言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

合格通知の封筒

 

昔、受験結果が封筒で渡される、という経験をしたことがある。高校受験の時だ。
掲示板に張り出されるとか、あるいはネット上で見られるとかそういうわけではなく、封筒、という形式だった。
合格者には合格の通知と、それから入学用の書類なんかが入っているようだった。不合格者には……何だろう、不合格の通知とかが入っているような、そんな感じである。
封筒形式の良いところは、一見して合格かどうかはわからないということだ。持ってみれば厚みとかでわかるかもしれないが、ともかく自分の番が来て手渡されるまではドキドキできるのである。それと同時に、一斉発表じゃない分複数ではしゃいだりだとか、それに傷ついたりだとかそういうことの起こりにくいような配慮があったわけだ。理由は完全に想像だけれどまあたぶんそんなもんだと思う。

でもまあ、そんな配慮がどうとかを全部壊すような形で、私の名前が書かれた封筒は、箱の一番端っこでくたっと曲がっていた。折れていたわけではないけれど、どう見ても厚みがなくて自立していない、そういう感じ。
私は封筒を受け取るよりも先に、落ちたことを悟った。口元はちょっと笑っていたと思う。なんだこれ、って。

まあ何だろう、落ちたことそのものはある程度覚悟していたことだったので特に問題なかったけれど、なんというかこう、合格発表の時にまでそんなオチをつけないでくれても良かったんじゃないか、とは思った。
せめて封筒を受け取って中身を見るその瞬間までは、わかりたくなかった。
他の合格と思しき封筒はもっと厚みがあるから、くたっとなんかならずにちゃんとまっすぐ形を保っていただけに、こんなものか、と変なダメージを受けた。

受験の時、特に示し合わせたわけではないのに、後ろの席には同じ学校の友達がいた。後から聞いたら彼は合格していた。なんとなくバツの悪そうな顔で合格していたことを教えてくれた時、私は普通におめでとう、と返した。
受験会場はなんだか知らないが地元新聞社や報道関係者が後ろに陣取っているようなわけのわからない晒し者教室で、「最初のリスニングの時間までには居なくなります」という説明に反して普通にリスニングにも6,7人の関係者が残ったまま撮影をしているという環境だった。割とそれは普通に最悪だった。結局リスニングが終わるまで居座って、そのあと英語の問題を解いている最中に音を立てながら出て行った。
それでまあ新聞やTVなりに私の背中でもがっつり載っていてくれれば多少救いがあったけれど、私の席はちょうど柱の向こうだったので、私の背中は1/4くらいだけしか映っていなかった。友人の背中はがっつり映っていた。彼の方が「持って」いたのは間違いない。

それがどれくらい影響したかなんてわからないけれど、まあ結果的には受からなかったのだ。自立できない曲がった封筒を見てちょっと笑ったのは、自嘲とかそういうことではなくて、まあ単純に変なオチが付いたことに笑ってしまったという、そういうことだと思う。
不合格なのはさておき、と本来メインである合否がちょっとさておかれるくらいには、インパクトのある光景だった。

会場に向かう道中とか、帰りのこととかは全然覚えていないのだけれど、あの箱の中の封筒だけは今でもはっきりと覚えている。

まあでもあれだな、せめてなんか厚紙か何かで補強しておいてくれても良かったんじゃないかな、とはちょっと思う。折れてたらわかっちゃうじゃん、当たり前じゃん、って。