言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

八十八夜

今日、5月1日は八十八夜だそうだ。例年は5月の2日らしいが、今年はうるう年なので1日ずれている。立春から八十八夜が経過したことを意味するので、立春がずれれば日付も変わるし、うるう年で2月が1日多くなればまたずれるわけだ。

夏も近づく八十八夜、と言えば茶摘みの歌である。この日に茶畑で摘まれたお茶の葉は良いものであるとされて、昔から親しまれているらしい。そういえば「茶」の漢字も草かんむりの下は「八十八」で構成されていると、最近どこかで見かけた。

遠い記憶の中で、小学生くらいに茶摘みの歌を習ったときにもそんな話を聞いたことがあるような、ないような。話よりも鮮明に覚えているのが、音楽の教科書に載っていた茶摘みの風景だ。未だに「茶摘み」と聞くとその時の写真が思い出されるものである。

 


東海道新幹線に乗っていると、静岡県に入ってからしばらくしたあたりで沿線風景に一気に茶畑が多くなってくる。富士山が見えない日は、立ち並ぶ製紙工場と茶畑が静岡県に入ってきた合図のようなものだと勝手に思っている。

それ以外だと、京都の宇治だろうか。京阪の方の線路沿いに茶畑が広がっている様子を見たことがあるけれど、宇治茶は日光を避けるために黒い覆いがかぶさっていることが多いので、静岡で見られるようなそれとは少し違った光景になっている。地域差があって面白い。

 


茶摘みというのは体験できるものらしい。調べてみると実にいろいろな場所で茶摘み体験というのは開催されている。季節的にも本来ならちょうどいまくらい、GWあたりで予約していくのに最適、なんて書いてあったりもする。

内容も案外豊富で、茶葉を摘むのと、摘みたての茶葉でお茶を飲めるのと、それから茶葉を加工する工程やその出来立ての茶葉でお茶を入れたり。あとは摘んだばかりの茶葉で天ぷらを作って食べたりするらしい。

お茶を摘むという行為もさることながら、その場でいろいろ味わえるというのが非常に魅力的に感じる。やっていいのかわからないけれど、生の摘みたての茶葉を口に入れてみたいという思いもある。未加工の葉っぱを食べたらどんな味がするのかって、すごく気になるし。


いやあもう何だろう、茶摘み体験というものには純粋に興味がある、あるけれど、なんとなく一人では行きにくくて、じゃあだれか誘って行けよと言う感じではある。けれど、いかんせん「茶摘み」のワードで反応してくれる人がどれだけ居るものか不安である。

今年は行けないけれど、来年誰か一緒に行きませんか、茶摘み体験。できれば宇治がいいな。宇治の茶団子、あれ、本当に好きなんだよね。