言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

魚を買うとか飼うとか

昔、家で魚を飼っていたことがあった。とはいっても、縁日の金魚すくいですくってきた金魚である。金魚すくいはポイが完全に敗れるまで挑戦してそれでも上手にはすくえなかったけれど、確か店の人がおまけでくれた1匹だったと思う。
そんな感じで持って帰ってきた金魚だけれど、我が家には水槽がなかったのでどうするかと協議されたあげく、ちょっとした深いお皿のようなものに入れられることになった。今となっては何お皿だったか思い出せないが、犬用のご飯を出すときに使うような、そんな感じの深いお皿を想像してもらえばだいたいあっていると思う。水深は6,7cmくらいだっただろうか。急場しのぎの対応だったが、いつの間にかそのまま定着してしまった。緊急対応が恒久対応になる、割とよくある話。
そんな感じで我が家に来た金魚は結局5,6年くらい生きていた気がする。縁日ですくってきた金魚にしては長生きだったと思う。たぶん。

何か魚を飼いたいような気持は今でも少しだけある。たまに暇つぶしをするときに、観賞用の魚を売っているようなお店にふらっと入ると、結構な時間眺めていたりすることもある。その場ではやっぱり飼ってみたいな、という気持ちと、それ以上に結構家を空けるようなこともあるし世話ができるか微妙だな、という気持ちもあって、よし買ってこよう! という風にはなっていないのが現状である。
水族館で魚を眺めるのが好きなのと同じように、今はお店で売られている魚を眺めるのは好きだ。もし飼う(買う)としたらこれかな、とか、こういう感じの水槽にするとこれだけ値段がかかるのか、とか眺めているのは水族館とは異なる点だ。水族館だとどっちかというと食欲のほうに傾くことが多くて、あの魚は結構おいしそうだな、とか、すし屋で食べたあれって泳いでるときはこんな感じなのか、とか、あいつは身が少なそうだな、とかそういった感じである。家でアジとかマグロとか飼えないしね。

魚がダメというわけではないけれど難しいならば、植物とかを育ててみるのはいいかもしれない、とも思っている。あまりこまめに世話をしなくてもよい種類のものをえラべ場いいのかな、とか。全くノウハウがないので、何か食べられるものを作るとかは難しいかもしれないけれど。
あとはキノコの栽培キットとか、あれは面白そうだし、時間がかからないと聞くので今からでも挑戦してみたい気はしている。シイタケ狩りをしたことがあるのでなんとなく生えている様子が想像は付くが、あんな感じで菌床にわっと生えてくるのは順を追って見てみたいものだ。生えたら食べられるし。

植物やキノコと対比してみると、育てて食べられる魚、となってしまうとそれはもう魚の養殖ということになるので家ではできないのが残念というか、できなくてよかったというべきか。とりあえずまた今度いろいろ眺めるだけ長めにいてみようかな。眺めてる時間が楽しいんだよね、結局。