言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

暖を取る

暖房の季節がやってきた。このところずっと換気や送風でしか使っていなかったエアコンだが、昨日出社したら暖房に切り替わっていた。確かに外はすごく寒い。急に冷え込んだのもあって感じ方はより顕著だ。そろそろ寒いしコートをちゃんと着込んだほうがいいな、とか、カイロとか買っておこうかな、とか、冬支度を始めるトリガーになるのが、暖房である気がしている。
毎年感じることではあるのだけれど、狭い部屋での暖房はなかなか塩梅が難しい。暖房の温度調整ってなんであんなに難しいんだろう。暑すぎず、寒すぎず。ちょうどいい温度のまま「保っている」ことが一番難しい。狭い部屋ならなおさら温度の上下動は激しくて、ただただ空気だけがパリパリに乾燥していくのである。
だからもう電源を付けたり消したり温度を上げたり下げたりと、「エアコンの操作盤の一番近くにいる人」の性格がまめであればあるほどせわしなく動かされるわけである。付け消しが一番電力を消費するとかそんなことは知ったことではない。快適な瞬間が非情に短いので都度都度調節して何とかしている、まあきっとそんな人もほかのところにいることだろうけれど、わかってくれるだろうか。
ちなみに私は暑すぎるよりは薄ら寒いほうが好きな人間だ。適温が勿論一番だけれど、暑くなりすぎるよりはちょっとばかし寒いほうがまだいい。凍えるほどでなければ、まあ多少は何とかなったりならなかったりするものである。
旅行中、特にビジネスホテルに泊まった時なんかは特にそうで、あまり暑くすると寝にくいので、そこは掛布団を信用してできるだけ暑くなりすぎない温度にして寝ている。多少寒くても仕方ないくらいの感覚である。仕事の出張で泊っているときは「朝起きたときにあったかすぎると二度寝してしまって本当に危ない」とかいう理由もあったけれど、それはどっちかといえば起きた後にまたベッドに横になってしまうほうがもっと大きい原因なので、必ずしも暖房のせいではないと思う。あと暖房の音が車のそれの音と違うので電話してきた上司にバレるとか、そういうことはあったけれども。

会社にはもちろんないのだけれど、我が家にもない暖房器具といえば、こたつである。
こたつがない。よくよく思い出してみれば、それは遠い昔に祖父母の家にはあったような気がしていて、それ以外では身内の家にこたつがあったことがないわけである。祖父母の家のこたつも私が小学生になるくらいにはもう暖房機能が外されたただの机になっていたような気がする。
この年になってふと、こたつ、家にあったらきっといいだろうな、快適だろうな、とか思うようになっているのだけれどどうなのだろうか。出れなくなるのはいいとして(よくないけれど)、夏の間はどっかにしまっておくんだろうか。そんな場所があるのかと言われれば、「置こうと思えば置ける」みたいな話になると思うのであまり深く考えていないが、実際のところ非常にこたつは気になる存在である。

でもまあそういうのって本当は買うなら今なんだろうな。今買って今使ってみて、いざ春になって置き場に困るのかもしれないけれど、きっと1シーズン使ったら手放せなくなるだろうし、どうにか置き場所を考えるだろう。きっとそういうもんだ。