言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

最近手帳を開いていない


家にいると本当に手帳を開かなくなった。そもそも手帳に書き込んでおくような予定が全然ないのだ。手帳には出かける予定を書き込んでいるけれど、出かける予定はないし、書いてある予定を横戦で打ち消すのももう面倒くさくてやっていない。だって見なくてもわかるから。
会社に出勤しているときは勤怠情報を毎日書き込んで記録していたけれど、今は家で会社のPC環境にアクセスしているので、そこで書き込んで管理することができるから、わざわざ覚書を残しておく必要も薄くなった。それに毎日勤務開始と終了でメールを残しているから、物的証拠として勤怠時間の記録があるわけで、あとからそれを見直せば実態を把握するのは容易いのだ。
仕事の連絡事項や予定は仕事のスケジュールとしてPC上で管理してしまうし、まあ本当に手帳の出番がなくなってしまっているわけだ。
とはいえ、たまに見ておかないと、キャンセルであったとしても予定を確認する必要というのはあるものである。
ライブや舞台などのチケットはいくつも払い戻しの連絡が来た。基本的にクレジットカード払いで支払いをしているので、クレジットの請求のほうにマイナス請求という形でお金が帰って来る。こちらから手続きをすることはほとんどないし、必要であればちゃんとその旨が連絡されるのでそれなりに親切な仕様になっている。おかげで来月のクレジットカードの支払い金額が自動的にマイナスになっていた。うれしいような、うれしくないような。そのお金でとりあえずふるさと納税とか、食べ物の取り寄せとか、まあそういうことをしている。10万円の給付金のような感じだけれど、実際は先月や先々月あるいはもっと前に自分で払ったチケット代なのだけれど、まあ過去の自分からの贈り物だと思って使っている。チケット代は大抵2枚とかで払っているので(連番で申し込むので)思ったよりも大きな値段になる。だからそのお金が帰ってくるのは案外大きい。
ライブや舞台は自動的に払い戻されるけれど、旅行の支払いは自分で払い戻しをしなくてはならない。まさかやらないとは思うけれど、うっかり旅行に行く日を過ぎてからそういえばあれって中止にしたよな……? なんて思った日には事故どころの話ではない。大事故だ。飛行機代など帰って来るのとこないのとでは大違いである。北海道往復とかで4万いくらか(ホテル代と合わせて)返還されるのはだいぶ大きい。
欠航にでもならない限りは自分からキャンセルの連絡をして払い戻しの手続きをしなくてはならないのだけれど、このキャンセルの作業というのはなんというか胸に来るものがある。お金としては大きな額が帰って来るのでいいような気がするけれど、それよりも行けなかったことの悲しみのほうがずっと大きく感じられるのである。ライブや舞台はそもそもの催し自体がキャンセルになるので仕方がないと返金を待つばかりだが、一応自分からキャンセルする形をとる旅行というのはなんともやるせない。
だから3月の旅行をキャンセルしたときは、そのまま6月末に同じように旅行の予約を入れてしまった。だがどうだろう、その3月のリベンジたる"6月代替公演"もどうだ、かなり怪しい感じになっているではないか。またキャンセルの手続きをすることになるのかと思うと、それはもう憂鬱でしかない。
予定がないというのは楽ではあるけれど、予定を決められないというのはさみしいものである。今度これがあるから頑張ろうとか、ここまで何とかしようとか、そういうこともないとなかなかやっていられないものである。

今度こそ、旅行の予定を組めるようになった、その時は手帳に大きく予定を書き込むつもりだ。堂々と旅行できる日が早く来ますように。