言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

髪を切ってもらっているときに読む雑誌

髪を切ってもらっているとき、雑誌を借りて読む。床屋でも美容室でもたぶんありふれた光景だと思う。
私は前までは大抵スポーツ系の雑誌を読んでいたけれど、最近はもっぱら食べ物系の雑誌である。一番多いのはdancyuだ。とにかく食事の写真がたくさん載っているのがいい。午前中に髪を切りに行くことが多いから、少しお腹が空いているときにああいうグルメ雑誌を読むのはとても楽しい。
こないだは寿司特集だったのでついそのあとで寿司を食べに行ってしまった。安いランチ寿司だけれど。

あまり顔を近づけると切っている髪がかかってしまうので、30cmくらいは離して読む。
髪を切っているときは眼鏡を外す。文字が読めないわけではないけれど、私の視力の感じは微妙で、裸眼でも30cmくらい近づければ雑誌の文字は見えるような感じを想像してもらえるとわかりやすいと思う。地の文は読めるけれど、記事の末尾に付いている店舗紹介の文字は小さくて読めない、みたいな。そんな感じ。
だから、いつもちょっとしかめっ面をして雑誌を読んでいる気がする。別にただ寿司特集の文字が読めないだけでちょっと目を細めているとか、そういう感じなだけだけれどね。

髪を切ってもらっている間は、スマホを出すことはない。というか出せない。出しても何か言われることはない気がするけれど、そもそも細かい髪の毛とかがいろいろ入ってしまいそうだし、それに見ているものについて髪を切ってくれている人へ全部開示するような格好になってしまうのは嫌だ。だから、雑誌を読んでああここに絶対行きたいな、と思ったところを除いては、ほとんどそれは読み物として過ぎていく。だってお店の詳細情報の文字は小さくて眼鏡なしでは読めないし、店がどこにあるかを調べるためのスマホは出さないし。
寿司特集や、あとはお米の特集でおにぎり屋さんを紹介していたものも、見たことやなんとなく情報は覚えているけれど、そういう世界があるんだな、というような感じでぼんやりと眺めている(その結果「寿司が食べたい」とかいう気持ちだけ残って昼ごはんがそれになる)。載っている店にたまたま行きつくことはあっても、なかなか載っている店から調べていくようなことは稀である。dancyuが悪いのではない。私の目が悪く、そして調べもと記憶と記録ををスマホに頼っていることが悪いのだ。東京ウォーカーとかでも同じで、うわあうまそうだなとかこれ高そうだなとかいろいろ思ったあげく思うだけなので、まあなんというか雑誌を雑誌として楽しんでいるというか、結果的にそういうことになってしまっている。
でもまあ、髪を切ってもらっているときに読む雑誌ってすごく好きな存在だけどね。そういう時にしか読まないし。

コンビニとかでも売っているけれど、なぜ買って家で読まないのか、と言われれば、まあ単純に習慣ではないから、というのがあるけれど、それ以上に買ってしまったら読まなくてはいけなくなるから買わないようなところはある。適当にぼんやり眺めるからいいのであって、読まなくてはいけないものになった瞬間にちょっとその存在は重くなる。小説は積んでもいつか読むかもしれないけれど、雑誌は何度も繰り返し読むか、全く読まないか、その二択だろうな。
あとは載っている店から選定して訪れてみる、という感じではなくて、1Pから全部制覇したくなってしまうようなところがきっと私にはあるので、買うならそうそう手が出せないような価格帯の食事を出す店を並べたものがいいかな。ラーメン特集とか、そういうのはとても危ない。危なすぎる。

ああでもなんというか、グルメ雑誌って夜に読みたくなるよな。そういう時は買ってこないとダメか。
こんど酔っ払った時にでも勢いで買ってきちゃおうかな。