割とセットで覚えてくれている人もいると思うし、実際その流れでアピールすると結構笑い取れたりもするので重宝している。同い年で誕生日が同じ有名人って便利だな、とか言うとさすがに失礼すぎる気もするけれど、実際勝手によく使わせてもらっている。ありがとうございます。

誕生日に関しては誰にも知られないより誰かに知られていた方がいいかな、と思う。なので匂わせどころか結構毎年ちゃんとアピールしている。

まあ別に今日に限って特別な何かをするということはなく普通の平日として過ごすわけだけれど、それでも何かと誕生日の出来事というのは覚えているものだ。

さすがに自分の誕生日そのものを忘れるということはないけれど、自分の年齢をうっかり思い出せない瞬間というのはまあまあ出てきたりもする。とっさに質問とかで振られると変に言いよどんでしまう時があるのだけれど、年を言いたくないのではなくてとっさに答えられなくて詰まっているだけのことなのだけれど、割と誤解されているような気もしている。

12月生まれの厄介なところは、「今年何歳になる」というのと「今何歳か」というのがずっと乖離しているということだ。
会話などで大事なのはたいてい前者の方だろう。「私たち何歳差なんでしたっけ」といったことを考えるには、学年で換算していくつ離れているか、というのが最もわかりやすい。「私たち同い年なんですね」という場合も、基本的には学年が同じ場合を指す。
なので「今年何歳になる」というのはぱっと出てくるのだけれど、その分今自分が何歳なのかというのがちょっと出てこなかったりするのだ。生年と現在の年を引き算すれば今年何歳になるかというのはわかるけれど、一瞬、まだ誕生日は来ていないのでえーっと、と変な間が開いてしまうわけである。
ちなみにこれ、早生まれの人はどんな感じなんだろう。生年と年齢はだいたい一致するけれど、学年計算だとずれるということになるわけで、似たようなことを思っているのだろうか。

まあ私の頭の中の試行のつながり方というか結びつきの構造がちょっと変なだけだという可能性は大いにある。

そういえば最近知ったのだけれど、12月生まれというのは例年出生数が少ない月であるらしい。3月生まれが少ないという話もあるのだけれどこれは早生まれを避ける意図があるのを感じるが、12月生まれが少ないというのは結構意外だった。1月や2月よりも日数換算すると12月のほうが少ないの場合もある。このあたりの要因ははっきりとしていないようなのだけれど、少なくとも統計的には例年同じような傾向として12月と3月あたりが少なくなるようだ。
反対に多いのは夏生まれで、8月とか9月あたりが人気を集めている。5月も比較的多い傾向にあるようなのだけれど、面白いのは令和元年に変わったその年に5月生まれの子供が増えたという話である。ギリギリ平成生まれにするよりも、令和生まれがいいな、ということなのだろうか。
まあとはいえ目に見えて少ないというほどの差はないので、誤差みたいなものかもしれない。局地的に見れば偏りはあるものの世の中意外とバランスよく、誕生日がばらけているもんなんだな。

年々出生率というのは下がり続けているので参考程度だけれど、近年で言えばだいたい年間85万人の人が産まれている……ということで、1日当たり2300人くらいが産まれているような計算になる。
私の場合は今よりは1000人くらいは1日当たりに生まれた人数が多いらしいので、まあ3300人とかそういう感じになるようだ。自分と同じ生年月日の人が2300人以上いると考えるとそれは結構、どこかで普通に出会えるような気がしてくる。その中の1人が有名人なわけだけれど、案外それ以外の人ともどこかで出会っているような気はするな。
ただまあ一番わかりやすいところである学校では同学年の同じ誕生日の人とは出会わなかったので、どうかな、これからまたどこかで出会えるだろうか。