言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

春とつくしと

桜を見ると「春が来たなあ」と思う。あっという間に咲いて、満開になって、散っていくと新学期というか新年度が始まるんだなあと毎年のように思っている。
今年は桜の開花している時期が結構長かった。というか今でも普通に咲いているところはまだまだ咲いているくらい、長持ちである。雨がそんなに降らなかったからか、寒い日が結構あったからか。おかげて今年は4月に入ってからお花見をすることもできたので、万々歳である。

それはそれとして、桜の季節とだいたい同じくらいに出てくる、春を感じる植物が私にはある。それはつくしだ。土の筆と書いて土筆(つくし)。あれが生えてくるといやあ今年もこの季節がきましたな、となるのである。

つくしはおいしい。いやいやあれって食べるのかよ、と思うかもしれないけれど、つくしは普通に野草として食べられるものである。
その辺に生えているものだろうと何だろうと、つくしはつくしだ。調理すれば普通に食べられる。あまりに身近にその辺に生えているのでスルーしがちだが、その辺に生えてるものも普通に食べられる。食べたこともある。採取に特別な技術はいらない。本当に適当に、根本のあたりから摘んでいくだけだ。胞子が開き切っていない物の方が良いとか、10cmくらいの長さになっているものの方が良いとかそういった事はあるけれど、誤差の範囲内である。後のルール的なものは山菜採集やキノコ採集と同じで、「取りつくしてしまわない」ことくらい。お散歩が割に出かけて行って、せっせと摘んで、さっさと帰る。たくさん取れる場所を知っていればそれこそ遠征はほとんど必要ない。年によって出来不出来はあるけれど、まあ3か所くらいポイントを見つけておけば無難だろう。

つくしそのもののアクが強いうえに、「はかま」をとる作業で手が真っ黒になるので、食べられるようになるまで結構時間がかかるが、その手間をかけてもなお食べたいと思えるほどに私にとっては好きな食べ物である。できれもう安定供給してくれればいくらでも食べるけれども、それは野暮というものだ。
だいたいつくしは栽培向きではない。スギナの地下茎から増やしたり、つくしの胞子を撒いておくことでプランター栽培をおこなうことができないこともないらしいけれど、調べれば調べるほど大変そうだ。先に述べたようにわりとたくさん取れるポイントとかがあるうちは、採取してくるだけで間に合うので栽培の必要性は感じたことがないのも理由である。土手とか、畑の畔とか、そういう所に良く生えているので気になったら探して見て欲しい。活用するレシピなんかも今のこの時代、インターネット上で探すと簡単に出てくる。一番好きな食べ方である佃煮も調べたら今食べているのと同じようなレシピが出てきたので私も保存しておいた。

つくしのおいしさはあの独特の香りとほろ苦さである。表現しにくいのだけれど、実に「春の味」という感じ。
葉っぱではないので野草感はあまり感じないのも良い点だろうか。つくしはあくまでつくし。あの見た目と食感が苦手という人や、本当にその辺で生えているのを食べているのでそのあたりに抵抗のある人には向かない。


今年もまたつくしを食べた。春が来たんだなと思った。

ところでつくしというのものは今までずっと家で食べるものだと思っていたのだけれど、外で食べることもできるのだろうか。つくしが食べられる店、ぜひ知りたい。