言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

習慣

天気予報が嘘をついてもつかなくても、折り畳み傘はカバンに入れたままだし、重いとか邪魔だとか思うよりもそのカバンを持って外に出かけることはほとんどない。家にこもっている生活をしていると、そういうちょっとした日常の習慣が失われていくので、ふとした瞬間に当然あるはずのものがなくて困ったりはしそうである。
折り畳み傘に限らず、現金であってもそう。このところ昼ご飯を外に食べに行かなくなったこともあって、ほとんど現金を要求されることが無くなった。買い物もスーパーやらコンビニやら大抵電子マネーが使える。クレジットとそのまま紐づいているから楽だし、非接触型の決済となるのでこのご時世的にもいろいろいい気がする。クレジットカードを出すのと決済内容は同じなのに方法はちょっと楽になっているっていいと思う。しかしながら電子マネーが使えない場合と言うのは普通に存在するし、それこそ現金しか使えない飲食店なんかは普通に存在するので、このままの感じでいると、現金が財布に入っていないことに気が付かずに食事をして会計の時に青ざめるなんてことになりかねない。
まあそういう現金しか使えない時にお金がない! なんて場合、大抵身分を示すものを置いて行ってATMを探しにいって決済するわけだけれど、ATMがない環境だとまあ焦る。
昨年だったか、台風で新幹線が大幅遅延をした際に、乗車の証明書だけを受け取って新幹線に乗り込んだことがあった。全席指定の東北新幹線であるにもかかわらず、指定席券および特急券を購入せずに乗せてくれたのである。指定席券というのは「発車時刻の後には買えない」という特性があるので、1時間以上遅延してさあ動いたから乗り込もう、となった場合にその列車の指定席券を買う術がないのである(窓口なら都合がつきそうだが、そういう時は往々にして窓口は長蛇の列である)。全席指定列車で発車時刻は過ぎているが遅延していてとりあえず駅に列車がいる、じゃあどうするかと駅員さんに相談したら乗車証明書を渡されて、とりあえずこれで目的地に行って清算すればよいとのありがたいお言葉をいただいた。
完全勝利と思って列車に乗り込むが、そこで現金を3千円くらいしかもっていないことに気が付く。乗る前に気づけばいくらでもお金をおろせる機会はあったのに、馬鹿なので乗り込んで安心してさてと言うところで初めて気が付いたのである。最も、切符はクレジットでも買える。……買えるのだが、清算をクレジットで行えるかはかなり不透明だった。到着駅の駅構内図を調べてみても改札外にしかATMはないようだし、あの時は割と焦りを覚えたものであった。何か荷物でも渡してATMまで走るか、というくらいには思っていた。
結果的には清算用の窓口では現金限定だったものの、在来線乗り換え窓口でならばクレジットも可能と言うことで、なんとか駅構内で清算を行うことができた。
現金を持っているというのはまあ当たり前のことなのだけれど、その時は本当に丸一日現金を確認しなかった。乗車券購入はクレジットだったし、食事も電子マネーだった。本当に必要な時に初めて気が付くのである。
このままなんとなく生活様式が変わっていって、習慣も変わっていって、となるのなら、以前の感覚で持ち物をチェックせずに出かけるとまた痛い目に合うかもしれない。新しく追加されるルールってのは細かく確認したり意識して気を付けたりするものだけれど、普段無意識に必ず持っている物とか、携帯していたものとかは案外意識していないから意識せず忘れて、意識外にあるから気づかず、そしていざ使おうというときにないことを思い出す。そんなもんだろう。