言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

冬至と年末


スーパー銭湯に行ったら、露天風呂に大きなゆずが置いてあってそれで初めてもうすぐ冬至であることに気が付いた。それが土曜日のことである。今年の冬至は22日の日曜日だった。つまり、つい昨日のことだ。

カレンダーや手帳にはもともと記載されているというのに、特に気が付くことはなかったのは、自分の書き込んだ予定だけを目が(脳が?)追っていて、それ以外は曜日とせいぜい日付くらいしか見ていないということの現れなんだろう。書いてあるのに読み取っていない、書いてあるのに読み飛ばした、ということがこうして発生するわけである。別に冬至を忘れたり逃したところで何もないんだけれど、なんとなくこのくらいの時期の、せわしない年末へ向かっていくカウントダウンの始まりというか、そんなものを冬至に感じたりするわけで、ああそうか今年もそんな季節になったのかと思わせるのに一役買ってくれるのである。

 

去年も冬至について書いたような記憶があるけれど、いつの間にか1年たってしまったということである。今年は本当に日が過ぎていくのが早い。例年に比べて土日に活動しすぎているのと、あとはたぶん仕事が忙しい日が多かったからだろう。

 

冬至を過ぎると急に翌年のことを考えるようになる。

年末の予定というのは早い段階で細かく詰めておくのだけれど、そういえば、と思うと、年明けの予定がよくわからない。

例えば仕事始めは当然1月の6日だろうと思っているけれど、それは今年のカレンダーがたまたま月曜日が6日なのであまり疑いようがない、というだけであって、実際聞いていないのでよくわからない。もともと予定がコロコロ変わったり、直前まで教えてくれないような職場だが、こちらから聞かなければ本当にわからないままなので、今のうちに聞いておかなければならないと気が付いたことは非常に重要である。そう思って慌てて今日聞いたら案の定「27で仕事は終わりの予定だけど、30日にうっかり出勤があるかもしれない」とかいうコメントをいただいたので、聞いておいて正解だった。ついでに言えばその日は出かけているので呼ばれても駆けつけられませんよ、とは言っておいた。

「どうせ何もないから呼出しなんてないし、いいよ」と言われたものの、「どうせ何もない」は完全にフラグなので、信用していない。ともあれ「いいよ」と言ってくれた(言わせた)以上は行かなくても良いという言質を取ったことになるので、まあ30日の呼び出しの可能性なんてのは忘れて出かけようと思う。ちなみに飛行機の距離なので行くのは物理的に無理だ。

ただし、翌年の予定を聞いたら「4日になんかあるけどたぶん我々は関係ない」とかいうこれまた不安なコメントをいただいたので、とりあえず聞かなかったことにした。とりあえず家にはいるだろうし。

2020年、来年、とは言うけれど来月でもあるのだ。丸々ひと月先はもう1月23日だと考えると、ずいぶん1月というのはすぐ近くに来ている。来年という言葉に騙されて(騙しているわけじゃないだろうけれど)適当に先延ばしにするわけにもいかない、すぐ先の出来事なのである。

年末はいろいろ立て込んで怖いことも多いけれど、その先の休みのために、今週一週間を無事に切り抜けたいものである。