言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

良いお年を

あっという間に大晦日である。今年は本当に何でもあっという間だ。それなりに忙しくもあり、そして時間があったりもした。不思議な1年だった。できることが制限されたり、制限の中では暇だったり。ずっとそんな感じだった。

普段からもともと花粉症なので、2月にはもうずっとマスクを着けていた。1月もインフルエンザだったりして、ほとんどマスクをして過ごした記憶がある。昨年末もそう。インフルエンザの季節くらいからだいたいマスクはつけっぱなしだ。お正月くらいだろうか、マスクをほとんどつけずに過ごしてしまったのは。だからこそインフルエンザに罹る隙があったとも言えるけれど、潜伏期間を考えたらお正月自体はあんまり関係なかった気もしている。
そういうわけで今年は本当のマスクをずっとしていた年だった。2月末にギリギリ通常開催されたライブでは、マスクをして客席入った。間隔を開けるとかそういうことはまだなく、またマスクをしていればとりあえず声を出していても何か言われるようなことはなかったと思う。そういうギリギリのタイミングだった。開催地が北九州だった、というのも幸いしたと思う。でも今思えばやっぱり、あれはギリギリのタイミングだった。
そうこうしているうちに4月の半ばからは家で仕事ができるようになった。当然、家にいればマスクをする必要はない。マスクの消費量が格段に減った。家からほとんどでなければ、マスクは必要ない。心もとない感じのマスク在庫だと思ったけれど、結局杞憂に終わった。それに以前はほとんど使用者のいなかった布系のマスクが普及したのも大きいと思う。あれのおかげで使い捨てのマスクは一気に飽和したと思う。でもまあいいことだ。おかげで基本的には使い捨てなマスクを使うことができている。買い占めたわけではないけれど、本来マスクを1,2箱買ったらそれで花粉シーズンくらいは乗り切れたはずなのだ。それすら手に入らない事態が異常だった。
そういえば、飲食店でマスクをしっぱなしということはないので、それほど匂いが付きはしないということは面白い発見だった。どうせ使い捨てなので匂いの強いものを食べた後なんかは気になって交換することがあるけれど、まあそれから家に帰るくらいまでの間を気にせず過ごすのは問題なかった。反面、硫黄の匂いがする温泉街を歩くと、マスクから温泉街の匂いがするようになるという知見を得たりもした。温泉に直接触れている身体や肌着よりも気になるので面白い。積極的に使ったら捨てたくなる。いい事なんだけれど、それは。

マスクはまあ何だかんだ例年花粉やインフルエンザ対策やらで半年近く使っているわけだけれど、真夏にマスクをして過ごしたのは結構初めてだったんじゃないかな。別に普通じゃん、とか思って外を歩いていると一気に息苦しくなるんだから大変だ。来年もそうなんだろうか。あの不快感が嫌で余計に引きこもりたくなる気がするけれど、まあそれがいいんだしな、本来は。家から出るなってことだ。

まあなんというか、マスクだけでもこんなにいろいろ今年は初めてなことがあった。来年はどうなっていくかもう見当もつかない。予想なんてたぶん誰もできはしない。オリンピックとかどうなるんだろうな。わかんないけれど、わかんないなりに来年もあっという間に過ぎていくんだろうな。
今年は特別だった。まあそれはいい。来年も特別だろうか? いつまで特別なんだろうか? 特別が続いたらそれがたぶん普通になるよな。特売しすぎて「毎日が特売日」ってそれが定価じゃん、ってのと同じだ。……同じじゃないか。まあいいや。
きっとたぶん、なるようにしかならないね。
それではまた、良いお年を。