言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

雪景色

 

雪景色が好きだ。朝起きたら家の周りが真っ白になっているのを見るのは、たとえその日が出勤であろうともちょっと嬉しくなる。寒いのは得意でないけれど、雨よりはずっと雪の方が好きだ。雪なら全然許せる。寒くても「まあ雪だしな」で何とかなる。要するに気持ちの問題だ。
雪景色は好きだが、反面、雪深い地域を真冬に訪れるというのはあまり経験がない。一昨年のちょうど今頃に、福島県檜枝岐村に行ったときくらいだろうか。あまりに雪深くて、車で向かうのも一苦労であるし、1日置きっぱなしにでもしたら車がつぶれてしまうような雪が降るのだからすさまじい。その反面、雪の降り積もる村は非常に静かで、ざくざくと雪を踏みしめる音だけが響くようなそんな素敵な趣のある場所だった。
ただし、自分で運転して向かうには技術と度胸が足りず、せいぜい数センチ積もるようなところでしか運転経験がない(群馬の山奥とか)ので、おいそれと迎えるような土地ではないのは確かなことである。

雪の積もる地域自体は毎年なんだかんだで訪れている。群馬の山の方であれば草津だとか、北海道も函館だとか。秋田や北海道の中でも雪の深い新十津川のあたりは真冬ではない時に訪れている。
東北は3月でも普通に雪が積もっている状態で、それでも季節は進みつつあるので雪もスギ花粉も舞っているというような状態になることが多い。勝手なイメージとして「少し暖かくなってくるとスギ花粉が舞う」なんて思っているのだけれど、結局寒かろうとあまり変わらなかったりするもので、雪が降っているから季節的はまだスギ花粉ではない! なんて思っていても結局ダメだったりするわけだ。それを身をもって知ったのが2月末当たりの東北である。
北海道の豪雪地域に関しては、今年のGWに訪れた時でも所々で雪の残っている場所があった。イメージよりも雪というものはどうやら残りやすいものらしい。春、それも桜の季節が終わったような頃合に、出かけた先でまばらに残る雪を見つけたときの感覚というのは実に面白いもので、気温も相まっていったい今の季節とは何なんだろうか、という気にさせてくれる。季語というやつがあるけれど、北海道なら春でも雪が残っているから季語になりうるわけだよな、とかそんなことを考えたり、考えなかったり。雪というと明確に冬な気がするけれど、ある意味それも思い込みなんだろう。

話が逸れた。

雪景色が好きだ、と言いながら、今まで函館以外で冬の北海道というのは訪れたことがなかった。なかったので、今、北海道の帯広へ来ている。最高気温は氷点下。-5℃とかそれくらい。
非常に寒くて、寒すぎるとそれはもう「痛い」という感覚に変わっていく。これでも帯広はまだ雪が少ない地域なのだけれど、非常に寒くて、でもだからこそ面白い。屋内と屋外との温度差がありすぎて、外から中へ入るときは眼鏡が曇るし、温度差がありすぎて急に温かい室内に行くと鼻水が出たりする。温まってから外に出ると、「おや、さっきよりも気温が上がったかな?」なんて幻想に陥るけれど、すぐに寒さがやってくる。すごく面白い。

あとなんだかよくわからないのだけれど、雪が山とか小高くなっているところには全然見えなくて、そのかわり畑の上が真っ白になっていてびっくりした。山が白くないから積もってないのかと思ったけれど、平らな畑は真っ白なのである。

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あまり降らない、というのは北海道内での話で、ちゃんと雪が降るとそれなりに積もりはするのだ。そして太陽の光が当たるととても眩しい。雪の白さは思っているよりもずっと眩しい白だ。

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寒ささえなければこの色をずっと見ていたい。

真っ青な空と、白い雪と。

 

ああそれにしても寒い、寒すぎる。写真を撮るとスマホの電池がみるみるうちに減っていく。手袋をしていても、操作しているうちにどんどん寒くなる。

 

ああ、北海道に、試されている。