言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

無添加

無添加ラップ」という商品名がふと目についた。

無添加。ラップに無添加とかそうじゃないとかあるのか、と思うと同時に、じゃあ普通のラップは何を添加しているんだろうな、と思うわけである。考えたこともない要素だし、ラップの原材料とか製造工程について調べたこともない。何を使っているのが普通で何を使うのはダメだとか、全くわからない。そもそもラップに無添加とかそういうのがあるとは知らなかった。一応断っておくと歌の方のラップではない。そちらにはまだたぶん無添加とかそういう概念はない……と思う。どちらかというとどんどん添加する方でしょう。転嫁か?

ラップで気にしたことがあるのは大抵手触りとか、ちゃんと思ったところで切れるか(つまり外装についているギザギザ部分)だとか。厚みのあるラップよりも薄いラップの方がなんとなく好きだな、というかなじみがあるな、なんてことは気にするけれど、添加物がどうこうというのは考えたこともなかった。

でもまあ、よく考えるとラップはそのまま食品に触れ得る部分だ。おにぎりなんかは最たるもので、ラップに包んで握ってラップのまま食べたりする。あとはラップで包んだままの食品をそのまま電子レンジで温めたりとか。意外とそのまま口に運ばれる機会はある。気にした方が良いというのは言われてみればなんとなくわかるような気はする。

この「言われてみればなんとなく」の感覚が結構肝心だ。

無添加かどうかというのは、食品だとよく目にするワードである。めったに行かないけれど某回転ずしなんて「無添」が冠名なわけで、じゃあ無添加じゃないそれ以外はどうなんだ? というのを狙っているのはなんとなくわかる。食品添加物の類は世の中的にも関心が高いものなので、訴求上の効果として「無添加」に準ずるワードを使うのはかなり強いのだと思う(だからよく定義を巡って争うんだと思うけれど)。

無添加と大々的に表記することで「じゃあ添加してあるものって何よ」「ない方がいいものなの?」みたいな思考にさせられているのである意味この文言を設定した人の掌の上にいるわけだ。

火のないところに煙は立たないとは言うけれど、じゃあ例えばもともと煙のたっていない場所で「煙を消しました」と主張した場合、日も煙もなかったとしても、そこにはなにか燃える要素があったのではないか(あるのではないか)となってしまうのが恐ろしいところである。

 


売り場に並んでいる商品の中で、商品名で並んでいる物は大抵有名メーカーの商品だ。商品名ではなくそれこそ「無添加」とかが前面に押し出されている場合はマイナーメーカーだったり、PB商品だったりするわけで、商品名というかブランド名で勝負するには分が悪い場合の訴求策なんだろう。別にラップに関わらず何の商品でも行われていて、例えば市販薬なんかだとブランド名として有名な商品の方がよく売れているけれど、ラップもそうなんだろうか。

薬は名の知れたものを買いたい心理が働きそうだけれど、ラップは別に使い心地くらいしか気にせず、あとは安いのを選んじゃうかもしれないな、これからも。無添加かどうかは一瞬引っかかるかもしれないけれど、何かきかっけがなければ特に気にしないだろうな。