言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

ドアを開けたら金木犀の香り


家のドアを開けたら金木犀の香りがした。

こんなことは初めてかもしれない。ドアを開けたらいきなり金木犀の香りが漂ってくるなんて、今までそんなことはなかったのに。どういうわけなんだろう。
家から最寄りの駅まで歩いていく途中、金木犀が道に沿って数本生け垣から外に張り出すような形で並んでいる場所がある。私はいつも必ずその横を通って出かけていくので、この季節になると、大太刀底を通った時に「金木犀の季節になったんだ」と気づくわけである。家を出てから5分くらい過ぎて通る場所だ。ちょっと空気が冷たくなって、たまに思い出したように暑くなるような日もなくなってきた頃、ほのかに甘いにおいを遠くに感じる。それがいつものことだった。
金木犀の香りは主張はあるけれども、それは木に近づいたときに強く発揮されるものだと思っている。
それがどうだろう、今日はドアを開けたらすぐに金木犀の香りがしたのだ。これには驚くほかなかった。

家の近くには金木犀の木はなかったように思える。思える、というのは、あくまで花が咲いていて香りがすればこそ「ああ金木犀があるんだな」と思うわけで、そうでないときに見つけるのは、それこそ道沿いに植わっていてくれなければ至難の業である。庭木としてよく使われる金木犀は案外、目に見えない場所で咲いていたりする。香りがその存在に気が付かせてくれるというのは結構面白いもので、目に見えなくてもそこに存在することがわかるのはとても素敵なことである。

もっとほのかな香りがあるものだと、冬の梅の花の香りだろう。近づいて、顔を近づけて、それでようやく香りが分かるくらいなのだけれど、梅の花の香りというものは確かにそこにあって、それはほかの花にはない、ほかの花とは違う香なのである。個性。強いかどうかであるかではなく、個性。だからこそ、花の香りに季節を感じるのであろうか。


金木犀は、近くにいれば必ずわかるようなそんな香りの持ち主だが、今年の花たちはどうもさほど近くなくてもよく香りが届くようだった。もしかして台風で花が飛ばされて香りがするのかと思ったけれども、案外そんなこともなく、近づくとちゃんと薄い橙色の花を枝の根元あたりに付けている。
どういうわけだかわからないが、今年はその香りが強く、そして風に、空気に乗って私の家の前までやってきているようなのだ。

秋の青い空に、澄んだ涼しい風。金木犀の香り。あいにく青い空のほうはあまり見られていないけれど、まあ秋ってそんなものだ。雨も多いし。
きっとあっと気が付いたころには花も散っていて、いつの間にか冬が近づいてくるんだろうけれど、しばらくは家を出た瞬間から香りを楽しめる日が続くだろうか。